blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

6月を振り返って

2015-06-30 23:20:47 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返ります。
月の前半はただただうずくまるばかりの日々も多くありましたが、徐々に心身の疲れは取れ、前向きな気持ちや活動する意欲は戻ってきました。
昼間は特に近場の自然に入って行き、夜は他人と会話をするために少しづつ街に出るようにしました。
自宅にいるときは、買ったまま放置してあった本や映画を見たりして心を動かすようにしました。
先のことは心配しないで、まずはひとりの人間に戻ることに集中する月になりました。

何度も書いているように今後のことを心配しても無意味なので、7月以降も引き続き体調に気をつけしっかり充電することに集中します。
どこに行くことになろうと、私自身が元気でなくては始まりません。

今回のお休みはひとつの節目、ここまでになったらもうバカになって開き直っていけという何かの知らせにも思えます。
子供の頃にまでさかのぼって何を考えていたか思い出してみるのもいいのかもしれません。

力はあっても

2015-06-29 22:45:48 | 日記
昨日行われた競馬の宝塚記念は、圧倒的な支持を集めたゴールドシップが大きく出遅れて波乱の決着となりました。
前走の天皇賞(春)ではゲート入りを嫌がって他馬を散々待たせてしまい、自身は勝利したものの、待たされたために集中を失った馬もいたかもしれませんので決してほめられたものではありません。
中間はゲート試験を受けて合格、宝塚記念では真っ先にゲートに入れられることになっていて、最後の一頭が入る直前までは我慢がきいていましたが、両となりの馬の気配に神経質になって立ち上がったところでゲートが開いたようです。
ここのところは他の馬がそばを通りかかるだけで威嚇するような姿もあったとされ、圧倒的な能力で多くの栄冠を手にしてきた反面、年をとるにつれて問題行動の程度が増してきたようです。

スタートが今ひとつで競馬そのものは上手ではない、しかし並外れた能力で時に強引なレースをしても勝ち切ってしまうこともあるため、昨日の大惨敗の後であってもゴールドシップそのものの人気は衰えていません。
能力を出し切った時の豪快さと、まったく走る気を出さない時のアッサリ負ける危うさがファンならずとも「ほうっておけない」感覚にさせてしまうのかもしれません。

レースが下手なのに能力で有無を言わさず勝ってしまうという面では、私と同い年のヒーローである元競輪選手の吉岡稔真さんの全盛期がそうでした。
勝負どころで決まったように7番手に置かれながらも豪快に外をまくりきって圧勝する姿は印象的で、私が知っている範囲で吉岡さんより人気があった選手を知りません。
高い能力に恵まれながら、時として危うさを漂わせるものに人々が惹きつけられるのはいつの時代も変わらないようです。

ゴールドシップは依然として人気があり、まだ引退云々は取りざたされていませんが、私が馬主であれば昨日のレースでもって現役続行はあきらめさせます。
ここ2走、競走に参加するまでに他の馬の陣営にも迷惑をかけています。
誰もが認める能力があっても、競走に参加できない危険のある気性がここまで来て直るかといえば疑問です。
馬の気持ちは知りようがないのですが、いろいろな問題行動は、もう走るのに嫌気がさしたことを周りに訴えているのかもしれません。

競馬ファンである私でも、競走馬は人間のエゴで走らされることは知っています。
たいていの馬は飼いならされ、成績がどうしようもなくなるか大きなケガや病気になるまでは大人しく走り続けます。
絶対に人間には逆らえない競走馬という立場にあって、我を通し続けることに意味はまったくありません。
しかし、人間から見れば問題児とはいえ、この息苦しい世の中で人間相手に奔放に振舞っているゴールドシップがある意味うらやましくも思えます。
競走からは離れても、きっと幸せな一生を送ることは間違いがないのでしょう。

こういう常連はちょっと

2015-06-27 23:07:40 | 休日
以前から行きつけにしている居酒屋さんが富山市内にあります。
行きつけといっても言うほどちょくちょく顔を出しているわけではなく、常連と言える範囲なのか店主に聞いてみたこともあるくらいです。
ただ、すでに焼酎のボトルは入っていて、頼むメニューもワンパターンでほぼ読まれている感じですので、少なくとも有害な客ではないことは確かなようです。
外の世界との数少ない接点の一つであり、お世辞ではなく気が張らず癒される気すらする空間ですので、大切にしていきたいと思います。

一時的に仕事から離れて日中に時間がある今は、時々は社会勉強も兼ねて職安なるものにも足を運びます。
まだ行く必要はないと言えばないのですが、幸か不幸か行き慣れている場所なのでついつい行ってしまいます。
富山駅の北口にほど近いハローワークは、ひと頃は駐車場に入るのも一苦労、中にある検索用のPCも数十分待ちという状態でした。
今は景気が少しは良くなったのか、館内が人であふれ職員さんがバタバタになっているような光景は見られません。

それにしても、人を求める企業側にも「常連」はあるもので、いつ行っても求人が出ている会社があります。
私は30歳で最初の会社を辞め職安を初体験することになりましたが、その時に常連だった企業をいまだに見つけることができたりします。
幸いここ5年ほどは職安に行く必要のない状況に恵まれていました。
5年あけてもすぐに見つかるのですから、そういう企業は本当にずーっと常連でい続けているとしか思えません。
職種や仕事内容をを見れば確かに大変そうだなと思うものが多いのですが、人が定着しないのは会社側にも何らかの問題があると見るのが自然かと思います。

私もいい加減な年齢になっていますので、私自身が職安の常連になるのはイヤですね。
しかし、今後は「倒れないこと」が最優先です。
働き場所は替えがききますが、自分の体は替えがききません。
まだ命があること、自由に動けることに感謝をして、納得のいく形を目指していきます。

犠牲とは

2015-06-25 23:53:09 | 日記
昨年の広島市の土砂災害や御嶽山の噴火でも多くの方々が犠牲になりました。
今年も容赦なく各地で噴火などが起きているので、つい昨年のことすら忘れられがちになりますが、被災地や被災者と呼ばれる方々はなかなか減らないのが現状です。

ずいぶん前に買ってあった、映画「黒部の太陽」のブルーレイ版を最近になってようやく見ました。
映画のほとんどは長野県大町市と黒部ダムを結ぶ「関電トンネル」の工事の苦闘を描いてあり、実に171人という犠牲者の多くはトンネル工事中の破砕帯からの大量出水によって亡くなられています。
今の世の中であればこれだけの死者を出しながらなお工事を継続することは理解を得られにくいとは思いますが、高度成長期の電力事情は逼迫しており、関西電力としては黒部はどうしても開発しなくてはならなかった山でした。

黒部ダムは富山県内にありながら関西電力のダムであり電気は全部大阪の方に行っているではないかというツッコミはさておき、これだけの犠牲の上に現在の便利な生活があり、かつ私たちが気軽に「観光地」として訪れることができるのは紛れもない事実です。
反面で、犠牲者の方々にはそれぞれ家族や親類があり、その数の何百倍もの悲しみがあったことも事実です。
このような破格のプロジェクトに情熱を捧げた企業に敬意を払うと同時に、あまりにも多い犠牲者のことを思うと、映画を見終わった後は何とも表現のしようのない気持ちになりました。
ダムの傍らには一人一人の名前が刻まれた慰霊碑がありますので、過去を知らない私は、今度訪れる時にはせめてもの感謝を捧げることにしようと思います。

先の戦争によってわが国はおびただしい犠牲を払いました。
しかし、そのおかげで今の平和な姿があることを忘れてはなりません。
また、戦後に白人支配から離れて独立を成し遂げた多くの国々は、有色人種である日本人が勇敢に戦ったことに勇気を与えられたと感謝してくれています。
欧米列強の経済封鎖に対抗するため戦争に打って出ざるを得なくなり(あのマッカーサーが帰国後にそう証言しております)、膨大な代償を払うことになったわが国ですが、後の世の中のために多大な貢献をしたことも忘れてはなりません。

もちろん戦争など起きて欲しくはなく、正当化するつもりもなく、どんな理由があっても戦争は悲惨なものであるのは映画の2本3本見るだけでも分かります。
では、今後絶対に戦争を起こさないためにどうしたらいいかを考えるのが現在生きている者の務めです。
残念ながら軍事バランスで辛うじて平和が保たれている現実を直視すれば、イザという時の備えもまかりならぬという一部の言い分にはどうやっても賛同しかねます。
国政の場で不毛な論議ばかりが続いているのはつくづく残念なことです。
わが国以外のどこの国も以前から犠牲を払って国を守っているのですから。

不思議なニュース

2015-06-23 21:41:05 | 日記
三重県鈴鹿市にあるコミュニティーFM局で、給料の遅配が原因で社員8人全員が退職したというニュースがありました。
給料の遅配はどんな組織でもあってはならないとは思いますが、私自身は過去に経験があります。
でも、もし本当に遅配が初めてのことなら、社内で「どうなっているんだ」くらいの話にはなってもいきなり誰かが辞めるということにはならないような気もします。

社員全員というからには当然お金を預かる担当もいるわけで、給料の支給に響くような話ならいわゆる資金繰りがらみでしょう。
仕事をしていくうちに何か良からぬ事実が分かってしまって、「もうこの会社もたないから、みんなで辞めちゃおう」という話だったのかもしれません。
8人という決して大きくはない人数ながら「一致団結」して辞めてしまったという事実は部外者では説明がつけられませんが、日付を合わせて全員が同時に辞めたということですので、給料が一回遅れただけではなくもっと根深い問題があったと見るのが自然です。

こういう話題が出るたび、必ずと言っていいほど「給料遅配一回くらいで辞めるとか甘すぎ」などという「上から」の意見が出ます。
しかし、たとえわずかな期間であっても縁のあった会社を辞めるというのは人間にとって相当重い決断です。
このような「正しい」書き込みをするのは個人の自由なのですが、給料遅配とか退職という字面だけ見てそうしているようにも思えます。
中身は知らないけど相当に耐えられない事情があったのだろうくらいは考えてあげられてもいいと思いますが、ネットが普及して匿名で説教を垂れるのが可能になった現在、説教が目的化して自分を大きく見せたいばかりの人間が多くなったということかもしれません。

人生は短いから

2015-06-21 23:45:59 | 休日
PCをいじっていたら、ある経営コンサルタントさんのブログに行き着きました。
こういう系統の方の文章はえてしてやたらに熱かったり前向きだったりするものですが、むしろ正反対です。
自らの仕事を通じて様々な会社に訪問しいろいろな人と会って話したことや感じたことを淡々と書き連ねる内容で、精神論・根性論からは遠いものです。
一般に正しいとされがちな価値観にも入り込んでいき、あくまでも経験に基づいて冷静な分析がなされている印象を受けます。

ただ、ややさめた文体の中にも流れているものは一貫しているように感じます。
それは「人生は短い」、あるいは「人間いつかは死ぬ」といった部分です。
そこが意識されていたら、望まない環境にしがみついていることがいかに無駄かが理解できるというのです。
だからこそ、「会社の辞め時をどう考えるか」「会社で我慢しなくてもいいこと」などのエントリーも出てきます。
「熱い系」の方からは到底出てこない内容かもしれませんが、言葉や言い方が違うだけで実は同じようなことを言っている場合もあるように思います。

私は、平均寿命通りに80まで生きるとしてあと三十数年ですので、そう言われると確かに長くない感じはします。
普通に考えれば職業人としての時間とそうでない時間は大雑把に言って半々くらいでしょうが、職業人であるかないかと幸せであるかないかは本来関係がなく、いずれにあっても幸せに過ごせるのが理想です。
与えられた有り余る時間で、今から死ぬまでの三十数年をどうしたいのかを考えることは無駄ではないはずです。
死ぬ間際にグチや後悔だけは言いたくないものですね。

人間には戻れた?

2015-06-18 21:41:28 | 日記
職業人をお休みしている今は、意識して外に出たり他人と話したりすることが必要です。
自分ひとりで自室にいるばかりではラチが開かないことも、一歩外に出ることで手掛かりが得られたりします。

人脈など全く多くない私は、人に会うといっても限られますが、体調が底だった頃と比べて顔色や表情はずいぶんよくなったと言ってもらえます。
見た目の部分は他人の感想の方が的確ですから、素直に感謝したいと思います。

近い将来には当然ながら職業人に戻らなくてはいけませんが、今週に入って体調の波もほぼなくなり、まずは職業人以前の「ひとりの人間」をようやく取り戻しつつあります。

まずは元の体調に思いのほか早く近づけたことだけで万々歳です。
休んだ後のことは自分では決められず、私が心配するのはもはや無意味です。
ここは半分開き直って、今よりも自分の世界を広げる時間として有り難く使わせていただくことにします。


貴重なご意見ながら

2015-06-16 23:33:36 | 日記
ほとんどご意見を頂戴することがない本欄ですが、前回のエントリーには貴重なご意見が入ってきました。
ロクなあいさつもなく土足で言いたいことだけ言い捨てていくようなものが過去にあった中、礼を尽くされたうえでのご忠告でありました。
他人の投稿にモノ申したいケースがあっても、いきなり言いたいことから入ることはさすがにまずいですね。

ご忠告そのものはまったくもって正しく、一分のスキもない素晴らしいモノであり何一つ反論できる要素はないものです。
きっと、どんな困難にも耐え、何があっても逃げず、弱音を吐くこともなく、素晴らしい実績を残し素晴らしい人生を送ってこられたであろう投稿者様には下げる頭がいくつあっても足りない思いです。

ただ、内容があまりに正しすぎ、読むとまた体に来そうですので、せっかくのご忠告ではありますが粛々と削除させていただくことに致しました。
文面は消えてしまいますが、ご意思は受け取りましたのでご了承ください。

どう出てくるか

2015-06-15 22:56:17 | 日記
6月も半分が過ぎました。
社会人を文字通り休み休みやってきた私のような人間にとっても、今回のように長い休みは久しぶりです。
体はずいぶん良くなり、何をする気にもなれないで一日中頭を抱えているような日は減ってきました。

調子が悪い日を除いては、心身の癒しのために良いと思うことはやるようにしています。
自然の中に入ったり、しばらくごぶさたしていた趣味に手をつけたりしています。
週に一度は行きつけの居酒屋さんにも足を運びます。
今は他人と話す機会を意識して作り、生活の中に「笑う時間」をどうしても持ちたいので、単にお酒を飲む以上に大切なこととして考えています。

思っているより早く回復をしてきましたので、あとは可及的速やか(国会答弁みたい)に復帰に向けての準備を始められるように、少なくとも「普通」の体調を維持していくことが大事です。
休養に入ってから約3週間、会社からは電話の一本もありませんが、会社がどういう方向を示してこようと、自分の体さえ普通であればどのようにでも動きようがあるからです。

正直言って、私自身が休職期間後に会社にとどまれる確率はかなり低いと思っています。
医師の診断通りならば、曲がりなりにもうまくいっていた現場での仕事にスンナリ戻してもらえることになりますが、会社がそれを丸飲みする義務などさらさらありません。
会社は会社で考えがあり、こちらはこちらで会社の出方によってどうするか、医師と二人で「作戦」を考えているような有様ですから、何が起こっても不思議ではないのです。

そこまでを想定すればあまりノンビリしている時間はなく、当面の生活や体調を考えながら適切なタイミングで方向を決める時期も案外早く来るのかもしれません。

前回の続き、かな?

2015-06-11 20:18:18 | 日記
元アイドルの加護亜依さんの夫がDVで逮捕されたことは前回書きました。
アイドルにはトンと疎い私でも、過去には未成年での喫煙騒動などの問題行動があったことは知っています。
過去の、本人が原因の行動はともかくも、今回の件はお気の毒というほかありません。
某夕刊紙の記事を斜め読みしただけなので何とも分かりませんが、離婚協議を長らく続けていながら夫の方は応じていないようです。
暴力を受けケガまで負わされた人間と今後も一緒にやっていくのは妻側からすればどう考えても無理がありますが、夫の方は妻が復縁を望んでいると吹聴するなどしているようです。
この夫からすれば、好きなように甘えられる対象にいなくなってしまわれては困るということでしょう。

私の30代は仕事が安定せず渡り鳥のような生活をしてきましたので、その過程ではとんでもない人物にも多数遭遇しました。
公職をいくつも抱え外ヅラはいいのですが、社内では独裁を通り越して暴君と言ってもいい社長さんがいました。
直接の部下であるベテラン社員に対する扱いが特にひどく、「頭がない、能力がない」などの罵声や人格否定は当たり前、時には「グー」で頭や体を小突くなど、それは見るに堪えないものでした。
私の在籍時ではないのですが、さすがにその方は心身ともに疲れ果て、医師の診断をもらって数週休むことになりました。
しかし、3日と経たないうちに社長さんから呼び出されて仕事をさせられたそうです。
小さな会社で自分は怒鳴って社員を使い倒すばかりで実務の蓄積がないため、その方にいてもらわなくては困るからこういったOV(オフィス・バイオレンス?)も平気なのです。
社員を倒れるまで追い込んでおいて、いざいなくなってその代わりができない人間など人の上に立つ資格はありません。
頭がなくて能力もないのは他でもない、社長さん自身なのでした。

「加護ちゃん」の話に戻しますが、普通に考えれば、たとえ争っても離婚になるかと思います。
片方が離れたがっているものを、自分が甘えたいだけでズルズルと引き延ばすのは、愛情を履き違えた犯罪にも等しい行為です。
これ以上時間を共にしても自分が苦しむだけだと考え背中を向けようとしているところを引き止めてはいけません。
本人があきらめているものを、他人が覆すことはほぼ無理です。
「反省する」などという甘言に騙され、ノコノコ戻っていったら、また以前と同じような扱いを受けるだけです。
夫は私よりも年上といういいオッサンだそうです。
警察のご厄介にまでなった今こそ、依存や執着を捨て、別れを潔く受け入れる決断をすべき時だと思います。