blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月を振り返って

2012-08-31 21:42:28 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
半ばには長い休みもあったからアッという間に終わっていった感じもするが、およそ1年半ぶりに本格的な遠出もできた。
今回は東北地方、いわゆる沿岸ではなく内陸が中心だった。
北海道のように地平線どうこうまではいかなくても、北陸とはまた違って「なだらかに広い」感じがした。
詳しくは旅行記に書いているので省くが、今回は「未踏の県」を優先する形が吉と出たように思う。

仕事は特に変わったこともなく過ぎた。
暑い日が続く中で、早退や欠席もなくやり通すことはできた。
失敗やイザコザ(?)もあって決して心穏やかではなかったものの、今日までには何とか通常のリズムを取り戻すことができた。
これから来年にかけては、こちらの倉庫と関東関西に1つずつある中継拠点の出荷物の割り振りも変わっていき、よりバランスの取れた形になる。
既存品の出荷の負担は軽くなるが、こちらでは品目の増加に対応するという任務もあるので、ラクになるとはいっても一時的なものだろう。
9月は上半期の締めの月でもあり、やはりバタバタと過ぎていくのは間違いはなさそうである。

今日に限っては夕方にザーッと雨が降ったが、今年は雨が少なく9月もずっと暑いようだ。
少しずつでもしのぎやすい気候になっていってくれることを祈るのみである。
引き続き体には気をつけながら、できるだけ心は穏やかに、明るく楽しく前向きにいきたい。
いつも書いていることだが、幸せな毎日はそこからしか生まれないからである。

職業人の終わりを

2012-08-28 21:13:34 | 日記
わが部署は、言ってしまえば「流れ者」の集まりである。
私のように仕事をいくつも変わった末に来ている者も少なくないし、反対に学卒以来わが社にいるであろう人間も、過去の素行不良や病気持ち、果ては「他部署で使えない」などの事情を抱えてやってきた人が大半である。
縁あって自分も属している部署だから心苦しいのだが、わが倉庫から人事異動で他部署へというケースが「ほぼない」ことを考えると、ある意味「墓場」と言ってもいいのかもしれない。
会社の中での位置づけが高いはずもなく、在籍する人間のモチベーションも残念ながら総じて低い。
ただ一つ高いのは、物流倉庫という現場にしては異常とも思える平均年齢といったところか。

わが社の制度では定年は60歳、その後は正社員ではなくなるが継続して数年働くこともできる。
そういう立場の人は職場に二人いて、そのうちの一人であるO氏は今年いっぱいで延長期間も限度となり本当に「お疲れ様」となる。

部署をどんな形でも「卒業」していく人がいない現状では盛大にO氏を送る催しがあってもおかしくはないが、残念ながら職場のほぼ全員が、その本人が去る「Xデー」を惜しむのではなく「待ちわびて」いるため、その見通しはゼロに近い。
ムダに頭脳明晰なところがあるためか他人のアラがよく見えるようで、ある日突然攻撃の対象にされることもしばしば、周囲には当然嫌われている。
言っていることはゴモットモでも、本人の日頃のサボりぐせ(所定の休憩時間以外で勝手に休憩)や仕事中の私用電話など目に余る言動も多いからまるで説得力がない。

ドラマなどでは、余命を宣告されてなお凛として生き抜く人がよく描かれるが、職業人として余命数ヶ月となったO氏が、職業生活をどう締めくくるのかはジックリ観察したい。
身に迫る寂しさや「たそがれ感」をどこにどう振り向けていくのか、である。
いずれ私にも訪れるその時は、できればキレイに締めくくりたい。
O氏には申し訳ないが、一つのサンプルとして見させていただく。
職業人卒業までに吐ける毒はすべて吐くというような態度に出るならば、当然ながら仕事の辞めぎわの振る舞いとしては反面教師とせざるを得ない。
60数年生きてもこの程度か、と皆に思われながら去っていく姿はできれば見たくはないものである。

何かとバタバタ

2012-08-26 20:54:02 | 休日
長い休みが明けた一週間の勤務は、量の面では月曜が特別で他の曜日は普通に過ぎた。
しかし至って順調だったかといえばそうでもなく、金曜には木曜の作業の中での自分の間違いが見つかり、気分的にはやや落ち込んだ。
決して微細なことではなく「やらかし」にも近い話だが、引きずっていても仕方がない。
エラーの後には、なるべく早い段階でファインプレーでもして取り返すよりない。
ファインプレーが無理なら、最低限同じエラーを繰り返さないことがせめてもの償いとなる。

久々に仕事で心が疲れた週末ながら、お決まりのお誘いがあって富山市内に出た。
仕事の上でタメ息をつきたいような事柄に出会って、お酒を飲んでいてもいつもの元気が出ないのではないかとさえ思っていたが、楽しい仲間に囲まれてほんの少しは日々のウザウザを忘れることができた。
いくら「お仕事がらみ」とはいっても、今の私にとってその仲間たちは必要不可欠なものだ。
職場の人間とは夜のお付き合いもすっかり減り、地元の友人に至っては声一つかからないし、盛大な集まりがキライな私だからこちらから声をかけることもない。
財政の許す範囲でというのは言うまでもないが、心底気楽でいられる場所だと思えるから足が向くし、そんな場所があるから何とか心身のバランスを取って生きていられる。
たとえ刹那の楽しみでも、あるとないとでは全然違うというのが現状だ。

その飲み疲れもあって土曜はゴロゴロするばかりであった。
同時に、今自分が置かれている状況をボンヤリと考えたりもした。
しっかりとした仕事を持ち、それなりの収入を得て、好きなクルマも買い、自分の時間を好きなように使えている今は、その日暮らしのような生活をしていたほんの4年か5年前とは精神的にも全然違う。
一定の仕事があって毎月の収入が読めるから、目先のことばかりでなく少し遠い日付のことも計画できる。
一時の状況を考えれば、これ以上望むのは申し訳ないくらいに今は恵まれているのである。

今日は富山競輪の記念競走を観戦した。
車券の成績は今一歩だったものの、年に一度、相撲で言えば横綱大関クラスの走りを堪能して気分転換できた。
明日からはまたバタバタとした毎日が始まる。
今よりも数倍つらくてイライラしていた時期のことを思い返し、恵まれている今の状況に感謝する気持ちを忘れないで日々前向きに過ごしていきたい。

ステキな一言

2012-08-23 20:48:15 | 日記
職場の全体の朝礼というのは火曜と木曜である。
お決まりのメニューを唱和した後は、その日の当番さんがフリーで一言話す。
今日の担当は妙齢のM女史で、先日誕生日を迎えたことについてだった。
「私くらいの年になると誕生日というのはユウウツで、来てほしくないとも思う」一方で、「今年は社内の人にたくさんお祝いしてもらって、すごくいい誕生日になったことを感謝したい」とのことだった。

職場全体としてはややコミュニケーションの面で問題があると言わざるを得ない状況で、本欄でもそのあたりを言い募る内容が多い。
それでも、個々の単位で仲の良いところでは彼女の誕生日を祝う動きがあって、彼女自身もそれに感動したということだろう。
何の飾り気もなくスッとそんな言葉が出ることにこちらが心を動かされた。
おとなしいイメージがあった彼女だが、最近は笑顔がかなり増えている。
何かよいキッカケでもあったのならおめでたいことだ。

朝礼当番は今は二ヶ月半に一度しか回ってこないため、私もそれなりに中身は考える。
性格上、M女史のようなほのぼのとした話よりも、職場に横たわる悪しき習慣などを「ほのめかす」ような形になることが多い。
周囲を朝から暗くさせてはいけないから、あまり直接的な表現は避けるようにはしているが、二ヵ月半もあると毎日の積み重ねで言いたいことがたまってしまい、話す機会が来るとつい口に出して言ってしまう。

「短気は損気」とはよく言われるし、私自身どうにかならないかとは思うのだが、各人が自分の生き残りばかりを考えている環境にあって、あまりスキを見せられないという気持ちもある。
自分から挑んではいかないが、挑まれればいつでも受けて立つというイメージは付けておかなくてはならない。

挑まれるといえば、同じ年度に入ったM氏は、どうも私と何かにつけて張り合いたいようだ。
同じ環境に来て約2年そこそこ、同期としてできれば穏やかに仲良くやりたいとはずっと思ってきたのだが、ここ数ヶ月の言動からそういう腹の中が読めてしまったので、今は「そういう人」として扱っている。
そもそも仕事の面では「ミスが多くて雑」というイメージが周囲に付いてしまっていて、私とは同じ土俵にも立てていない気はするから、張り合おうと思っていること自体がチャンチャラおかしい。
仕事そのものでは歯が立たないから、残業時間の合計などどうでもいいようなことで張り合おうとする。
形式的に私より会社に長くいるだけなのだが、それでもって「勝った」気になっていると人づてに聞いた。
次元があまりに低いとはいえ、誰かと張り合おうという気持ちがあるだけまだマシということか。

明日は金曜で、出荷は落ち着くだろう。
今週は特に月曜がとんでもないことになってしまったから、なるべく次週に備えて休息を多く取るように心がけたい。

長休明け

2012-08-22 21:01:52 | 日記
長い盆休みが明けた月曜は、休み中に多くの人が遠方に遊びに出ていて予想通りそれぞれのおみやげで食堂があふれ返ることになった。
私のように、荷物が道中増えるのがイヤでおみやげは最後の最後に買いたいというナマクラな人間は、お菓子にしても何にしても人数分に足りればいいという半分ヤッツケぎみの選び方になる。
それでも、他の人の個性的なおみやげもある中、あまり考えずに買ったのがバレバレのクッキーながら何人かは丁寧に礼を言ってくれる人がいた。
普段あまり話もしない女性からもイヤにかしこまって言われたからかえって恐縮した。

さて、毎度のことながら長い休みが明けたその日というのは大変に忙しい。
忙しいといっても「あわただしい」というよりは、とにかく「仕事の量がムチャクチャ多い」ということである。
月曜は、わが倉庫の仕事量が「最多記録更新」ということになり、8割方の人間が21時近くまで残っているというメッタに見られない光景があった。
当然ながら当日は出荷に手一杯で、内部の補充作業は火曜朝にすべて持ち越しとなり、一部は新聞少年のような早出を強いられ、家庭の主婦が中心のためいつもは早出はしてこない女性陣まで加わって間に合わせた。

火曜水曜は、月曜がウソのように通常に近い仕事量に戻った。
しかし最近は、通常といっても以前よりは多くなっているような気がする。
これから伸びていこうという会社だからそれ自体は自然なことだし幸せでもあるが、残暑厳しき折、不調を抱える人がポツポツ出てきているのは心配だ。
ひとりひとりがかつてないような負荷を感じながら日々を送っている。
自分自身も、何はともあれ体調優先ということでいかざるを得ない。
これまでと同様、明るく楽しく毎日を乗り越えていくのみである。

8月16日~17日の行状

2012-08-19 21:00:39 | 旅行
明日から通常勤務が始まるので、旅行記は今日のうちに終わらせる。
長い休みの後はおそらく大変な作業量が待っていて、しばらくは本欄もままならないかもしれない。
「切らしてはいけない」製品を扱っている以上は仕方がない。

さて、競馬がらみの目的は果たし、この旅の最後の目的は「山形県に行くこと」であった。
山形市の立石寺(山寺)に行くことは決めてあり、そこを描いた絵が新幹線の座席に備え付けてある月刊誌の表紙にもなっていたので、余計に行こうと思った。
仙台のホテルを出て、さっそくJR仙山線に乗り込み山寺駅を目指した。
仙山線は仙台駅を出ると駅ごとに標高を上げていき、愛子(あやし)駅を過ぎると完全に山岳路線の趣となった。
仙台から約1時間、宮城と山形の県境をトンネルで越えて間もなく山寺駅に着いた。

この日は雨の心配はなかったものの、かなり暑くなることは予報で言っていた。
頂上に着くには千以上はあろうかという急な石段を登っていかなくてはならない。
せっかく来たのだからお手軽コースで帰ってはもったいないと思って登りだしたが、道中はかなり厳しいものになった。
しかし、「動きやすい服装」すら逸脱した人間も懸命に登っている中、あきらめるわけにはいかなかった。

写真はふもとからのアングルのものを載せたが、頂上付近からの景色は素晴らしく、久しぶりに「観光した~」という感じになれた。
もともと写真で見ていつかは行きたいと思っていて、それが実現したのだから嬉しさはひとしおだった。
その後は仙台駅でおみやげを物色するため、昼過ぎに仙台方面に取って返した。

これで東北からはお別れとなり、16日は大宮駅近くに宿を取っていた。
新幹線に乗ってしばらくして、JR東北本線の郡山と黒磯の間が大雨で運転していないという。
新幹線や私の行程には影響はなかったが、確かに福島と栃木の県境付近「だけ」すごい雨が降っていた。
今年の夏は「局地的」にいろんなことが本当によく起きる。

大宮の宿は鉄道博物館の近くにあって、宿の名前にも「鉄道」が入っているくらいのところだった。
「泊まれるスーパー銭湯」というのが表現としてはピッタリだとは思うが、まだ新しいこともあり宿泊施設としても悪くなく、値段も場所を考えれば手頃なほうだろう。

17日は旅の最後に鉄道博物館に行った。
国鉄時代からの鉄道ファンでもある私だから、懐かしい車両に感動して写真もいっぱい撮ってきた。
東北・上越新幹線ができて今年で30年、今回はずいぶんお世話になったが、それ以前のゆったりした旅もあえてやってみたいと考えたところである。

今回の旅で新たに岩手と山形を訪問して、足を踏み入れていない県はいよいよ2ケタを切って9つとなった。
地方競馬場は盛岡と水沢を加えたから、あと4場である。
どちらが先になるかは分からないが、そう遠くない時期に達成されてくるものと思う。

今回は、100%満足とはいかなかったがケガや病気もなくいい旅ができた。
行きそびれたところはまた機会を作ればよい。
JRのポスターには「東北を旅する、という支え方もある」とあった。
わずかでもまた東北のためになることができたら素晴らしい。

8月15日の行状

2012-08-19 07:54:12 | 旅行
この盆休に限らず、最近は普通の休日でも目覚めは早い。
仕事の日は通常6時に起きる。
そのリズムが休みでも崩れないのは体にはいいかもしれないが、トシを食ったのかなという気にはなる。
記憶が薄れないうちに、朝早くながら旅行のことを書いておく。

15日はまず水沢競馬場。
復路の盛岡→仙台の列車は決めてなく、無料バスの時刻の関係で盛岡駅からは在来線の各駅停車で水沢駅まで行くのがちょうど良かった。
移動が高速列車ばかりだったから、いい気分転換にもなった。
駅の東側には何もなく、そこから1日ただ1本の9時50分発のバスに乗って約10分で競馬場に着いた。
さすがに盛岡よりは設備は古く、コースも平凡な右回りダート、旧スタンドにもさすがに時代を感じたが、4コーナー側には大型ビジョンも備える立派な発売所があった。
仙台への移動のため朝からの3レースだけやって出てきたが、これで未訪問の競馬場をまた1つつぶすことができた。
地方の中でも積極的に努力しているように見える岩手競馬にも存廃の論議があるらしいが、馬文化が根付いた岩手から競馬が消えるのはいかにももったいない気がする。

さて、競馬場を出るとタクシー乗り場はあるものの、こちらの撤収が早かったためか1台も待ちがいない。
タクシー各社の電話番号は書いてあったが何となく面倒になり、予定の列車には時間もあったから東北新幹線の水沢江刺駅まで歩くことにした。
タクシーで5分ということなら2kmくらいとタカをくくって暑い中を汗だくになって歩いたが、そのおかげで北上川の広々とした景色を写真に収めることができた。
仙台までは短時間なので自由席特急券を買って乗り込んだら、世の中はUターンラッシュというやつで自由席はかなり混んでいた。
こちらは一人だからうまく席が見つかって良かったが、大人数の家族連れでは、奥さんや子供を座らせ自分は立っている悲しきダンナの姿を何人も見た。

仙台駅からはまずホテルに一直線で向かい、歩きの疲れもあって夕方まで眠りこけることになった。
せっかくの大都会だから街歩きもしたかったのだが、結局名物の牛タンのお店で定食とビールというベタな夕食をとっただけで、仙台ではほぼ何もせず「泊まっただけ」になってしまった。
仙台にはライブハウス「kento's」もあったのにもったいないことをした。

競馬がらみは終わらせてあとは観光の予定だったが、次の16日が思った以上に旅のハイライトになった。
その16日と、最終日の17日を次の記事にまとめて旅行記は終わりにしたい。

8月13日~14日の行状

2012-08-18 22:22:24 | 旅行
旅行初日の13日は移動日と割り切り、JR富山駅を9時前に出た。
盛岡までにはいろんな経路は考えていたが、結果的には特急・新幹線利用の至って普通のルートになった。
富山から盛岡の単純往復となればJRの運賃に往復割引がきく距離だし、マニアックな行き方は横において今回はとにかく足を運ぶことが大事だった。
在来線から上越新幹線、東北新幹線と乗り継いで、盛岡着は14時半前だった。
大宮からは速達タイプの「はやて」を使ったとはいえ、実質5時間とは本当に速い。
駅前のホテルに入ってしばらく休み、夜には大通りという繁華街を少しだけ歩いて初日を終えた。
ちなみに旅行中で雨らしい雨にあったのはこの日だけであった。

14日の目的地は盛岡競馬場。
無料バスの時刻表を見ると、盛岡駅前から30分かかることになっている。
郊外の、何もない山の上にあるとは耳にしていたが、お盆の市街地の渋滞もあり結局は35分くらいかかった。
市街地を抜けてからは緑一色の景色になり、その中を標高をどんどん上げながらバスは進んでいった。
いろいろな公営競技場に出向いてきた私も、ターミナルからこれほど標高差の大きいところは初めてだった。

競馬場そのものは地方競馬場として日本一の称号を与えていいだろう。
スタンドほかの施設もさることながら、特筆すべきはコースだ。
ダートコースの内側には地方競馬では唯一の芝コースまである。
どちらにもゴール前には坂があり、しかもダートと芝で勾配が微妙に違うのにはニヤリとさせられた。
長い向正面をいっぱいに使う1600mコースは地方競馬のイメージをはるかに超えていた。
当日は実施がなかったが、左回り2000mが取れるのならジャパンカップダートあたりは中央・地方の枠を取っ払えば盛岡が最適にも思えるくらいだ。

この日のメインは交流GⅢの「クラスターカップ」であったが、当レース騎乗予定の岩田騎手が関西地方の豪雨の影響で盛岡に来れず、田中勝春騎手が急遽代打となった。
私自身のハプニングではないが、関西の大雨が遠い盛岡のレースに影響を出すこともあるのだ。
ちなみにレースそのものは交流重賞らしく順当な結果で、馬券的には妙味なしだった。

当日は指定席にこもって馬券を買っていたが、メイン終了までで収支まったくのトントンになった。
一日タダで遊べてちょうどいいと思ってバス乗り場に向かったら、メイン後のバスは出た後だという。
次のバスは最終レース後ということで仕方なくあと2つのレースに少額だけ参加し外れたから、結局はその分だけのマイナスで競馬場を出ることができた。

ホテルに戻り、再び大通りまで歩いて遅い夕食をとった。
普段はひとり飲みはしないが旅先なら話は別、手頃な居酒屋を見つけて小一時間過ごした。
馬券での大怪我はなく、来たことがなかった「岩手県」と「盛岡競馬場」をつぶすこともできた。
名物の盛岡冷麺で「???」という感覚になった以外は、至って順調な盛岡での2日間だった。

帰りました

2012-08-17 20:56:10 | 日記
5日間の東北単独行から夕方に富山に帰ってきた。
お盆中は関西地方では豪雨というニュースもあった中、東北ではほぼ雨にあわずにすんだ。
旅といえば雨か台風かというくらいの雨男である私には珍しく、雨雲が私の行程から逃げるように離れてくれた。
旅を通じて、多少怪しく見える空でも雨が落ちなかったことはまず一番の幸運だった。
もちろん体調を崩したりケガをしたりもなく無事に帰って来れたことも良かった。

単独行でこれほど長いものは記憶にないと前の記事に書いたが、実際には'98年に鉄路で北海道を一週間かけて周ったことを思い出した。
年度がすぐに思い出せたのは、釧路市のホテルで長野冬季五輪を見ていた記憶があるからだがそれはともかく、その時は当時の会社の同期と落ち合う時間があったから、完全な単独行ではなかった。
当たり前だが誰も自分のことを知らない土地に行って誰かと話すとすれば、ちょっとした「すみません」とか「どうぞ」とかが関の山だ。
覚悟の上とはいえ、最近は少しは話さないと落ち着かなくなってきているから、そこは結構こたえた。

こうして自宅に帰ってきて、行程の組み方や目的地の選び方にいくばくかの後悔がないわけではない。
それでも必須のものはしっかり果たして来れたので、体は本当に疲れたが満足ができる旅だった。
詳しい行状は2回か3回に分けて上げることにするが、今夜は体を休めてあらためて明日以降に更新したいと思う。

行ってきます

2012-08-12 19:07:03 | 休日
長い盆休みに入って今日が2日目である。
この土日は、お盆の墓参りを後に書く旅行の前に終わらせようと思い、父方の魚津市と母方の富山市を回った。

長い休みとしきりに書いているのは、てっきり出勤だと思っていた17日(金)が休みで、今年の夏休みが9連休だからだ。
といっても、年間のカレンダーというのは昨年末の段階で分かっていて、9連休の話は職場でもひとしきり話題にはなっていた。
ひとりひとりの予定は知らないが、盆明けにはそれぞれのおみやげで食堂があふれることになるだろう。

明日からは今回の連休のメインイベントとなる旅行に出る。
せっかくなので、2日や3日ではなかなか行くことが難しい土地ということにし、今まで行ったことのない県も含めて東北方面を目指すことにした。
当初3泊4日の予定を1日延ばして4泊5日にしたが、4日目の夕方に帰路の寄り道で関東圏に泊まることにしただけで、東北での予定は変わらない。
ともあれ、単独行で5日間となるといくら旅好きの私でも記憶にない。
交通や宿泊は段取りが付いているが、道中何らかのハプニングがあることは覚悟しているし、それがまた旅の楽しみでもある。

いわゆる「旅打ち」は今回も混ぜてあり、岩手競馬に属する2つの競馬場も回る予定である。
14日には交流GⅢも組まれている盛岡競馬場へ、その翌日15日には水沢競馬場に足を運ぶ。
近代的な設備の盛岡と、昔日の風情を残す水沢の比較対照も楽しみだ。
もちろん馬券も買うことにはなるだろうが、なかなか何度も行ける所ではなく、場内の雰囲気を味わうことも重視したい。

競馬だけというのも何なのでいくつかは観光も考えている。
水沢競馬にダラダラといないようにすれば、世界遺産になった平泉も視野に入る。
3日目の泊まりは仙台で、4日目は今のところJR仙山線を使って山形県の立石寺(山寺)に行くことにしている。
震災の被災地である石巻市あたりも考えたが、やはり物見遊山で行くべきかどうかという思いと、JR仙石線が一部バス代行になっている関係でスケジュールが慌しくなりそうだ。
ただ、旅の途中での心変わりはあるかもしれない。

旅の最後は、東北と上越新幹線の乗り換え駅である大宮近辺で締める。
1日行程を延ばしたのも、鉄道博物館に行っておきたかったからだ。
最終日はほとんど移動をしないで博物館を楽しみ、昼過ぎ早々には大宮を出て富山に帰る。
帰ってくれば長い休みも2日しか残っていない。
盆明けの大量出荷に備えて体のケアをする時間もしっかり取りたいが、その前に今回の旅行を存分に楽しむことを考えたい。

旅先では本欄の更新はしない予定で、次回更新は17日の夕方以降になる。
5日間もあれば書くことはたくさん出てくるので、順次上げていきたいと思っている。