blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

8月を振り返って

2010-08-31 23:59:59 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
本記事の後、引っ越しに伴いしばらくネット落ちの状態となるが、新居ではすでに環境が整っており数日のことで済むと思う。
コスト家主負担で使い放題という願ってもない条件なので、今後も本欄はじめ大いにネットを活用して生活にスパイスを加えていきたい。

まるまる三十一日間ある月のわりには、中間にお盆休みをはさむこともあって、残り二日間の勤務を残してはいるがあっという間に過ぎ去った印象がある。
仕事で新しいことといえば四トントラックの練習を始めたくらいで、取り立てて難しいことが降りかかってきた感じはしない。
うれしいのはやはり、自分を信頼してくれる人が少しずつでも増えていることだ。
日々の積み重ねの中でそういうものが出てくるのは、自分は間違っていないという自信にもつながる。
一部のシット深い人間は適当にあしらうことにして、フェアーでクリーンな見方をしてくれる方に関しては、今後もより一層関係を深めていきたいと思う。

誰でも感じていることだろうが、今月はとにかく暑かった。
私が小さい頃は、どんなに気温が上がっても33℃くらいが一杯だったような気がするが、近年は「猛暑日」という言葉までできてしまったように、35℃以上も当たり前になっている。
ただ、夕立や雷、入道雲といった「昔の夏」を感じさせる事柄も多くて、これはこれで「夏らしい」内容だったのではないか。

最近の傾向は、簡単に「温暖化」ととらえていいのだとは思うが、すべて人間の所業によって現在があるような物言いには賛成できない。
地球という星の、もっともっと大きな流れの中の一部分に過ぎないというのが私の考えで、一人の人間など何十億年のうちの百年足らずにしか関与できない。
もっとも、それが元で様々なエコや省エネの技術が生み出されたのはやはり高等霊長類たる人間ならではの功績といえるしそれ自体は否定しない。
ただ、そこに「ビジネス」のニオイがプンプンするようになってきたのが昨今で、中には「環境は儲かる」などとあからさまに口にする経営者などもいるから困ったものだ。
本来、環境保全と企業利益の追求は相反する価値観であろう。
環境やエコと騒ぐあまりに、経済活動はじめ人間たる基本行動まで抑制する方向に行かないことを切に願う。

九月になったら徐々に荷物を入れていき、新生活がスタートする。
仕事もあらかたの場所には顔を出せるようになり、また周囲にも恵まれているので当面は心配はないだろう。
四トントラックで製造工場を往復するようになる日も近いのかもしれない。
これまでよりもなお、「事故防止」に気を使う日々がやって来そうだ。

カギ

2010-08-31 21:07:32 | 日記
月末日は例によってヒマなため、通常の出荷は実質午後のみで、午前中は入ってくる荷物への対応とその他掃除など雑用で過ぎた。
食堂のタタミがずいぶん傷んでいたので、マネージャーらと一緒に撤去した。
床が緑とグレーのツートンカラーになってしまったが、タタミがカビやダニの温床になっていただろうから少しは環境美化に効果があっただろう。

出ていく荷物は極端に少ないが、入ってくる荷物は月末日もヘッタクレもなく、また何の前触れもなく好きな時間にやってくる。
決まって休憩時間、タバコ一本ふかそうかと思った時に、まるで狙ったように大きな車が入ってくる。
荷受担当である私は当然休憩をつぶして対処することになるが、そういう時は少し時間差で休憩を取ることを許してもらっている。
本来業務である出荷のほうは早々に終了して、あとは翌日に控える繁忙日に備える仕事となった。
しかしそんなに人数もいらないので、私は定時に上がらせてもらった。

上がる前にはこれまた例によって四トントラックの運転を練習した。
会社の周辺道路をグルグル回るだけとはいえ公道は公道だ。
MT車はしばらく乗っていなかったので最初は苦労したが、だんだんと思い出してきた。
少しサイズが大きいクルマは左右に常に気を配る必要があるのと、当然ながら大回りを意識しないといけない。
気が付くと車体がかなり左に寄ってしまっていることがある。
製造工場との往復はそれほど距離はないが、私の師匠は毎日、それも日に何度も通わされている。
通わなくてはいけないのは、わが倉庫でかなり在庫が薄くなっている製品や、生産が追いついていなかったがようやくできた製品を、できたところで取りに行く必要があるためである。
もう六十近い師匠にいつまでも無理をさせるわけにはいかないから、早くトラックに慣れてそちらのほうでも戦力になりたいものだ。

夕刻には富山市内で新居のカギをもらうことになっていた。
すでに書類やお金の話は済んでいたため、簡単な書類に署名捺印してカギをもらった。
いよいよ明日から権利が発生するので、平日も少しずつ荷物をずらしながら今度の土日にはほぼ移動が完了できるようにしたい。
気が早いようだが今日の夜からも少しずつ運んで、明日の朝からは新居から職場に向かおうと思う。
今週の流れとしては、仕事が終わったらまず旧の住まいに帰り、持っていけるものをピックアップして新居に運び、新居で寝起きして翌朝そのまま職場へ向かう。
土日は大きなものを運んだりしてあらかた移動を完了させ、来週の初頭からはほぼ新居中心の生活になる段取りだ。
月明けは仕事も忙しくて大変だが、ほぼ思ったとおりに段取りも進んでいるので、粛々と進めていきたい。
落ち着いたら、富山市内の「例の店」でお祝いしてもらおうと思っている。
先日は、ママさんの誕生日をお祝いさせられた(?)経緯もある。

残暑厳しいさなかで仕事に引っ越しと大変だが、体に気をつけて乗り切っていきたい。

引っ越し準備

2010-08-28 22:17:12 | 日記
金曜は同僚の方に誘われて県の東部へ行った。
要はその方の地元ということだが、一次会はその妹さんとその友人の女性一人を加え、合計四人での会となった。
私が富山市内で引っ越しの契約に時間を取られたため、会が始まったのは午後の九時だった。
四十アップの人間ばかりの会話だから、格好つけるようなところはまったくなく、下衆な話もしょっちゅう飛び出しては大笑いという楽しい時間だった。
今回は富山市から現地へ飛んだのだが、そんなけっこうな無理をしても行こうと思えるのは、毎回何がしかはこういった新しい出会いがあることが大きい。
毎度のことながら、同僚の方には感謝している。

さて、出会いあれば別れありで、今日の日中は今の住まいの大家さんが管理のために来られていたので挨拶をした。
距離的には大した移動ではなく、むしろ大家さんのご自宅に近い場所に引っ越すことになるので、またどこかでお会いできるかもしれないねというような話になった。
二年足らずの短い間だったが、生活も便利で静かな環境、また賃料のわりには広く余裕のある空間を提供してもらい、これまた感謝の一言だ。

少し市内に外出した際、転居先の近くを通ってみたら、入る予定の部屋のドアが開いていた。
立ち寄るつもりはなかったが、何だろうと思って行ってみると、業者の社員の方が一人いてキッチンのコンロをIHのものに付け替えているところだった。
最初に下見をした時にはいわゆる「電熱器」のようなものが埋め込んであったのだが、営業の女性担当者がIHにすると言ってくれていて、前日に本契約も済んだところでようやく作業に入ったということだろう。
たいそう腰の低い壮年の男性だったが、昨日の契約の様子を「ひとつひとつ丁寧に説明してくれましたよ」と言ったら、「まだ若いからね」とのことだった。
大事な契約なのでもちろん説明は必要だが、賃貸契約書の中身というのは「常識」さえあればまず問題なくクリアできる内容で、その意味で言うと丁寧すぎる感じはした。
あとに飲みを控えていたのもあるが、失礼ながら途中でダレてしまった。
とはいえ、これから何かあったときには当然お世話になるし、若い女性でもあり(?)大切にしたいと思う。

以前にも書いたように、新居はかなり現在の住まいよりは狭くなるので、持って行くもの行かないものの区別はしっかりとしたい。
逆に何となく持っているものを捨てるいいチャンスと思って、明日一日は仕分けのほうに精を出したいと思っている。

「オヤジ」のいない日

2010-08-25 22:06:10 | 日記
いつも私に付いてくれている師匠格のベテラン社員が今日は休みで一日いなかった。
二十歳ほども離れているのであえて題名では「オヤジ」と書いた。
事務所のホワイトボードには午前だけ休みとなっていたが、結局は昼休みを過ぎても現れず、外部からの入庫関係は私が一手に引き受けた。
唯一、製造工場との往復はトラックの運転に慣れている社員が行ったが、倉庫での受け渡しに関しては師匠不在の中での役目ということで少しプレッシャーはあった。

結果的には、多少の混乱(?)は招いたものの致命的なことはなく済んだ。
立ち乗りリフトもすっかり慣れ、外部の運転手さんともコミュニケーションを取れるようになってきた。
まだまだ師匠には足もとにも及ばないが、鬼のように入庫が集中するか、特殊な商品でもない限りは何とか仕事になっていきそうだ。

最近は仕事をしていて「情報」という言葉の意味についてふと考える場面がある。
情報を訓読みすれば「情けに報いる」ということになるが、考えれば考えるほど「深いな」と思う。
日々の暮らしの中では、たまにムシャクシャはしても基本的には思いやりを持って過ごしたい。
「思いやり≒情け」とすれば、それがあるところには様々な「報い」が自然と流れ込んでくる、というのが「情報」という言葉の本当の意味するところであろう。
きっと、曲がりなりにも私なりの「情け」が師匠に通じているから、リフトやトラックの運転のチャンスなり、仕事上の詳しい注意点なりの「報い」が求めなくても入ってくる。
昔の人だけに口調はいつも厳しいものの、決して攻撃目的ではない師匠の側からの情けは十分感じられるので、そういったお互いの積み重ねがあるからこそ、今は息をうまく合わせて仕事ができているのだと思う。

そう考えると、「情報」という言葉の本質が理解できない人間の毎日というのは大変に薄っぺらいものになりそうだ。
例えば、特に午後の小休憩の時だが、必ずといっていいほど他人のタバコをせびりに来る人がいる。
私のタバコはメンソールではないため被害にはあわないが、無言で他人の胸ポケットに手を突っ込んで半ば無理やり一本持っていく様は見ているこちらが恥ずかしくなるほどだ。

他人からいただくことばかり考えて他人に何も与えない人は、まずもって慕われる存在にはなり得ない。
特に部下を動かす立場にある人はそうだ。
日々のコミュニケーションを積み重ねる努力もしないで、その場の指示だけで人が動かせると思ったらそれは違う。
同じ言葉で人が動くか否かは、「愛情ありやなしや」というところに集約されるのだと思うが、部下を何人も辞めさせてしまうような上司はこの点が決定的に欠落しているのだろう。

私は、情けを感じる人には必死で付いていくし、逆に感じられない人に関しては目を見て話すのもイヤである。
その落差が同じ社内にありながらあまりにも極端なため、くだんのチンピラ社員ほか数人については、不思議に感じているか相当面白くないかのどちらかだろう。
まずは自らを顧みて「愛情ありやなしや」の部分を突き詰めていってほしいのだが、そこまで求めるのも酷に思えるレベルのような気もし、ないものねだりにならないかと危惧するところである。

自滅していく人

2010-08-24 21:08:42 | 日記
今日も相変わらずトラックがじゃんじゃん入ってきて、特に最初の休憩である十時半くらいまでは忙しかった。
夜通し走ってきたのか、早朝にすでにトラックが何台も荷受所に付いていることもある。
入庫に関する「師匠」が元運転手さんということもあり、とにかくサッと数量を見てあげて早く帰ってもらおうと考えているので、時には朝の体操よりも前に対応することもある。
決め決めのことを言えば時間外となるような時刻から動いてはいるが、師匠も私もそのあたりを要求することはない。
とにかく、朝の出だしが遅れると後々が大変なことになるとお互いに分かっているからである。

そうやって、短期間のうちにずいぶんうまく二人が息を合わせて仕事ができるようになってきた。
また新たな仕事の楽しみも増えた感じだが、どこの世界にも水を差そうとする人間はいるもので、わが部署の「チンピラ社員」H氏がやたら他人のアラ探しばかりをやるのでウンザリさせられる。
今日は、館内のPCの前にあるイスが所定の場所に戻っていなかったというそれだけのことを、わざわざ遠くにいる私のところまで来てひとくさり告げていった。
またある時間には、急ぎでもなくあえてホッタラカシにしていた書類を目ざとく見つけて「アレは何だ」と言って、私だけでなく師匠にまで詰め寄っていた。
師匠もH氏のことは快く思っておらず、「気にするな」とは言われたが、気にするレベルの話では毛頭なく、むしろお笑いの範疇と言える。

私はH氏に関しては「さほどの実力はない」と思っているし、私の実力も日々上がっているので、よほど言えることが少なくなってきているということだろう。
他人を腐して自分が浮き上がろうとする人間は自分に自信がない場合が多い。
何をやるにも「他人との比較」を避けて通ることが難しい性格のようで、日々他人の揚げ足取りに必死になっている様子は滑稽ですらある。
そんなヒマがあったらしっかり仕事をして自らの実力を上げてほしいと思うのだが、漢字とカタカナの区別が付かない人だから何を言ってもムダかもしれない。

ある日、ヤ○ト運輸向けのカーゴ車に西○運輸向けの商品を入れていて、よりによって私に気づかれてしまい、本人は苦笑いという一幕があった。
私が同じことをしてしまったら(しないが)、どれだけボロカスに言われることだろう。
自分を棚に上げることを恥ずかしいとは思わないようなので、もはやマトモに付き合える人間ではないことが分かる。
そんなことだから誰にも尊敬されず、宴会の場でケイタイをいじっていなければならないハメになる。
こんな状態のままなら本人はやがて自滅の道を歩むことになるだろうが、私の知ったことではない。

収穫と言えば、師匠から半ば無理やりにトラックの運転の練習をしようと言われて、会社の近くの道路を恐る恐るトラックでウロウロした。
普通免許で運転できる大きさとはいっても、小型の乗用車でさえ壁にこすったりしている前科がある私だから、当然不安はある。
しかし師匠は、本気で私に製造工場からの運搬を担当してほしいようで、何回かは練習があるだろうが、数週間後には製造工場のほうへ行っていることになると思われる。
せっかくのチャンスなので前向きにとらえ、いつでも師匠の代わりが務まるようにしたいとは思っている。
フォークリフトと違って今度は公道上だから、より一層の注意は当然必要だ。

あのチンピラさえいなかったら毎日はとてもラクなのだが、これまでの積み重ねで強力な味方も得ているので、カスにもならない人間のことは気にせず、日々自信を持って臨みたい。

「ワイドビューひだ」を捨てました

2010-08-23 20:59:32 | 日記
長らく管理人の名前を「ワイドビューひだ」としてやってきたが、昨日付けで本欄のタイトルも変え、管理人としての名前は仮ではあるが本欄のURLにもある「style306」ということにした。

「ワイドビューひだ」のほうは、かつて私が在籍していた「青春片道切符」というバンドで、それぞれが鉄道にちなんだ芸名を付けていたことに由来する。
JRの時刻表からカタカナ表記の列車をピックアップして苗字の上に付けた。
私が付けていた名前のみ実在の列車とかぶっていて、分かる人には分かるという感じであった。
今もバンド自体は続いているようだから、そこは変更はないかもしれない。

続いているようだ、と表現するくらいだから、バンドの近況は知らない。
在籍していたときもメンバーで飲みに行ったなどの記憶はないから、まさに練習と本番だけでつながっていたバンドだった。
当然ながら今は当時のメンバーとの交流はなく、某メンバーのウェブサイトにある本欄へのリンクはずいぶん前に削除された。
私もしばらくは演奏を聴きにも行っていないので、関わりはまったくないと言っていい。

富山県の東側、富山市より東側は新川(にいかわ)地区と呼ばれる。
一般的には、魚津市・黒部市・入善町・朝日町の二市二町を指す言葉で、まれに滑川市をまぜる場合もある。
私はその中の魚津市で生まれ育ち、高校を出るまではずっと魚津市内で過ごしてきたから当然「故郷」という思い入れはある。
実家もあるし、妹の家族も住んでいる。
自然が多く、かといって生活に特に不便もない土地だから、好きかと言われれば当然答えはイエスである。

バンドのほうも新川に拠点を置く人間ばかりで構成されていたから、どことはない安心感があったのは確かだ。
しかし、私の身勝手でバンドを離れ、また私自身の事情もあって、どんどん新川とは心理的な距離が遠くなりつつある。
今は職場が滑川市となり、いっそ体ごと地元に戻るいい機会とも思ったが、結局は富山市内に定着することを選んだ。
その理由について詳しく書けば字数がいくらあっても足りない。
一つだけ言えることは、本来の故郷である新川の地と「付かず離れず」の状態にあることがなぜか今の私には心地よいということである。

本欄のタイトルにある「Kakinoki」とは、JR魚津駅近辺に広がる「柿の木割り」という飲み屋街の名前から来ている。
どこにいようとも、心のどこかには故郷を思う気持ちをタイトルに込めたつもりである。

歌う楽しみ、ひとりの楽しみ

2010-08-22 23:39:01 | 日記
この週末は、金曜には同僚のTさんに魚津市の温泉に連れて行ってもらって飲み、土曜には富山市内にライブを聴きに行ってから飲みと、給料日前にしてはずいぶんと散財をしてしまった。
しかし両日でもって、今まで体験したことのないような楽しい時間も過ごすことができたし、やがて四十にもなろうかという私が「カドが取れる」どころかむしろ逆の方向に行きつつもあるようだ。

飲みに行けばマイクを握ることが多い私だが、機会が変わるごとにいろんな引き出しを開けて、まず自分が楽しむことをいつも心がけている。
本人が楽しんでいなくて、たまたま居合わせた他のお客さんが楽しんでくれることなどあるものか。
どんなに普通の会話を尽くしても、歌の力にはかなわない。
日本語だろうと英語だろうと、心に何かを感じてくれたら初めて会った人でも心地よい反応が返ってくる。
まさに一瞬で人と人とをつなぐことができるのは、音楽以外にはありえないと思っている。

Tさんあたりと行動する以外は、週末はだいたい一人である。
一人は気楽だし、そもそも群れるのがキライな性格もあって、決して寂しいなどと感じることはない。
一人の時間を楽しむ技術(?)は人並み以上に持っているつもりだ。

とはいえ、たまにはいろんな場面でのいろんな感情を誰かと「共有」できる時間があったらなと思う。
相手は男性でも女性でもかまわないのだが、ことさら女性と縁遠い人生を生きてきたので、今この段階で「彼女」という存在があったらどんな感じなのだろうという気持ちはある。
仕事も不安定で、体調も今よりは良いとは言えなかった時期が長かったものだから、そういうことをやっと考えられる状況になったとも言える。
気になる人がいないわけではないし、毎日を過ごす上でいい張り合いになっているのは事実だ。
しかし、良く言えば自由自在、悪く言えば勝手気ままな私だから、まかり間違って私のとなりに来ることになってもいろいろと困らせてしまうことになる気はする。
そんな奇特な方は少ないとは思うのだが、機会を見て、気になる方には話しかけるなり何なりしてコミュニケーションを取ってみたい。
飲み屋のお姉さんだけが話し相手というのはいかにも寂しい。
相手は商売だということが分かっているから、その場でははじけられても、店を出て一人になった時の何とも言えない空しさは付いて回る。

本日付けより、表題を「blog Kakinoki-Style」としました。
ウェブサイトのほうも本欄に準じて名称を変更します。
今後ともよろしくお願いいたします。

大事な週末へ

2010-08-19 21:15:06 | 日記
昨日に続いて今日も仕事量はそれほど多くなく、年長者を中心に定時上がりできる人もいた。
女性陣も主婦が多いから定時上がりの人もいつもは多いのだが、今週は新製品のラベル貼りが佳境に入って、六時半に上がった私より遅く残っている人もいた。
こういうことを書くと今の時代うるさい人もあるが、繊細な仕事はやはり女性陣のほうが合う。
机やイスなど大した設備もなく、ダンボールを座布団がわりに正座してやっている人やら、折りコンを机がわりにしている人やら、各人思い思いのやり方で車座になって作業をしている光景はこちらの部署ならではといえる。
製造工場からの応援もあって作業は順調だ。
今朝の朝礼の段階で、今週末の土曜出勤は回避できそうだと伝えられた。

そうなれば、土日二日間のうち最低一日は自宅にこもって引っ越しの準備だ。
最低一日と言ったのは、まだ四日分残っている青春18きっぷがあるので、何とか一日分は消化できないかと考えているからだ。
今夏は九月十日までが使用期限だから、もうあまり時間はない。
かといって、引っ越しの準備を放り出してまで使い切ることにはこだわらない。
すでに新潟市まで一回往復しただけで、代金のあらかたは元を取っている。

今週の土曜にはいつもお世話になっている「森本浩&ivy」のライブがある。
六月、七月と続けて行ったが、たまたま六月から新メンバーが加わって女性コーラスは四名となっている。
生活がやっと落ち着いたから、それほど値の張らないライブだけに毎月行けるものなら行ってみたい。
さほど常連とはいえない私でも、先生やメンバーは、私の名前はともかく顔くらいは覚えてくれているので、毎度毎度大層なもてなしを受けることができる。
各人の得意分野がバラバラであることで自然に歌のジャンルも幅広くなり、それがまた時に意外な展開を生んだりする。
通算で百回以上のステージを決してマンネリにならずに毎月こなしてきたということ自体すごいことだが、独特のユル~い雰囲気だけは変わってほしくないところだ。

先月はそのライブを見てから行きつけの飲み屋に足を運んだ。
ライブは二十時から二十二時あたりなので、飲み直すにはいい時間だ。
その時はお店も忙しく一人でタバコを吹かす時間があったりしたが、ママさんは帰り際にそれをずいぶん気にしていた。
今月もそのライブに行くことがあれば、帰り道にはそのお店に寄りたいと思う。
行くといつも歌は歌うのだが、どの「歌の引き出し」を引っ張ろうか悩んでしまう。
今月はゆかたを着る日もあるということで、夏らしい歌を用意していこうかとも思う。

明日の仕事もわりあい静かな流れが予想される。
それに身を任せるのもいいが、ヒマな時にこそ覚えられることもある。
身勝手ながら、お盆を境に自身は「第二ステージ」を迎えねばならぬと考えており、それは当然新しいことの習得あるいはさらなる効率のアップといったことになろう。
一日一日と少しずつでも館内で存在感を高めていくことが、今後長続きさせていく上では不可欠だ。
それと並行して、毎日を安全そして確実にこなしていくことも忘れないようにしたい。

5時上がりの帰りに

2010-08-18 21:48:02 | 日記
盆明けのまだ二日目ということで、朝方はわりあい忙しい日になることが予想されていた。
最近の傾向としては、午前中はチョロチョロでも午後に入って急ぎの商品をあわてて出荷したりなどするために、まさしく急に、押し寄せるように仕事量が増えるのが常であった。

しかし今日は午後になっても仕事量はまったく上がらず、午後の四時には本来業務が終わって、私あたりは新製品のラベル貼りをする時間まであった。
盆明けの注文がいかに昨日に集中していたかということかもしれないが、箱詰め終了が午後六時を回った昨日との落差には不思議な感じすら覚える。
平準化と一口に言ったところで、こちらの部署だけでなく、お客さんや工場それに本部もすべて絡むことなので、私の立場では「こういうこともあるのか」と思っているしかない。
それにしても、朝に予想したレベルにもいかないというのは私個人としては初めてのことだった。

さて、せっかく早く仕事が終わったので、一つ大事な用事をしてから帰ることにした。
先の高校の同窓会の折に、一本のボールペンを託された。
託したほうは遠方に住んでおり、本来の持ち主は私の職場の近くに住んでいるので、借りっぱなしになっていたものをヨロシク頼むということだった。

久しぶりに持ち主たる友人の自宅に寄ってみたら、幸い奥さんが家にいた。
ペン一本は早々に返して、あとはしばらく立ち話をした。
奥さんのほうも長年一つの会社でずっと仕事を続けていたが、厳しく多忙な生活でいろいろあったようで、今はすでに職業からは離れたようだ。
久しぶりに顔を見て、少しふっくらしたのかなと思ったがこちらからそこには振らなかった。
しかし、もともと親しい間柄でもあり、そのあたりのことは自分からポロっと言ってくれたというか、気にしているとの言葉が出たので安心(?)をした。
彼女の場合は、あまり「ガリガリ」になると、私の目から見て魅力がなくなるかなと感じてはいるのだが。

そのダンナさんであるところの友人とはもちろん同窓会でも会ったし、個人的にも時々は会うが、家にオジャマとなるとずいぶん空いている。
私は当面富山市内に定着することになりそうで、あまり機会はないかもしれないが、今日のように仕事が早く終わった日などに、あらかじめの段取りを前提に訪問することもあるかもしれない。
彼も、管理的な仕事も与えられていて、帰宅は毎日そうそう早くとはいかないようだ。
この酷暑の夏だからというわけではなく、常に健康第一でいてほしいと思う。
近々また会うこともあるだろうから、先だっての同窓会の苦労話などが聞けるとおもしろい。

変な忙しさ

2010-08-17 21:32:20 | 日記
盆明け初日ということは、月の15日を越えた最初の勤務日である。
毎月のことながらその日は忙しいことが決まっている。
盆休みに入る前から、盆明けは忙しいと半分アオられていたので覚悟はしていた。

体力的にシンドイ自動倉庫だが、こういった「締め明け」の日には何となく自分の担当になってしまう。
担当は本来四名のローテーションだが、他の三人が嫌がっているのかは知らない。
私がそこをこなすのが無理と思われていれば回ってもこないわけで、とりあえずは任せられるレベルにはあるのだろうと思ってやっている。
かつて派遣で来ていた頃は、数ヶ月とはいえ毎日やっていたことで、それを思えば何ということはない。

果たして、午前中は通常の日よりも楽なのではないかと思うくらいの滑り出しであった。
午前の小休憩にも喫煙隊の人たちとその話をしていた。
朝方に聞いた仕事量の予想からして不気味な感じはしていたが、思ったとおり午後からはピックアップの数も格段に増え、尋常ではない状態になった。
さすがに一つのパレットから十個以上のピッキングとなると時間もかかるし、仕分けだけでも大変だ。

しかし、午後からは強力な助っ人が来てくれたので実際は少しツライかな程度で済んだ。
以前の記事にも書いたが、出入りの某運送会社の方が忙しいのを見越して手伝ってくれるのである。
もちろん、自分が見る荷物の量がハンパではないことから、少しでも早く自分の仕事を終わらせたい気持ちもあろう。
しかし実際は、他の社員を差し置いて私を手伝ってくれているのであり、毎度のことながら本当に感謝している。

部署全体としての役割は「出荷」だが、私が担当する多くの時間は外部からの「入荷」の受付にあてられる。
今日のような日は、外部のトラックは毎日の集配に来るものを除いては1台も来ないから、自動倉庫に集中していればよかった。
明日以降は早朝にはもう何台か待っているかもしれないので、師匠であるベテラン社員に遅れを取らぬように対応したい。
入荷から一日が始まってようやく本来のリズムに戻るような気がする。

盆明けからいきなり腰にきた感じがするので、本欄も早々に切り上げてまた明日に備えることにする。