blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

9月を振り返って

2007-09-30 23:07:51 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
中旬から下旬にかけてバタバタと変化があり、ようやく気持ち的にも落ち着いてきたところである。

派遣会社に2年半世話になっていたが、このたび縁を切った。
いい加減、毎日どこで働くか分からない生活に嫌気が差した。
事務所には迷惑をかけたが、留まったところで同じである。

復帰した勤務先での仕事はすぐに感覚が戻った。
メンバーがお互いに信頼感を持って仕事ができているから、やっていて本当に気分がいい。
今のメンバーと一緒にいられることが、とても嬉しい。

とはいえ、会社というものはいつどんな形で方針転換してくるか分からない。
わが店もそれほど売上が多いほうではなく、場合によっては閉鎖や統合という事態も考えられる。
私としては、そういったことを抜きにしても、復帰したばかりとはいえ「次」に向けた動きは考えておかなくてはいけないだろう。

話は変わって、バンドのライブが3週間後に迫ってきた。
新曲が3つあるが、まだ全体で集まっていない。
メンバーが新しくやる曲の音源を送ってくれたので、とりあえずは何度も聴いて耳コピーするよりほかない。
初めて耳にする曲もあるのでなおさらである。

来月は、ソロで、バンドで、ステージに何回か立つ。
新たな展開と言うとオーバーだが、今年の残り3ヶ月が実りの多いものになればよい。

お弁当

2007-09-29 22:28:39 | 日記
仕事は休憩が1時間ある。
近くには飲食店もあるが、復帰してからはずっと弁当を持ってきている。
おかずを考えるのは大変だが、なるべくカップめんや出来合いのお惣菜などには頼らないようにしている。
いちいち買っているとお金もバカにならない。
節約の意味でも弁当は続けたい。
外食は、気分転換程度でいいだろう。

休憩室といえば、せめて空調が効いていてTVくらいはあってもよさそうなものだが、建物が古いこともあってそういったものはない。
スペースも広くなく、昼食を食べたらボーッとしているしかない。
たまにうつ伏せになって軽く夢を見たりするが、寝過ごしたことは幸いない。

今日は、給料日後の土曜日で非常に忙しかった。
1台しかないレジに5、6人列が付いた時間帯もあった。
たまにはこういう日もあるのだからレジは2台態勢がいいのだとは思うが、平日のお客さんの入りを考えると致し方ない部分もある。
今週大きなチラシを出していることもあり、明日もお客さんは多いだろう。

10月にはメンバーがまた1人増えて、朝組3人夜組3人となり本来の姿に戻る。
とはいえ、来月入る方が仕事を覚えるまでにはある程度の時間がかかる。
仕事は店長が教えるので、私としては早く店になじんでもらえるように多少でも気を使って接していきたいと思う。

終戦。

2007-09-27 22:29:03 | 日記
タイガースは今日も負けた。
これで8連敗。
この時期になって、下の横浜に抜かれる心配をしなくてはいけなくなるとは・・・。

仮にクライマックスシリーズ(CS)に出ることになり、万一勝ち上がって日本シリーズに出てもあまり嬉しくはない。(たぶんその力は残っていないだろうが)
シーズンを1位で終えられなかったという事実は動かしようがないからである。
WBCの時も論議になったが、プロの野球選手にとって一番大切なのは、国を代表することではなく半年間のレギュラーシーズンだと思う。
その意味では、シーズンの優勝が消えた今、残念というよりほかはない。

振り返れば去年も、絶望的な状況から驚異的な追い上げを見せたが結局は2位。
今年は、春先最下位にまで沈んだ状態から同じく猛烈に追い上げて一時は首位に立った。
ここ2年の戦いぶりはファンにはたまらないが、現場は相当息の入らない状態を長く強いられてきたことが想像できる。
総得点が総失点を下回るチーム成績が物語るように、打てない打線を層の厚い中継ぎ・抑えの投手陣で何とかカバーしてきたのが今年のタイガースだ。

来年以降は、もう少し楽な試合を打線が作ってあげるのが第一で、ベンチワークとしては先発をできるだけ長く辛抱して使うようにしないと、また今年のように「疲れ負け」することになってしまう。
異論もあるかもしれないが、毎年200イニング前後をコンスタントに投げてきた井川投手の存在がいかに大きかったかということだ。

もうCSなどどうでもいい。
よく働いた投手陣は、オフはとにかくゆっくり休んでほしい。
最近は、あなたたちの姿が痛々しく見える。

危機感

2007-09-25 21:07:17 | 音楽
TVに宮崎県の東国原知事が出ていて、県内の高校生を前に講演している姿を見た。
知事が東京に初めて出た頃は、宮崎県というものが本当に知られていないことに愕然としたという。
私も学生として県外に出たとき、同じような思いをした。
富山県といっても、場所からして知らない人が大半だったのを覚えている。
学生生活の中で、地元をメジャーにしていきたいという思いが出て、最初の就職は県内に本社を置く大企業を選んだ。
結果的にこれは大失敗に終わるわけだが。

さて、知事の小学校高学年時代の夢は「お笑い芸人と政治家」ということであった。
結局は両方をかなえてしまった知事だが、そのうちで政治を志した要因は「危機感」にあった。
宮崎県の活性化を切に願う一心から、大学にも通って地方自治の勉強をし、無謀だと言われながら知事選に出て勝った。
その後の知事としての活躍は周知の通りである。
特に鶏インフルエンザへの対応は見事だったが、これもやはり農業がダメになると宮崎がダメになるという危機感の現われであったろう。

私が住む魚津市は、20年くらい前までは5万都市であった。
今は明らかに人口は減少傾向にあり、現状は4万6千人程度である。
細かい分析は専門外なので避けるけれど、北陸新幹線の駅もおとなりの黒部市に行ってしまうなど、放っておくと「衰退」の2文字がかすんで見えてくるような気がしている。
一般住民の流れは明らかに国道沿いの郊外に向いており、旧市街の凋落はずいぶん前から目に見えている。
地方都市としては観光資源に恵まれている魚津市ではあるけれど、蜃気楼など自然現象頼みの一面は否めない。
本当に魚津が活力を失ってしまう前に、市民レベルでの危機感の共有が急務だ。

私のような組織も持たない小市民が地元のために何ができるか考えたとき、これはもう歌でいくしかないと思った。
私は前向きでポップな曲は苦手だ。
だったら、飲み屋が多い街の特長を歌にしてみてはどうか。
思えばこれが「雨の柿の木割り」の始まりで、私なりの危機感の発露であった。

曲を作るという行為は、私自身の危機感の現われでもあった。
最初の職選びの失敗に始まり、これまでプロとして何の実績らしいものも残さず、流されるようにして生きてきた。
このままでは、人生で何を残すこともなく終わっていってしまう。
残された人生で、自分を生かす形で何を残していけるのか。
プライドや経歴や固定観念その他すべてを取り払い、真っ白な中から本当に自分がやりたい、そしてできることは何なのかを考えた。
そういった思いが「雨の柿の木割り」にはギッシリ詰まっている。

1曲だけで終わるつもりはないが、この曲を死ぬまで歌い続けることが私に課せられた使命だ。
使命を悟った今、恐れるものは何もない。

明日は休み

2007-09-24 22:40:16 | 日記
復帰後4日間の勤務が終わった。
肉体的につらい仕事ではないものの、久しぶりの分緊張した。
通常店を一緒に閉める役目の方とのコミュニケーションは大事にしたつもりだ。
朝組、夜組それぞれで結束しないと、メンバーが足りる10月以降も大変だ。

いつもは昼からの出勤なので、朝は楽になってナマクラしてしまう。
派遣会社の事務所のときは5時半起きもあったが、そうしなくてもいいとなると9時起きが当たり前のようになるから、人間勝手なものである。
メリットも多々あって、午前は洗濯をしたり弁当を作ったりする時間が持てるし、その気になれば銀行などの用事も済ますことができる。
デメリットはやはり夜にお腹がすくことだが、実家にいたときのようにすぐにメシにはありつけない。
勤務後の体を引きずって夕食の用意というのはこたえるが、こればかりは仕方がない。

明日はつかの間の休みだが、何をしようか。
電気代の請求が来ていた。
暑い夏を反映して(?)けっこうな値段だ。
さっさと払って楽になりたい。
月末にかけては支払がめじろ押しだ。
競輪などはもってのほかだ。

このあとはまた6日連続で勤務だ。
体を休めることに主眼を置くが、歌方面で何か一歩でも進展させられればなおよいだろう。

出直しの日

2007-09-21 22:38:56 | 日記
今日から復帰という形で、馴染みの職場に戻ってきた。
初めてごらんになる方のために説明すると、その職場には派遣という格好で1年半行っていたが、立場の弱みで急に契約打ち切りという憂き目に遭った。
その後、派遣会社に属したまま別の現場で働いていたが、このたび派遣会社所属をやめて、あらためてこの職場に直で採用される道を選んだというわけである。

さて、出勤すると店長から庶務事項の説明があった。
半年ぶりの復帰でも、メンバーは相変わらず優しく接してくれる。
職場としておそらく最も楽しいと思えた場所に、また戻ることができた喜びは言い表せないほどのものがある。

半年ほどのブランクがあっても、1年半通って覚えた仕事はそうそう忘れるものではない。
値下げシールの作り方やモップをかける順番に至るまで、浦島太郎になるような場面はなかった。
形式上見習い期間中でレジはしばらくさわれないようだが、多少のマイナーチェンジがあった程度で大きな心配はないだろう。

人手不足の中、無理な勤務を強いられてきたメンバーも、私の加入で少しは楽になる。
微力ながら、みんなのためになることができたら素晴らしい。

営業!営業!

2007-09-19 20:12:53 | 日記
プリンターのインクがなくなったので、市内に買いに出た。
黒が少ないという警告が出ていたが、10月6日の「ダーリング祭」のフライヤーを何枚か印刷しているうちになくなった。

さて、せっかく外出したので歌方面の営業でもしようかと思ったが、どこに行けばよいか悩んだ。
市役所にはすでにあいさつをしているし、あとは出演したイベントを流してくれたTV局にでもと考えたが、いきなり訪問するのも少し変な気がした。
放送はもう終わっているが、お礼のメールくらいは出しておいてもいいかもしれない。

今年の夏はラジオやイベントに出させてもらう機会があったが、まだ小さな1歩が記された程度である。
活動をしなくても作ったものはなくならないが、活動をしなければ人々には忘れられる。
いちおうは公的性格(?)も併せ持つ曲を作ったから、自己満足で終わらず外に向けて発信する機会を多く作ることが必要だ。
「ダーリング祭」が直近のイベントになるが、人が作ってくれる舞台ばかりでなく、自分でも積極的に動いてどんどん歌っていきたい。

「雨の柿の木割り」の音源は、今は便宜上私が歌っている。
しかし、あの曲調に男声というのは、どうしてもムード歌謡の色が濃くなる。
将来的には、もともと歌詞が女性口調でもあることから、女性に歌ってほしいのが本音だ。
魚津にゆかりがある、できれば私と同世代くらいの人が望ましい。
候補は何人か頭の中にある。
ただ、ハードルが相当に高いことは覚悟している。
でも、ダメモトでも営業してみたいという気持ちは持っている。

今後、仕事は「午後~夜」が中心となる。
午前をどう有効に使っていくか。
新しい曲を作るか、営業活動をするか。
このブログのてっぺんに「ソングライター」と書いている。
気長にではあっても、それなりに活動して徐々にでもいいから成果を出していきたい。

合格!

2007-09-18 20:15:55 | 日記
午前中は、事務所の仕事をやめる手続きに行った。
事務所にとっては急な話で、非は間違いなく私のほうにある。
悪いのは私だから、いろいろと言われたがじっと耐えた。
特に、次の行き先をほぼ決めていたことに対してはボロカスに言われた。
お詫びの菓子箱も受け取ってもらえなかったが、とにかくひたすら謝って事務所を後にした。
2年半の感謝の気持ちを述べることはとうとうできなかった。
引き際を誤ると、これまでの労力は水の泡だ。

部屋に戻った日中は、モヤモヤした気持ちが残って涙も出た。
しかし、夕方には次にお世話になる会社の面接が控えていた。
ほぼ内諾済みでプレッシャーはなかったが、気持ちを切り替えて臨んだ。

さて店長との面接は、お互いに知っていることもあり和やかに進んだ。
社交辞令かもしれないが、私が来ると知って涙が出たと言っていた。
それほど人手不足は深刻で、パートさんにも無理な勤務をさせてきたことに悩んでいたようだった。
もともと、私自身が事務所の仕事に行き詰まり困り果てたのが申込に行った要因だが、店の状況も大変だと知りなおさら私が行かなければと思った。
人助けというとナマイキだが、これから少しでも店の力になっていきたい。
給料は本当に安いが、しばらくはガマンである。
それ以上に、素晴らしいメンバーとまた仕事ができることを喜びたい。

ずいぶんヤンチャな形ではあったが、派遣という不安定で不思議な状況からは脱出した。
しかし、急に経済的に豊かになるわけではない。
リスクを負って事務所をやめたわりには、収入はむしろ減るかもしれない。
しかし人間、多少追い詰められたほうが力が出る。
自分が持っているもので少しでも「稼ぎ」に結びつきそうなものに貪欲に取り組んでいくのみである。

必要とされること

2007-09-17 21:12:42 | 日記
昨日申込に行った仕事だが、今日になって店長から連絡がありアッサリ快諾となった。
前に来ていた人間がまた申込してきたので店長も驚いたようだが、派遣という形ではなく正式な社員(パートだが)としての採用になるので、とりあえず形だけは履歴書をとって面接ということになった。

一方、事務所の仕事は今日鍵を返しに行った。
いつまでも余剰人員のままズルズルと事務所に出続けることが申し訳なく、また耐えられなくなった。
現場に出るといってもほとんどが力仕事しかなく、かえって迷惑をかけるだけだ。
事務所の長とは電話で話したが、明日書類を書いて正式にやめることになった。

自分にとっては、派遣という世界からようやく離れ、パート扱いながら正式採用の身で働くことができる。
そんなことよりも嬉しいのは、自分が求められて、また歓迎されて行くことができることだ。
人手不足という事情があったにしても、いいタイミングで行くことができるのは大変ありがたい。

もちろん、2年半面倒を見てもらった事務所には感謝している。
明日の朝に訪問するときには、必ずその思いを伝えて気持ちよく事務所を去りたいと思う。

求められる場所で

2007-09-16 19:51:26 | 日記
午前中に、4月末まで勤めていた子供洋品店を訪ねた。
訪ねたといっても遊びで行ったのではなく、まだ人を募集しているのか確かめるためだった。

某派遣会社の事務所の仕事もあるが、私は正直なところ余剰人員である。
本来の予定が狂って私が行く現場がなくなり、仕方なく事務所の内勤におさまることになった。
モチベーションもさることながら、電話が苦手な私は内勤が徐々に苦痛になってきた。
上からうるさく言われるほど、体が固まってどうしようもなくなる。

子供服店の話に戻るが、パートさんに話を聞くと、ここのところ急な退職などがあって人手が足らず、とにかく大変なのだという。
状況がどうあれ、募集には申込をするつもりで行ったが、話を聞いてますます「私が行って少しでも役に立てたら」という思いを強くした。
1年半派遣で行って、おそらくは職場として最も楽しく過ごすことができた場所に、もう1度戻ってみたいと思った。

パートさんに今の電話番号などを伝え、正式に申込をした。
仕事内容など勝手は分かっていても、採用されるには面接などそれなりの手続きを経る必要がある。
が、少なくとも現場のメンバーは私を待ってくれている。
給料は安くても、自分が必要とされているところで働けるなら、これ以上の喜びはない。

明日、事務所には鍵を返しに行く。
今後の方向を伝え、仕事はしないで帰ってくるつもりだ。