blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

1月を振り返って

2016-01-31 19:08:46 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
月の終わりに来て風邪をひいてしまい、気持ち的には反省の色が濃い月末である。
何は無くとも健康が目標と書いた年の最初の月に、ちょっとした油断からのことだったから恥ずかしい限りである。
仕事を休むところまではいかなかったのは幸いだが、2月もまだまだ寒い日が続く。
2月の終わりには毎日が元気であったと書きたい。

1月は、後半になってそれまでの超の付く暖冬からは一変、日付で言うと20日と25日の朝に当地でも積雪があった。
交通機関が混乱したり事故が相次いだりしたのは、備えに乏しい当地においては致し方ない。
北陸では積雪10cm程度で大雪警報はまず出ないが、事情が違う土地でそれを言っても始まらない。
ただ、そんな天気でも自転車やバイクで動く人が多くて見ていて怖かった。
雪国にも同じような命知らずは大勢いるのだが。

せっかくの最終の土日は大事をとって引きこもりとはなったが、月全体としてはまずまずの中身はあった。
長い年末年始を実家でゆっくりすることができ、仕事が始まってからも特別大きなミスやトラブルはなく過ぎた。
3連休には四国に出向き、思った以上のメニューを入れ込んで帰ってこれた。
次の週には名古屋城にようやく足を運ぶこともできた。
そのまた次の週は、多方面からのお誘いもあり富山まで出向いて楽しんできた。
最終週の某平日には再び会社の方と出る機会があり、私にとっては初めての地域でひととき過ごすことができた。

話は戻るが、今回の風邪は存外長引いた。
私が風邪をひく時はだいたい発熱を伴うので、厚着をしてフトンをかぶって、ひたすら汗を出して解決する。
今回は一度下がった熱が再度ぶり返したから焦った。
天候の急変についていけなくなってきたか、はたまた回復に少しずつ手間取るような年齢になってきたということか。
日々の生活で油断しないことに加え、予定を詰め過ぎて無駄に疲れないように、これまで以上に気をつける必要がありそうだ。
全体にはいい過ごし方ができた1月だから、全ての日を健康な状態で送れたら2月は1月よりもさらにいい月になるだろう。

今週はちょっと

2016-01-28 18:18:12 | 日記
今は寝そべりながら書いている。
水木とスッキリしない体調で、何とか明日さえ乗り切れればという心境だ。

先の土日から月曜まで用事が立て込んでいたことはあるが直接の原因ではない。
火曜、サッカーの五輪代表のイラク戦を見ようと考え、しかし月曜の飲み疲れもあってキックオフの時間まで仮眠しようという時に薄着のままだったのが響いた。

目が覚めた頃には試合は終わっていて、しかも体が何か変だ。
昨日は会社には出て行けたが、終わり頃はつらかった。
自宅に戻ると発熱もあり、一も二もなく横になって、厚着もして汗を出した。

幸い今朝は熱が下がって仕事を休むことはなかった。
ただ、一晩で体温を二度下げた体はベストには遠かった。
中身はいつもよりは短めにして、大事を取ってこのまま休むことにする。

当地は冬場もよく晴れるだけに、日の中での気温差が大きい。
雪が少ないからと安心するのではなく、北陸との違いも頭に入れながらこの冬を乗り切りたいと改めて思ったところである。

平和に終了

2016-01-22 20:30:16 | 日記
今週は月金の通常勤務、日によって仕事の量に波はあったがミスやトラブルはなく順調に過ぎた。
何かと口さがない一部の人間も、日々の積み重ねが効を奏してあからさまな攻撃はなくなった。
ずいぶんストレスの少ない状況にあることは幸せだし、それは日々の体調や睡眠の取れ方などでも分かる。
精神的にきつい時は、寝付きも悪いし胃腸もゆるくなる。
よほど風呂上がりに薄着でいすぎて湯冷めしたとかでない限りは大丈夫な気はする。

さて、当地では水曜に大雪警報が出て、積雪は10cm程度にはなった。
備えに乏しい地方だけに、電車は遅れるしクルマは混雑するしで遅刻する人が多数いた。
私は自宅が会社に近いから天気が悪くなれば歩いていけばいいだけで問題はなかった。
存外本格的な雪になったので、クルマの雪を落としながら久々の雪の感触を確かめていたほどだった。
生活には何かと不便だが雪が降ると何となくテンションが上がるのは、やはり私も雪国の人間ということだろう。

さて、当地ではまだ夜にはほとんど出かけていないことは何度か書いた。
その雪が降った日に、名古屋市内から通っている某同僚の方が飲みに誘ってくれた。
その人はいつもはクルマで来ているが、その日は雪を考慮して電車で来たから会社の近くでどこかということだった。
昼間のうちにオススメを周囲に聞き、そこで話題に出たJR春日井駅近くにある居酒屋に行った。

その人とは一度名古屋市内で飲んでおり、コミュニケーションは問題ない。
お店も、人気店ながら行った時間がかなり早かったから席を確保することはできた。
魚料理のイメージには乏しい当地の中でも魚に力を入れていて、周囲のオススメになっているのもそのあたりが理由のようだった。
前回から約2ヶ月あまり、おしゃべりするのはほとんどが向こうなのだが、共通の話題も多いため気を使うこともなく楽しく過ごすことができた。
さすがに店内もいっぱいになってきたこところで退散し、駅前の某店でもうひと遊びしてから帰った。
知らない土地で、ひとりではなかなかキッカケがつかめないでいたところでの誘いだったからありがたかったし、あとは一人でもひょいと行けるようなお店を探すことができたらよい。
名古屋のど真ん中とは違っていい意味での田舎くささもあり、さらに開拓する面白さはありそうだ。
週の真ん中で飲む機会を持つと、案外勢いで金曜まで持ってしまうことが多い。
月曜火曜はともかくも、水曜木曜あたりなら金曜ほどは混雑もしないので、富山にいる時も案外平日に飲んでいたものである。

明日から月曜にかけては10年に一度とも言われる寒波がやってくるそうだ。
しかしその後を見ると、当地では最高気温が10度を超えるような日が続くと予想されている。
今シーズンの冬は、強烈な寒気が一発二発だけやってきて、その後はまた暖冬ということになりそうな予感もする。
いずれにしろ、交通安全はもちろん、体調にも気をつけながら、もうしばらくの冬を乗り越えたい。

争いたい人

2016-01-18 20:37:40 | 日記
年末が押し迫り新年を迎えようという時、誰もが来たる年こそ良い年にと願う。
新しい年がまだ始まっていない段階で悪いことを願う人はいない。
ところが、年が明けてみたところで、世の中からは争いやらウソやらダマシやら盗みやら虐待やら偽装やらはなくならず、それらが痛ましい事態を招くことにもなっている。
何も年明け早々からこんなことが起きなくても、と思う出来事が多くて暗い気持ちにもなる。

私の故郷である魚津市の某スナックで、一人のご老人が「一番になりたいという欲望が人間にある限り争いは無くならない」とつぶやいた、とはずいぶん前に本欄に書いた。
唯一の超大国の地位は守りたい米国と、その座を虎視眈々と狙う中国とのことを例えに書いた覚えがある。
近年の世界情勢は東西冷戦時のような一対一の単純な状況ではなく、種々の勢力が「我々が最も正しい」と主張しあってゴチャまぜになっている状況だ。
テロや虐殺をも厭わない過激派も入り混じり、毎日何百何千の普通の市民が犠牲になっていると思うとこれまた暗い気持ちになる。
自分たちの思想信条が絶対で他は正しくないと思うから、他は排斥すべきものとなり争いが起きる。
どの宗教の教祖様も決して自らの教えだけが正しいとは言っていないはずなのだが。

話を自分の身の回りに戻すと、なぜそこまで争いたいか、と思う人はいる。
どう高く見積もってもそう図抜けた能力は持っていないのだが、できないヤツと思われることを極端に恐れるのか、自分が正しいことをアピールしたいのか、せっかくの仲間を攻撃するほうに走ってしまう。
相手は相手で明らかに攻撃する意図を感じるから、当たり前のようにケンカになる。
大切な仲間でありながらこれでもかと攻撃しなければならないのは自分のみを正しいと信じるからだが、これこそ原理主義、己に自信が持てていない何よりの証拠であり、どこぞの過激派と何ら変わりはない。
また、逆に他から指摘や注意を受けた時も過剰に反応して延々と人前でケンカをすることがあるのも、実際の力以上に自分はできる、あるいは正しいと思い込んでいたいがゆえである。
これでは本当にその人が何か困っても助けようという気になれるか分からない。
少なくとも、自分からすすんでからんで行きたくはない人である。

週の初めから不毛なバトルを見せつけられると、自分には何も関係がなくてもイヤな気持ちになる。
事業所の中でお世辞にも位置付けが高いとは言えないセクションで、無駄な言い争いばかりしているのは良くない。
底辺は底辺なりに日々プライドを持ち、果たすべき義務や役割を誠実に片付けていけば、やがて周囲の見方も変わってくるのだろう。

すべてはこれから

2016-01-16 23:15:25 | 休日
今週は水木金と3連休の旅行記で埋めてしまったので、休み明けからのことは何も書いていない。
書いていないからといって誰からも文句は言われないし、平日の仕事で特に変わったこともなかったから、今日あたりは別に無理をして更新する必要はない。
ただ、頻繁に更新するとやはりPVも訪問者の数も増えるので張り合いにはなる。

今は残業もほとんどなく自分の時間が多く持てるので、3日か4日に一度と言わずマメに更新することができる状況にはある。
毎日が肉体労働とはいえ、仕事が終わって食事をとり風呂に入ったら何となく横になってしまい、部屋の電気をつけたまま寝てしまう、といった時間の使い方はいかにももったいない。
日々のルーティンとして、頭の体操として、また日々のあれこれを吐き出す手段としても本欄の更新を有効に使うに越したことはない。
2月の初旬には、本欄を開設してまる9年となる。
ただただ苦ではないだけで続いてきたが、故郷を離れて暮らし、一人でいる時間がこれまでよりも多くなっている中、本欄に日々雑文を上げることが生活の中でより大切になっていくのかもしれない。

当地でなじみの居酒屋かスナックでもできれば、会社の枠を取り払った一人のオッサンとして話ができる場所になりうる。
ストレスを発散して当地での日々をより楽しくするためにもそろそろ自ら開拓に動かなければとは昨年から書いている。
旅行先で初めてのお店にふらっと入る勇気があるなら、もともと外様なのだから住まいの近辺であっても同じようなものだ。
何軒か回って、自分に合うお店に出会うことができればよい。
毎週毎週を旧友のつてに頼るわけにもいかないし、かといってウザウザをため込んだまま日々を送りたくはない。

特に決まった予定がなかった今日は、地下鉄の一日券を利用して名古屋市内を回った。
大須の商店街から始まって、矢場町交差点近くの雑貨屋さんで買い物、最後はまだ行けていなかった名古屋城に足を運んだ。







名古屋は大きな街なので、一回一回は行ける場所は限られる。
大都会だから交通は便利で、ある程度の行き当たりばったりは可能でも、ただ漫然と出てきても意味がない。
せっかく違う土地に来たのだから、名古屋に限らず見聞を広め、いろいろなものを吸収したい。
まだ当地に来て3ヶ月経ったばかり、公私ともども焦る必要はさらさらない。
すべてはこれからと思って日々を前向きにいきたいと思う。

1月11日の行状

2016-01-15 21:03:31 | 旅行
旅行の2日目で、目的はほぼ終了と書いた。
完全に終了したのではなく、旅の最後にはオマケ的ながら一つのコレクションが完成することになっていた。
その目的は午後の予定だったから、空いていた午前は高松市内を歩いてみることにした。

瀬戸大橋ができる前、宇高連絡船しかなかった時代は四国の玄関口の役割を一手に担っていた高松も、JRの特急の多くが岡山から直接乗り入れるようになりターミナルとしての役割はやや薄くなった。
その後相次いで鳴門海峡大橋やしまなみ海道が整備されクルマで四国に入る方法も多様化したので、本州との往来という意味では高松に集中していたものが分散したということになる。
それでも人口40万以上を抱える大都市であることには違いなく、また小豆島をはじめとした航路の拠点であることも変わりはない。
駅前から繁華街にかけての道路も碁盤状に整備され、歩きやすい街であった。
今回は高松駅を起点に中心繁華街である瓦町まで行って、駅前方面に戻り高松港を歩いた。







高松ではただ一回の讃岐うどんをいただき、いよいよ本州へ帰るためにマリンライナーという快速列車に乗った。
岡山までは約1時間、瀬戸大橋からの景色を楽しみながらの快適な移動であった。

旅の最後の目的は、岡山後楽園に行くことであった。
岡山県そのものは訪問歴があったが、後楽園に行けば日本三名園をすべて行ったことになるので旅の最後の楽しみとして計画していた。
寒い中にもかかわらず、そこそこの来園者があった。
桃太郎のふるさとらしく「ももソフト」なるものも売っていて、夏でもないのにけっこうな人気であった。
花の季節であればなおよかっただろうが、こればかりは仕方がない。







地方ならではの不便さに悩まされながらも、出発前に思い描いていた部分はすべて網羅できた。
今回の旅行そのものも得るものは多くあったが、何より休みが3日もあれば遠出してしまうという本来の自分に戻れていることが今は幸せである。
一日一日、体を大切にして、これからの寒さも乗り切って、今年中にはあと残り3つの県に訪問して全都道府県訪問を達成したいと思っている。

1月10日の行状

2016-01-14 21:00:47 | 旅行
高知での目的を果たし、次は徳島県に入ることにした。
都道府県訪問のルールとしては、列車なら改札を出て何らかの行動をとるというしばりは作っているが、訪れる場所はその県の領域であればどこでもよしとしてきた。
県庁所在地は必須などと条件をつけるのは、大部分を富山という田舎から出向いてきた身には厳しすぎる。

この日は当初、祖谷のかずら橋に行くつもりで大歩危(おおぼけ)駅でひとまず下りた。
駅前には列車に接続して祖谷渓に向かうバスが待っているはずだったが、待っていないどころか気配すらない。
あらためて時刻表を見直すと「4月~11月の土日・休日運転」とあった。
1月は、私が乗りたかった時間帯にはバスは運行されていなかった。
大歩危駅で大ボケという漫画のような展開になってしまった。

駅前には見事に何もなく、次の列車までは1時間ほど空くので、仕方なく大歩危峡近辺を散策することにした。
幸い周辺は全国的にも有名な景勝地なので、ぶらぶら歩きで景色を眺めているだけでも気持ちよかった。
2枚目の写真にもあるように、水の透明度にはただただ感心。





予定が早まったので、大歩危から特急で20分ほどの阿波池田駅で下りた。
池田という名前の通り、もともとは池田町、現在は市町村合併によって三好市の一部となっている。
この地で有名なものといえば、やまびこ打線で甲子園を沸かせた池田高校がある。
案内図を見ると駅からわりあい近かったので、校舎の前まで行ってみることにした。
校舎の前からは旧池田町の市街地を見下ろすことができた。





阿波池田駅から池田高校までは徒歩で10分くらいであるが、校舎に行くまでには長い階段を登る。
それだけ平地が少ない、文字通り山あいの町だ。
決して大きくはない町の高校が全国制覇まで成し遂げたことは、ひとえに故・蔦文也監督の力が大きい。
町おこしのために「つたはーん」というキャラクターまでいるくらいだから(自前の画像がないので検索されたし)、その影響力がうかがい知れる。

時間的には短いながら徳島県を首尾よく訪問でき、次は香川県である。
目的は金刀比羅宮を参拝することだった。
予定が早まったため、11日に参拝する段取りを繰り上げることにした。
JR琴平駅を下り、歩いて10分ほど行くと、本堂まで785段にもなる石段のスタートである。
じっとしていると寒く、しかし登っているとだんだん暑くなってくる。
中には1月とは思えないような薄着になっている人もいたが、いかに道のりが厳しいかということだ。
本堂と、本堂そばの広場から撮った景色の写真を載せる。(本堂は横からのアングル、正面から撮ることは禁止されていた)





道中で分かったことだが、金刀比羅宮の縁日は毎月10日であった。
大歩危でのハプニングで予定が早まったことで、縁日にあたる日に参拝できてよかったと思う。

ここまでで旅の目的はほぼ終了、全国47都道府県のうち、行っていない県はあと3つとなった。
11日はもうオマケのような感じにはなったが、当初予定にはなかった高松市街を組み入れることだけを決めて次の日に備えたのであった。

1月9日の行状

2016-01-13 20:26:31 | 旅行
1月いきなりの3連休は、前々から計画していた四国旅行を実行した。
今回の目的は、高知競馬場訪問、加えて香川県と徳島県を訪問という2つだった。
相変わらずのドタバタした道中、日々ネタが多すぎるので1日ごとに分けて書こうと思う。

その前に8日の金曜のことに触れる。
年初早々に旧友との新年会が実現した。
彼のホームとも言える岐阜市内、もともと前回会った時に次は岐阜でということになっていた。
駅前の飲み屋で一次会、二次会は一部時間帯でピアノ生演奏をバックに歌えるお店という豪華二本立てであった。
旅行の前日だというのに、日頃培った(?)芸も出し惜しみせず存分に楽しみながらギリギリの時間まで飲んでいた。
旧友自身は翌日も出勤だったというのに、ありがたいことである。

さて本題。
朝は9時半の新幹線に間に合えばよかったが、飲み過ぎがたたってややダルい旅立ちの日となった。
とりあえずは高知へ向かうため、岡山で特急列車に乗り替えた。
瀬戸大橋を渡って予讃線から土讃線へ、四国の険しい山中を振り子式のディーゼルカーが右に左に傾きながら突き進んで、15時前に高知に着いた。





まずはホテルに荷物を置き、さっそく競馬場への交通を確認した。(高知はナイター競馬を開催しているため夕方から行っても間に合う)
書いているときりがないので省略するが、JR高知駅が必ずしもターミナルの役割を果たさず、駅から1km弱離れたはりまや橋交差点を中心として構築されている交通体系は、遠方の人間にとっては複雑怪奇の一言であった。
路面電車とバスを乗り継いで何とか競馬場最寄りのバス停までたどり着いたと思ったら、競馬場はそこから1km近くあって15分ほど歩く羽目になった。
公共交通機関で行く人間にとっては大変難儀な競馬場であった。

高知競馬場はこの季節でもナイター競馬を開催している。
コースは、阪神競馬場の内回りコースのようなおむすび型をしていて、地方の競馬場としてはやや特異である。
3~4コーナーが緩いため、逃げよりはマクリのきく馬に有利とは帰る頃にようやく知った。
ナイター照明がつくとさすがに見栄えがしたので写真を何枚か撮った。





成績は残念ながら振るわず、アクセスも含めてつらい経験とはなったが、未訪問の競馬場はこれで北海道の帯広と門別の2つとなった。
夜は市内の居酒屋で、名物のカツオはもちろん、栗焼酎なる珍しいものもいただいて気持ち良く眠りについた。

<オマケ>
個人的にかなりのガッカリ観光地であるはりまや橋。


無難に滑り出し、でも。

2016-01-07 20:27:43 | 日記
世の中の多くの人は4日が仕事始めだった。
もっと早くから働いているサービス業や小売業の方にはお叱りを受けるかもしれないが、年末年始の休みが明けていきなり一週間フルに勤務というのはなかなかにつらいものがある。
曜日の並びを恨めしく思いつつ、土曜からの3連休を待ち遠しく思っている人も多いだろう。

正月に限らず、長い休みの後に仕事に出て行くのは誰でもユウウツなものだ。
普通の土日以上に心と体を緩め切っているところから気持ちを平日仕様に持って行くのはなかなか難しい。
私もご多分にもれず、今年初めて仕事に行く直前はかなりイヤだった。
転勤してから3ヶ月の間、知らず知らず緊張していたものを実家でダラダラにしてしまった後なので、現実に帰ることに不安があった。

幸いにして正月明けは仕事のペースとしてはそろりと始まったので、少しずつ思い出して入り込むことができた。
今日、木曜日まででほぼ通常の流れに戻ったところで取り立てて大きな不安要素はない。
すすんでやるべきはやり、人に任せるべきは任せ、場面場面でよく見極めて、これまでよりはいい意味で毎日をユルくいきたい。
不必要に意欲的であることは、物理的な作業スペースの問題もあってかえって他人のジャマになることも多いと分かったからである。

個人としては無難な滑り出しができた今年だが、世界では早くも数え切れないくらいの不穏な動きが出てきている。
昨年までは顕在化しなかったイスラム圏の国どうしの対立に加え、我が国のご祝儀相場さえ許さなかった中国の株安、真偽はともかくも北朝鮮の「水爆」実験強行と、年明けの早い段階で何かが起こってしまいそうな気さえする出来事ばかりだ。
難民や過激派、埋め立て問題など、昨年から引き続き存在する問題まで総合すると、いよいよ戦後70年を超えて白人支配の終焉がすぐそこまで来ており、今から数年は世界が変わりゆく過渡期ならではの混乱が避けられないということかもしれない。
我が国が、予想される混乱に耐えられる姿であるのか、法的な枠組みも含めて、いよいよ一人一人が「安全」を意識せざるをえない時代に突入したようである。

世界でどんな争いが起きていても、国内で痛ましい事件が伝えられても、私自身は目の前の現実に向かっていくしかない。
元気な体を取り戻して新しい年を迎えられたので、この後も日々元気でいられるように努めて日々の役割を果たしていきたい。
その上で、昨年やり残したことも少しずつでもクリアーしていって、人間的にも幅を広げられたらと思う。

謹賀新年

2016-01-04 21:37:53 | 日記
新年明けましておめでとうございます。
本年も当欄をよろしくお願い致します。

長い長いと思っていた年末年始の休みも、実家で寝てばかりでアッという間に過ぎていった。
今年の年始は今日4日が月曜のため、帰省ラッシュが2日や3日に集中すると思いクルマでの帰省をあえて避けた面がある。
北陸もまったく積雪はなく足元はよかったから、やや滞在中の行動に不自由さを感じたものの、文字通りの骨休めができたことで今回は良かったのだと思う。

繰り返しにはなるが、昨年は体調を崩して夏場をほぼ全休した。
長く休んだ後の復帰そのものにも不安がある中、会社の配慮とはいえ住む土地までが変わっての再出発になった。
働ける体に回復して、また仕事ができる喜びを持って臨んだ10月からの3ヶ月、職場や周囲にも恵まれて順調に過ごすことができたと思う。
それでもやはり知らない土地に来て新しい仕事ともなると、気持ちが空回りというのか、良かれがアダとなるような体験も多く余計な疲れを感じることも多々あった。
知らず知らずのうちにストレスはたまっていて、昨年の仕事納めの日には心底ホッとしたものである。

富山では、実家の家族はもちろんのこと、地元の仲間や親しい人のありがたみをこれまで以上に感じることができた。
私の元気な姿を見て喜んでくれる人々のことを思い出せば、遠く離れた当地にあって孤独などということはない。
この節、交流や通信の手段はいくらでもある。
メール一通、電話一本でずいぶん心は癒される。
気持ちを強く、自信を持って日々を過ごしていけばよい。

もちろんせっかくの新しい環境、当地での人間関係がまさにこれから作られていくとしたらそれはそのまま自分にとってプラスになる。
せめて毎日をもう少し穏やかにいけたら何とかなるのではとは思う。
例えば他人など、変わらないものにイライラしたところで、結局は自分の体に響いてしまっていいことは何もない。
気持ちを抜くべきところは抜いて、日々を無理のない形で乗り切りたい。
せっかくの環境で長く役に立っていくためには、何はなくとも体第一だ。
大きなことができなくてもいい、微力でも労働力であり続けることが組織に貢献するただひとつの道だ。
苦しかった昨年を踏まえて、今年はひとりのプロとして体調が原因で休むことは避けたい。
スケールは小さいが、私にとってはこれが今年の大きな目標なのである。