blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

2月を振り返って

2019-02-28 20:50:21 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
と言っても、2月の前半はインフルエンザにやられてマトモな生活ができなかったため、本当にあっという間に終わってしまった感じがする。
プライベートも、それほど遠出ができたわけではなく、当地のお祭りを見に出かけた日が一日だけあったくらいである。
通常の毎日は、大した仕事でもないのに妙な疲れを感じるから、それほどテレビや読書に当てる日もなく、早々に寝落ちしてそのまま朝までという日も多かった。

3月の声を聞けば、気象の世界ではいよいよ春の到来、すでに飛び始めている花粉に対する手当ての面倒さは別にしても、気温も上がり気分も外向きに変わってくるはずである。

仕事は2月からお試し期間が終わって本採用となった。
周りがどう思っているかは横に置き、特にギアを一段上げようなどとは思わず、1月までと変わらず、やるべきことをやるべき時までに終わらせることだけを考えた。
会社の中でももはや多くを期待されない立場なので、目標すら掲げず、会社に余計な迷惑をかけないようにするだけである。
とりわけ公私を問わず「事故」には非常に敏感な環境だけに、日頃の自転車やクルマの運転には特に気をつけたい。
お酒を飲み過ぎたらそのままお店で倒れこんでいる方が、無理に運転して捕まるとか事故を起こすとかよりも100倍いい。
その後、お店に出入り禁止になっても会社にはダメージはない。

3月以降は、会社としての残念な事態を受けて私が受け持つ仕事の種類も量も増えそうである。
明らかに時間外労働に不均衡があった中で(稼ぎたい人は毎月限度ギリギリになるように仕事をうまく抱えて計算しながら働くので)、一人が月の早々に「限度超え」という深刻な事態になってようやく、いわゆる平準化に動き出した感がある。
今まで「自分の仕事」として抱えていたものも、たとえ不安があろうとまだ経験の浅い私のような事務員に少しずつ振っていかないことには、またぞろ月の真ん真ん中で「これ以上残業できない人」になってしまう。
あまりにも恥ずかしい状況を続けてほしくはないので、できる限りの協力はしたいと思う。

今日は、これまでロクに会話らしい会話もなかった女性が、私あてのFAXを私のデスクに持ってきてくれた。
ありがたいという気持ちを持たないことは絶対にないのだが、けっこうなマジ顔で「ありがとうはないの?」と聞いてきた。
「ありがとうございます」と言うとようやく「オッケー」と言って去っていったが、同じようなやりとりがもう一回あり、ありがとうを返したが、今度は声が小さくて聞こえなかったと不満そうであった。
実質最初の会話がこんな感じでは、正直3月以降やりにくい。
「ありがとう」は決してほしがるものではないことが理解できていない人物と席を並べて仕事をしなくてはいけないことで、かなり苦しい場面が出てくることも予想される。
仕事そのものはともかく、事務所での居心地が今後悪化するようなことになれば、日々の動き方にも今後変化をつけなくてはならない。

休みも平均して土日をベースに取ることができるようになり、もう数ヶ月経てば有休もいくばくか付いてくる。
休日は、何の楽しみもない場所のことなどサッパリ忘れて思い切り気分を変えられるようにしたいものだ。

激変?

2019-02-27 19:42:06 | 日記
私の身辺は、3月に入ってからずいぶん様変わりしそうである。
もともとこれまでやるべきことも多くなく、手早く済ませて気持ち30分か1時間残業して帰る日々が続いていたが、ここのところ急に、今後お願いされる仕事の話が立て続けに出てきて、頭を整理するのに少し難渋しているところである。

これは、私自身がいわゆる試用期間を過ぎ本採用となったことで、今後の成長を祈って「もうお客さんじゃないぞ」ということでより多くの業務を任されるようになるというキレイな話では毛頭ない。
まさしく「急に」というのがこの話のミソであり、一人の事務員たる某氏のここ数日の言動から、今の組織の状況、ひいてはこれまでの、我が社で働く側の意識というものが透けて見えてきた。

大変残念な話ではあるが、我が社の現場ではひと月ほど前に社員のケガを伴う事故が起きた。
そのため、我が社が仕事場をお借りしている事業所から、期間を定めて「特に安全に注意すべき会社」とされ、その期間はほぼ常時何らかの監視を受けながらの業務という息苦しい事態になってしまった。
その後、我が社を指定したその事業所そのものまでが同じような指定を受けてしまったため、我が社への監視期間もそれにつられて延長になるという考えられないような仕打ちまで食らって、相当先まで厳しい監視のもとでの業務を余儀なくされることになった。

私の話に戻ると、某氏が私に引き継ぎたいという仕事が急にたくさん出てきたのは、事故対応さえなければ自分で抱えて毎月規定ギリギリまで残業できていたものが、外部対応や再発対策に追われてできなくなるので「あわてて」私に振ってきているというのが本当のところだからである。
事故が起きたのが1月終わり頃で、某氏の2月は外部対応や書類作成のため信じられないような帰宅時間の日もあり、月の途中で「これ以上残業できない人」になるなど何ともお気の毒なことになっていた。
3月以降も対応に追われる日が続くことが予想されるので、残業時間の限度を超えないためにもこれまでルーティンで抱えていた仕事は一部手離さざるを得ない。
また、4月からのより厳しい法規制も見据えると、いつも早くに帰るヒマそうな社員に今のうちに頼んでおけという気持ちになるのも仕方がないところではある。

しかし私は私で、月々の残業時間は非公式ながら「これくらいで」と頼まれている。
某氏の残業時間がまたぞろ月中に限度を超えたりなどしないように、組織の一員としていわゆる平準化になるなら協力はするが、私のような覚えの悪い社員が逆に守るべき残業時間を守れないような形、言っては悪いが多忙にかまけての丸投げのような形だけはぜひやめていただきたく思う。
たとえ身内同士の冗談であっても、監視期間の延長で「やる気がなくなった」と発言してしまう人物だから、穏やかな物腰とは裏腹に、ヤケクソ半分の無茶振りも予想しておいて損はないのだろう。

スキルは強い

2019-02-25 19:09:38 | 日記
世の中で重宝されるために必要なものとは何か。
それをスキルと言い換えるなら、各年代で捉え方は違うと思う。

基本的に同じ年齢の人間に囲まれ、横並びの教育を受ける若い時期は、なるべくいい学校に行くことがそれに近いと考えられる。
実は、学力なるものは世の中で生き抜く力とは全く別物なのだが、それによって同世代はいつの間にか振り分けられて、学歴というものに違いが出る。
我が国の会社では、より上の学校を出た者が事務や開発や企画に携わり出世コースも用意されるが、そうでない者は最初から現場一本でずっとそのまま、というあまりにも分かりやすい配属をするところも多い。
新卒で入社し、大過なく一つの組織で勤め上げられるなら学歴は大きなアドバンテージとなるのは確かである。

しかし、そうやってレールに乗ったつもりでいた人間も日々の仕事の中で挫折を味わい、時には体に響くようなことになって、せっかく入った会社を辞めてしまうようなことがあれば、それ以後の本人にとって、輝かしい過去はほとんど意味はなくなる。
まだ20代ならともかくも、30代以上ともなれば「それまでの実績」と「これから何ができるか」だけが次の会社に対するアピールポイントとなる。
いくら人がうらやむような過去を持っていても、これから始めようとする仕事に役立つスキルがないことには話にならない。
逆に、何でもいいから誰にも負けないスキルさえ持っていれば、相手が旧帝大出であろうと博士様であろうと全く怖くはない。
格差格差と騒がしい世の中、一度差が付いたら絶対に巻き返せないかと言えばそうではなく、我が国ではスキルさえ身につければ下克上が十分かなう。

私は、今の会社では事務方になったのでもう乗ることはないと思うが、前にいた会社でフォークリフトをある程度動かせるようになったこと、また昔の普免の範囲で動かせる4トントラックも運転できるようになったことで、仕事の幅がずいぶん広がった。
以前からあった英語や旅行の資格にすがっていても、元々のコミュニケーション下手があって、その方面の仕事に恵まれてもうまくいかなかった。
前の会社では、たまたま縁あって物流倉庫からのスタートだったから、何かとうるさい周囲を黙らせるためにもリフトとトラックのマスターは必要不可欠であった。
一時はひどい嫌がらせも受けた会社で、トラックまでマスターした以後はあからさまな攻撃はなくなった。
どんなベテランにも、すべてではなくても「勝つ」ことができたのはスキルのおかげなのである。

今は現場が主役という環境にいて裏方稼業に近い仕事を毎日続けている現状だが、現場で必要なスキルを身に付けるところまで行けなかったのだから仕方がない。
教科書通りの運転しかできない私のような人間でも我慢してもらえるのなら良かったが、残念ながらそれではダメだということだったから、今の会社にいるうちはフォークリフトに触ることはできないし、触る気も起きないだろう。
せっかく自ら望んで取った資格、再度生かせないかという気持ちもよぎるが、今は事務方という役割の中で精度の高い仕事を目指すよりないのだと思う。

ひとひねり

2019-02-23 18:47:00 | 休日
十人十色という言葉があるように、人それぞれは違っていて当たり前である。
持っている能力や感受性など、それこそ人と同じ数の人格・性格があると言ってもいい。

生きていく中では、山奥で自給自足の生活でもしない限りは、絶対に自分と同じではない他人との関係は避けられない。
自分と100%同じ人はいないとして、しかし会ったばかりの赤の他人であっても何となく合うとか似ているとか共通項が多いとか、そういったことから気の張らない付き合いが始まるケースも多い。
そういう出会いがいつ訪れるかは分からないが、幸い筆者は今の人間関係の中で、どこでどうやって、何がキッカケでここまで打ち解けられたのかと思う人もいる。
同じではなくても同じような感覚を持った人はいて、特別な努力をした覚えもないのにいつの間にか仲良くなってしまえる人もいるのだと特に近年、地元富山はもちろん当地に来てからの期間でも感じることが多い。

逆に、土地によってはどうにもこうにも、とタメ息をつきたくなるようなところも過去にあった。
どの地方とは言わないが、心理的な距離の詰め方があまりにも急に感じたし、腹の中では他の地方の人間を見下ろしているようにも思えたので、気持ち的には苦しかった。
せいぜい同じ目標を持ってがんばっていた運動サークルの仲間くらいとは表向き良好な関係ではあったが、共通の目標がなくなった途端に捨てられるように離れて行ったのは苦い思い出である。
人格には生まれ育った土地の雰囲気も多分に影響するので、合わない場所では合わない人間の割合が増えるのは仕方がないし、その時分はまだ私自身、人間として妙なコダワリがあり過ぎたりカドが立ち過ぎていたりで、実際の年齢よりもなお若く未熟であったことも大きいとは思っている。

諸外国ではあまり好まれないことらしいが、我が国では、日本人だけで一億ある人格をたった4つしかない「血液型」で分類して語るのが好きである。
血液型の分析については古くから出ているし、今にあっても傾向としてはそれほど変わった感じはしないが、私自身も血液型の話は嫌いではない。
私はB型で、我が国では2割の勢力しかない、大げさに言ってしまえば異端の型である。
世間的にあまりイメージがよろしくないことは横に置いても、様々な分析で語られているものと私自身の中身は一致する部分は多いから、ある程度血液型分析を信じてもいる。
外国人がこういった話題を嫌うのはそれだけ個人ひとりひとりの尊厳に敏感ということなのかもしれない。

B型人間の会話は無軌道で常識はずれなところがあり、辞書にない言葉を造ったりすることなど日常茶飯事、後は感覚を表現するために擬音語や擬態語を多用するという特徴がある。
常識を外れても、面白い会話がしたいという気持ちの方が優先するのでそうなる。
また、良くも悪くも自分が大好きなので、B型どうしはあっという間に意気投合するか、会えばケンカばかりかのどちらかである。

私はわりあいB型どうしで合わないという経験は少なく、むしろ対極として語られやすいA型の相手とはあまりいい思い出がない。
日本人の4割を占める勢力に楯突くつもりはないが、同じ面白いことを言おうとしても、A型のアプローチは決して常識の範囲を逸脱しないので、会話のどのあたりでオチが来るのかだいたい分かってしまう。
よく言えば真面目だし、悪く言えば意外性に乏しい。
私からすると会話にひとひねりや言葉遊びの要素がないため、時間が経てば経つほど飽きてしまうというわけだ。

血液型も人の分類方法としてはかなり乱暴な部類だが、我が国には「体育会系かそうでないか」という極端な二元論も存在するので、次回は久しぶりにそちらの方面について書いてみたい。

天下の奇祭

2019-02-19 18:31:03 | 休日
土曜日をのんびり過ごすことができ、日曜日は天気が良ければ久々に近場の観光に出ようと考えた。
前もって日曜にあるイベントを下調べしたところ、稲沢市の国府宮(こうのみや)で行われる「はだか祭」があるというので行ってみることにした。
奇祭と呼ばれるからにはそれ相当なものを期待して出て行ったが、急ぐ旅ではないのでまずは金山総合駅南口にある家系ラーメンのお店で腹ごしらえをすることにした。



駅を出て本当にすぐのところにあり、それほど大きくない店内は11時台ながら満員に近かった。
いちばん左端のカウンターを確保して、注文した品を待った。



このお店は、写真のように大小2つのタマゴが入ってくるメニューがあるのが何ともたまらないし、小ライスが最初から無料であることもオススメのポイントである。
量も多すぎず少なすぎず、自宅から近くないラーメン店の中では当地に来てからいちばん行っているかもしれない。
私にとってはラーメン以外の楽しみもあって(男性諸氏ならお分かりかも)、知らず知らずのうちに回数が増えてしまった。

お腹がふくれた後は、目的地により便利な名鉄の国府宮駅を目指した。(JR稲沢駅だとちと遠い)



はだか祭のイメージは強烈だが、普段から厄除けで多数の参拝がある。
祭の当日は、露店も並びムードが高まっていた。





境内もよく整備されていて、祭でなければゆっくり参拝できるところであったが、祭が盛り上がる前にお守りや御朱印を求めておいて、祭の始まりを待った。
拝殿の真ん中には大きな鏡餅が。







はだか祭では、地域(まれに企業)単位の集団で境内に勢いよく駆け込み、厄除けの「なおい笹」を奉納する。
これが14時ごろから始まり16時ごろまで続くが、朝から飲んでいる男の集団にはさすがに勢いがあって迫力を感じた。





祭のクライマックスは、奉納が一通り終わって、神男(しんおとこ)と呼ばれる純粋無垢(=素っ裸)の男性が登場し、厄除けを願って下帯ひとつの他のはだか男たちがそこに群がってもみ合う場面である。
ただ、普通の地平で観覧していると、もみ合いながら本殿に向かって進んでいることは分かっても、様子はほとんど見えずじまいであった。
神社の中や近隣の土産物屋さんに、決して安くない料金を取って祭を高みから眺められる「さじき席」が設けられていたのにようやく納得がいった。
少し高いところからでないと、クライマックスであるところの神男とはだか男のもみ合いはよく見えないのである。

天下の奇祭を楽しみにして行ってみたが、各地区の奉納を眺めているだけでも楽しいし、途中では、3選を果たしたばかりの大村愛知県知事が上半身裸で拝殿に上がり観衆に応えている姿もあった。
県知事ともなれば、着ぐるみをしたり裸になったりと、何とも大変な仕事も回ってくるものである。
奇祭の奇祭たる部分は遠目で眺めるだけにとどまったが、日曜日と重なる年もそうないので、貴重な経験ができた。
寒い中、はだか男の皆様、また神社の皆様、また警察警備の皆様それぞれに、ただただお疲れ様と申し上げたい。

それは意味が違う

2019-02-16 22:11:55 | 休日
体も元気になり、週イチのお楽しみ(といってもサラッと飲むだけだが)もつつがなく終わって、この土曜は勤務ではなく朝は惰眠をむさぼり時計を見たら時刻は8時を過ぎていた。
インフル明けの体でまずは一週間乗り切ることしか考えてなく、今日のことを考える余裕はなかったから、いつものヒマな土曜日のパターンでまずは洗濯、そして病気をはさんでずいぶんやっていなかった部屋の掃除など一通りの雑事をこなす。
それらが済んだらもう一回横になってゆっくりするのが至福のひと時である。
二度寝の後、目が覚めると13時を過ぎていて、やや遅めの昼食を外でとるため久々に車を出した。
昼食の後はスーパーに寄って当面の食材を仕入れ、近場で写真撮影のスポットを探してみたが、市内には案外入り組んだ狭い路地が多く、住宅密集地では駐車もままならずで、あきらめて自宅に戻った。

こういう気楽な一日を過ごしてさらに明日も休みというのは、土曜日がほぼ出勤であった1月を考えると大変に有難く感じられる。
明日をどのように過ごすかはまだ決めてはいないが、土曜日をのんびり過ごせると体力気力も戻り、日曜は外に出ようという気になってくる。
今月は病気のために動きたくても動けない状態を約十日間も続けてしまったからなおさらだ。
取り返すということではないが、面白そうな催しがあったらぜひ行ってみようと思う。

さて、詳しい中身は書くことはできないが、先月の終わり頃には会社として大変残念なことが起き、管理職は後処理のため信じられないような帰宅時間になったりと、他社の施設を借りて仕事をいただいている会社の悲しさそのものという事態となっている。
発注の流れの中で最下流にある会社が何かを起こしてしまうと、管理職は説明やら釈明やら今後の対策やら、最上流が納得するまでそちらに忙殺されるばかりか、事後にあっても上流の皆様がかわるがわる現場を視察に訪れるなど、息苦しさは増すばかりとなる。
残念ながら、直近で何かを起こした会社は「目をつけられる」ということになってしまう。

目をつけられるという言葉にいいイメージを抱く人はほぼ100%いないと思われるが、ある日の朝礼では「我が社は一目置かれているから気をつけてください」という言葉を聞いてひっくり返りそうになった。
一目置かれるというのは、どちらかというといいイメージで使われることが多い言葉で、例えば最初は軽く見られていた人が徐々に力を発揮し始め、周囲からある程度認められてくる過程で使われたりする。
今の我が社の状況は、とてもではないが一目置かれている状況ではなくて、むしろ逆である。
仮に今後残念なことが立て続けに起これば、上流の判断次第では仕事を取り上げられる危険すらあるのだ。
発言の主も、当面は悪い意味でマークされる立場に置かれるという意味合いを伝えたかったのだとは思うが、人の上に立つ者の発言としてはややお粗末ではなかったかと思う。

言葉は人間のみに許されたコミュニケーション手段である。
会社私事を問わず、生きていると一言足らないとか多いとか、伝え遅れとか意味違いとか、言葉を使う動物ならではの難しいことが生じ、後々大きな不便が出ることも珍しくない。
会社の仲間くらいの関係で「あうんの呼吸」が通用するとは考えられないから、よほど言葉というものを大事にしないとその組織は後々衰えることになる。
良かれ悪しかれ、言葉一つで日本中世界中に影響を与えることもあるのだし、この情報社会にあっては言葉の大切さをあらためて考えざるを得ないのである。

乗り切った

2019-02-15 18:12:23 | 日記
インフルエンザ明けの今週の勤務は、いきなり初日の11日が10日の時間外締めというスケジュールであった。
どうしても締めの日はいつもよりは帰りは遅い。
念のために指導担当者とのデータの突き合わせは必ずやるのだが、同じ関数が入った同じ資料でも各人の予定に関する解釈の違いなどでなかなか簡単には合わない。
時限としては夕方に近い時刻でもいいとはいえ、毎回昼休憩を挟んでさらに長い時間を使う状態だ。
できれば昼食前にはだいたいの目処を付け、通常運転に戻ってしまえれば気は楽なのだが。

さて、今週は幸い土日を連休で迎えられる。
2月は機会こそあったがインフルエンザでつぶれてしまい、体が元気な状態で土日連休に入れるのはかなり久しぶりのことになる。
会社に迷惑をかけつつも、これまで経験のない「微熱インフル」とでも言うべき厄介な状況を脱し、今週の勤務は遅れも取り戻してトラブルもなく乗り切ることができた。
念には念を入れて常にマスクを装着して、自分に残っているかもしれない何かをばら撒かないように配慮し、かつ自分自身が新しい何かを誰かからいただいてしまわないように、耳に食い込むマスクのゴムの痛さも元気に週末に入るためには我慢であった。

今週は平日のど真ん中ながらバレンタインデーという悩ましいものがあり、まだ試用期間を脱したばかりという私には会社での収穫はないだろうと思っていた。
しかしながら、まったくの予想外で、事務所の美女2名の連名でプレゼントがあった。
仕事上で重なる部分がほとんどないため、両名とは事務的な話すらまともにしたこともないし、宴会の席で一緒になったこともない。
真面目に期待していないところでチョコがいただけたのは驚きであったし、有り難いの一言である。
日頃から、仕事の話をするにしても、両人の人柄からほのぼのとしたやり取りになることが多くて、話に割り込んではいけないが、ピリピリ感とは無縁の雰囲気にはホッとさせられる部分も日々あるので、つくづく今は恵まれた環境にいるのだという思いを強くする。

車検の支払いや住民税の今年度最終回という大出費があったために、今月度は久々にやや苦しいやり繰りとなっているが、今夜はバレンタインムードにプラスして、自らの快気祝い、あらためての本採用祝いなどなど、身勝手な材料も携えて美味しい料理とお酒を楽しみに街に出たい。
土曜日がすべて出勤だった1月のように、翌日を気にしながら金曜に飲むのとはまた気分も違うだろう。
飲み過ぎには重々注意しつつ、元気な体に戻った有り難さをかみしめたいと思う。

今週は順調

2019-02-13 18:36:43 | 日記
感染症のせいで1週間会社に出られず、外に出たのは本当に症状が落ち着いたと感じた先の土日くらいである。
外といってもごくごく近場、食べ物を買ってまたすぐ自宅に戻るという感じだった。
周囲にばらまく可能性が高いうちは、文字通り引きこもりを決め込むしかなかった。
しばし仕事のことは忘れ、体の回復だけに集中して、今週が始まって3日間は順調で、遅れていた仕事もあらかたは追いついた。

会社には悪いが、この長い時間のおかげで諸々の疲れがずいぶん解消されたような気になった。
病原体の標的になるということは、そのことが疲れが溜まっていることを示すもので、今回はかかるべくして感染症にかかり、ひとまずリセットする時間を与えてもらったのだと思う。
まだまだいろんなウイルスが漂っているであろうこの季節、ひとつ治ってまた何か別のものをもらうようなことがないようにしなければならない。
油断大敵といえば今の時期がまさにそうなのである。

それほど数は多くないながら、1週間も空けた後に出て行った会社で、私に何かと声をかけてくれる人もいて有難いことである。
私は、朝一番に出社する事務所を拠点にして、いくつかの部署を日々巡回して現場の人の体調チェックや資料の作成などにあたっている。
1日の中で複数の部署に顔を出すので、ひとつひとつの部署で滞在する時間はそれほど長くない。
それでも、1日あたりは短い時間であっても、毎日のように顔を合わせているからか、同じ会社の仲間としてあれやこれやと声をかけてもらうことが増えた。
接点は深くないし、無理をして仲良くなる必要もない関係ながら、時間とともにいろいろな話ができるようになっているのは嬉しいことだ。

前々からの繰り返しにはなるが、元気になったら今度は「がんばりすぎ」に注意である。
日々、ここまでは終わらせて帰りたいとか、そういうものはあるにはあるが、それほど急を要する仕事がない時は会社にダラダラといること自体が利益の損失を招くので、特に指示のない限りは遠慮せずに早めに帰っている。
誤解を招きそうな言い方にはなるが、もともとメンバーのひとりとして数えられていなかったのだから、まかり間違っても「私がいなくては事務所が…」などという重い責任感は持っていない。
これまでの職業人生で、必要もないのにそこを強く持ちすぎていたから数年周期で疲れをためこんで倒れることが多かった。
遅きに失したとは思うが、そこが自覚できるようになった今後は、組織にいる以上は無駄な消耗を避けて突然長期離脱などということがないよう、ある意味ペース配分も考えて毎日を送らなければならないと思う。
職業人たるもの仕事をしていてナンボであって、毎日砂つぶ程度でも貢献できるなら、がんばりすぎで倒れて貢献ゼロになるよりはよほどいいのである。

まずは出ること

2019-02-10 19:44:07 | 休日
インフルエンザのせいとはいえ、思わぬ形で長く会社を空けることになった。
月初1日の締め業務をすでにヤバかった体で何とかこなし、それから会社に行っていないわけだから、明日の出社日にこのまま通常通り出て行けば10日ぶりのこととなる。
病気には勝てないが、その間はカバーしてもらっているので、お礼の一つは伝えたい。

ただ、自分の仕事がたまりにたまっていないかとか、だいぶ遅れが出ているのではないかとか、不安を挙げていったらキリがない。
明日久々に出て行くからと、遅れを一気に取り戻そうとは考えず、仕事のリズムにまた慣れることだけを考えたい。
決して投げたような言い方はしたくないが、私自身は事務所の中でも突出して経験値も低く、たかだか1週間不在だったところで経験値の高いメンバーがどうにかしてしまうし、実際私が入る前は純粋に「今マイナスひとり」で回していた。
現場でやっていく自信が持てず会社を去ることすら考えた人間(=私)が突如出現したため、急遽事務所での役割が用意されて今まで続いているだけなのであり、私自身にとってはある意味手慣れた仕事に変わってありがたいとは思っていても、今もってどうしても自分が事務所に必要な人間であるなどという思い上がりはサラサラない。

前回、どうしても根を詰めて仕事をしがちであることが、短期的にはよいが長い目で見て同じところでやって行くにはマイナスだと書いた。
同じ仕事と言っても、真剣に、時には他人と議論をしながら進めるべきことがある一方、お上から言われてしぶしぶ備えなくてはならない書類に関しては、あまり精密な中身を求めすぎると当事者が文字通り熱にうなされることになる。
ほんの数年前、もうやめた会社でのことながら、仕事に日々「完全燃焼」したいと書いている回があるが、実際にその会社での晩年に精神的な疲れから、インフルエンザどころではない長い長い期間、会社を空ける事態になっている。

職業人をして行く上で何度もあった精神の落ち込みからの長期離脱の過去も考え合わせると、まず明日は出られることでよしとして、当面は大それた成果は求めず、遅れがあれば徐々に取り戻すことにして、必要以上に力を入れすぎないで臨みたい。
もし求められる以上のことをしたくなってしまったら、もともとそれほど求められてもいないくらいに思い直して、気を張り詰めすぎないように過ごしていけたらと思う。

長かったが必要だった

2019-02-09 21:32:42 | 日記
インフルエンザの影響でろくに更新もできず、1月の振り返りが次の月に大幅にずれ込んだにもよらず、ここ1週間は安定してアクセスがあるのは有難いことである。
内訳を見れば、いわゆるbotが中心で、しかも特定のものが集中してアクセスしている。
どう絞り出しても友人など両手もいない人間からすれば、機械だのみのアクセスであっても悪い気はしないのは本音だ。

1月も終わろうかというあたりから、ノドに痛みと熱を感じ始めた。
私の場合、後に風邪になろうがインフルになろうが、何かにかかった兆候としては同じである。
日頃はさして追われるような忙しさはない私だが、翌2月1日は前月の締めでとりわけ仕事量が増える。
2月1日はさすがに休まない方がいいと考え、前日の1月31日は早上がりさせてもらってゆっくりはできたのだが、すでにウイルスは体に入り込んでいた。

土日をゆっくりすれば何とかなるだろうと思ったのは、体温が決して38度を超えることがなく、微熱と呼ばれる範囲でウロウロしていたためである。
今までになく困ったのは、汗をかいてもしくは薬によって体温が平熱近くまで一時的に下がっても、またゾンビのように盛り返して37度台の中盤まで上がってきたことである。
そういうことを3回4回5回と繰り返しているうちに体は疲弊し週末も押し迫り、しかし月曜の朝にも状況が変わらなかったため、会社に連絡して医師の目を通すことにした。
これまでの経験だけで、インフル=高熱というイメージで凝り固まっていてまさかとは思ったが、意外や検査の結果はインフルエンザA型陽性で、会社にもさっそく報告して、決まりに従い今週いっぱいは安静となってしまった。

今シーズンはとりわけインフルエンザ大流行地域となってしまった当地で、年が明ける前からインフルエンザ患者はわが職場でもたくさん出ていた。
さすがに「病気なんて仕事をしていれば治る」などという超の付く根性系の上司もおらず、むしろ感染が広がればただでさえ人員不足と言っているところ、もらっている仕事をこなすことすら難しくなるので、社会人としては長めとはいえ一定の期間出社が禁じられるのは企業防衛上も従業員にとってもメリットのある話で、今はPCに向かってブログを書くことができるところまで回復したのも制度に助けられた部分はある。

正直言って、事務方に回った12月初旬以降、毎日がへとへとになるくらい疲れることはなかったし、疲れが仮にあっても自宅も近いのですぐに帰ってゆっくりすることができる。
そんな恵まれた状況でもインフルエンザにかかってしまったのは、自分でも分からない疲れの要素があったと言うしかない。
短期的には1月末から2月1日にかけて締めだからと多少無理をしたことはあるが、それよりも前から、担当が変わって今の仕事をゼロから学び出し、もちろんその過程では失敗や戸惑いもあり、拠点の事務所に帰れば偉いさんが後方に鎮座している余計な緊張があり、個人的には残念ながら今もって事務所の雰囲気に慣れていないことも含め、病原体にスキを突かれるには格好の状態にあったのだと思う。

今回、インフルエンザにはなるべくしてなり、感染以前からの疲れをいったん清算するには、やや長めながら貴重な時間であったと思う。
以前も書いたが、性格上、それほど根を詰めなくてもいい仕事でも詰めて仕事をしてしまいがちで、定期的に疲れが大きくたまって、どんな会社にいても長期離脱などで迷惑をかけることが多かった。
会社勤めに適性があるのか疑われるようなこの個性は少しずつ改善して、日頃から疲れをためすぎない努力をして、一つの環境で持続的に長く働いていけるようにするよりないのだと思う。