blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

10月を振り返って

2018-10-31 22:37:11 | 月末振り返り
毎月最終日はその月を振り返る。
とにかくこのひと月でいろいろなものが変わった。
変わることに対しての手続きや行動にも追われているうちに、10月はあっという間に過ぎてしまった感じだ。

9月の下旬に前の会社を辞める決意をしてそれを伝達し、幾度かの話し合いの後でも私の意思は変わることはなく、しかし休暇日数の関係で9月いっぱいは出席の予定でいた。
上半期最後までしっかり出て辞めたい気持ちはあったが、私がどうしても職場内で看過できなかった事柄を一つ明らかにしたことによって、一度に数名もの人間の今後に影を落とすことになったため、9月の最終週の出勤も難しくなり、その間は転勤を見越して進めていた荷物の整理をするくらいで、近い将来に向けての具体的なプランはボンヤリとしたままであった。

ちょうど9月の末日に台風が当地を去り、10月に入ってようやく今に至る動きを始めた。
列挙すれば、まずは当地に残って出直す決断から始まり、住まい探しから契約、仕事探しから面接そして内定、前の会社に対する手続き、退職に伴う役所での保険や年金の手続き、当然ながら引っ越し、そして旧の自宅の清掃と引き払い、新しい住まいの整頓、各所に対しての住所変更の手続き、ここまでやって気持ち的にも落ち着いたのが10月の25日あたり、しかし29日つまり今週の月曜からは新しい職場での仕事が始まり、まる3日が過ぎたところで10月の終わりを迎えている。

仕事に関しては具体的に何かを書くべきではないし、その段階にもない。
ただ今の時点では環境的には温かく見守ってもらえている実感があり、後は私の努力次第で楽しさも加えながらやっていけそうな気持ちになれているのは望外のことだ。
世の中のいわゆる人手不足の風に乗ったと言われればそれまでだが、縁があって入った環境とそこでの新しい出会いは間違いなく私にとってはいいものを連れてきてくれたと心から思う。

仕事を離れた部分でも、10月は何かと節目と呼ばれる出来事が多かった。
春先から進めてきた某音楽プロジェクトでは、ついに私のために作られた曲のCD化が成り、期間は区切られるとはいえネット上にも音源が流される。
旅と歌を愛する不良中年として、旅の方の目標は国内に関してはあらかた達成されている中、歌の方でも1曲ながら証のようなものを残すことができた。
また、これまでは会ったことがないような種類の人にも多数会い、視野がまた一つ広がった。
もちろん、職場が変わる前から当地で付き合いを続け、これからもそうしてくれる存在も大切にしていきたい。
しかし、退職というリスクまで冒しながらも徐々に自分の環境を自分が望むように変えていこうと動き、わずかひと月でそれがほぼ実現したことは奇跡的というほかはなく、一時は心配をかけた地元の家族を安心させられたことも含めて、これほど実のある前進が得られた月もそうは多くない。

11月は誕生月であり、また一つ年齢を重ねてしまうが、そこからの一年がどんなふうに展開していくのか、今回ほど楽しみな年もない。
限られた人生(=時間)をどう使うか、人生の主人公はまさに自分であると思えば、思い切って行動すべき時は迷っている暇はない。
疲れをためて体を壊さない程度に、しかし決して守りに入らず、思いつくことがあればさらに積極的にトライしていきたいと誓い、激動の10月を終えたい。

浪人、終了。

2018-10-29 21:14:26 | 日記
形式上無職となってからわずか2週間、今日からまた勤め人に復帰した。
仕事をしていない期間となると有休消化などでもう少し長いわけだが、相当な苦労も覚悟した仕事探しもあっさりとクリアーできたことで、奇跡的とも言える早さで普通の生活が戻ってきた。

また月の振り返りでも書くが、10月に入ってからは、住まい探し、仕事探し、それらに伴う諸々の手続きや引っ越し、荷物の整理等々で追われるように過ぎ、この土日も行きたかったイベントや講習会に参加するため夜遅くなってしまうありさまで、心身の準備も十分には整わないまま初出勤を迎えることになった。

職場と自宅が近すぎてマイカー通勤がかなわないため、晴れれば自転車、雨なら徒歩での通勤となるのは前の会社と同じである。
せっかく住まいも仕事も自由に選ぶ権利があるのだから、時間の節約のためにも自宅と職場は近い方がいい。
ただ今回はまず住まいの場所が決まったから、仕事探しの成り行きによっては職場が遠くなるかもしれなかった。
たまたま今の自宅の近くにある今の職場との縁があったことは、本当にありがたいと言わなくてはならない。

今はまだ入ったばかりで、職場で本当に戦力になるには1ヶ月以上は必要である。
しばらくは、少しでも早く実地に立てるようになるための学びの期間である。
周りの人の言うことをよく聞いて、あせらずじっくりスキルを身につけ、まずは確実さを優先に取り組みたい。
これまで同様モノ(=商品、つまりお金)を相手にする以上は、スピードを求めるのはずっと後でいい。

同じ市内ながら住所も変わったので、いろんな方面に手続きもしなくてはならなかった。
ネットであらかた済ませられるものがほとんどとはいえ、やはり相当の件数があるから時間はかかった。
また、当地に当面は根付いていくと決断したことで、これまで主力にしてきた地元の金融機関との取引も少しずつ分散なりシフトなりをする必要に迫られている。
富山にいるのならいざ知らず、どこで引き出ししても手数料を取られる今の状況ではそうせざるを得ない。
今までほとんど休眠していた金融機関の口座が、今後は給料の受け取りや諸々の引き落としなど一転主力に変わるのも遠い話ではない。
ただ、一気に変えられるものでもないので、過渡期にあっては口座の残高管理が難しくなるのは仕方がないところである。
主力行もそうでないところも、ある程度残高に余裕を持たせておけば滅多なことにはならないだろう。

見習い期間中は極端なシフト勤務も免除されるので、生活のリズムはしばらくは一定である。
まずは日々のリズムに慣れ、仕事も少しずつ覚えていって、かつ健康に明るく前向きに過ごしていきたい。

引っ越し終了

2018-10-22 19:44:14 | 日記
新しい住まいに昨日から入れるようになり、さっそく昨日の午前中から引っ越しに取り掛かった。
もちろん大きなものもあるし、細かい荷物も多いから、実家から両親が駆けつけてくれることになっていた。
両親は、当地の一般道路は3年前に私が転勤で来た時以来でトンと忘れているから、名神高速の尾張一宮PAで待ち合わせし、朝早く富山を出て来ていた両親と無事に会うことができた。
鍵をもらえるのは業者さんが店を開ける10時以後なので、お互いに少し早めに着いたから遅めの朝ごはんを食べながら少し体を休ませ、まずは業者さんに鍵をもらうため春日井市内某所に向かった。

事前の段取りが済んでいたので、業者さんでは鍵をもらうのと、あとはゴミの日など小さな連絡があっただけで出て来て、さっそく新しい住まいに向かうことになった。
最初に新しい方に行ったのは、荷物よりも前に、荷物置き場としてのカーペットなり柔らかい布なりを敷いておきたかったからである。
せっかく入るところの床をなるべく傷つけないようにしたかったのと、重いものを置く前に敷き物をしておけば、大きな荷物を置いた後、敷き物をするためにまた大きなものをずらすという二度手間にならない。
引っ越しは月単位で頻繁にするものでもないから忘れがちになるが、引っ越し自体は多く経験している方だと思うので、少しは知恵も付いたかなというところである。

今回は距離にしてざっと2kmくらいの近場だから、引っ越し業者さんを頼むことはしなかった。
引っ越し代が出るという話ならまたやり方も違ったが、今回は退職者に関しては引っ越し費用の補助がないということもあり、それなら自分たちでやってしまおうということになった。
新しい住まいは、広くて大変使い勝手もいいし、周辺環境も最高なのだが、照明器具やガスコンロは持ち込みなので余計なお金がかかってしまう。
次の仕事が決まっているとはいえ、この後は一時的に出費が重なるから気をつけなくてはならない。

今は大半がネットで完了するからラクだが、各方面の住所変更ももれなくやらなくてはならない。
郵便物の転送だけかけておいても、そもそも郵便物が介在する取引が少なくなったし、ネットで受付しないものは電話をするしかない。
長く生きていれば、いろいろな「会員」にもなっているから、くまなくやろうとすれば一日仕事と思っていて間違いはない。

旧の住まいは24日の午前に最終の立ち会いを受け、完全に引き払う。
今は最後の掃除に使う道具しかなく、ほぼ空っぽである。
新しい住まいの整頓はあらかた終わったので、明日23日は旧の住まいの掃除をしっかりやって、気持ちよく明け渡しができるようにしたい。
旧の住まいも便利で使いやすい部屋だったが、前の会社の借り上げ社宅として使っていたことと、補助なしで住み続けるのはあまりにも負担が大きいのとで、引き払うのは自然な流れだったと言える。
3年という時間を共にした場所だが、前の会社同様、もう旧の住まいにも思い入れはなくなっている。
モノグサな性格の私が入居2日目でもうネットなどの通信環境を完全復活させ、本欄を更新しているのも、これからの仕事や生活に大いに期待を抱いているということである。

今の時点で仕事も見つかっていて、引っ越しもほぼ済んだようなものだから、やるべき手続きを落ち着いて済ませて、今度は次の仕事に向かっての心と体の準備を進めたいと思う。

つかの間、浪人。

2018-10-18 23:42:59 | 日記
もう「前の会社」という表現をしなくてはならないが、10月15日付けで正式にそこを辞め、形の上でもいったん無職になっている。
形の上では半月だが、有休消化などで前の会社に仕事に出ていない期間が半月以上あり、仕事をしていない状態ということで言えば今の時点で1ヶ月足らずである。
ただ、無職がずっと続くわけではなくて、前回も書いた通り、次を決めずに辞めたわりには、その次がいとも簡単に決まって、無職の状態は10月中には早くも解消される予定である。

仕事から離れてからここまでの間は、9月いっぱいは緊張が切れた反動であまりあくせく動く気にもならず、転勤を見越して進めていた荷物の整理はしながらも、後のことはとりあえず地元に帰って考えるくらいのボンヤリとしたビジョンしかなかった。
しかし、今後仕事ということで考えた時、自分のスキルからもいわゆる物流の拠点として各社の倉庫が林立している当地近辺で探した方が選択肢が多いのではないかと思った。
ちょうど家族からも同じような提案があって、地元に帰ることばかり考えていたものが一転、当地でやり直すという考えに変わるのにあまり時間はかからなかった。
10月に入って腹を据えて動き出し、その結果住まいも仕事もアッサリ決まったことは前回書いた通りである。

そもそも前の会社を捨てることにした理由は、あくまでも会社の中でのことが原因であって、プライベートも含めた生活全般を見渡した時に当地そのものがイヤになる要素は全くない。
私にとっては「ちょうどいい都会」である名古屋市と隣接し、生活全般や交通手段に関して困ることは何一つなく、冬の足元もよく、この3年間である程度の土地勘もできた。
仕事の選択肢の多さが決め手であったとはいえ、前の会社の命令で転勤してきて、そこを辞めたからといって当地から離れなくてはいけないという決まりなどないのである。

転居の準備もだいたいの目処がつき、昨日は特に急ぐ用事もなかったので、久々に愛車を街乗りから解放するべくドライブに出た。
当地からだと、岐阜県の東濃地方に見所が多く、道もある程度は流れてくれるので、ストップ&ゴーばかりでストレスをためていたであろう愛車にもいい気分転換になったと思う。
今回は、国道19号よりは南側の山間地を流すことにして、さしずめ「道の駅めぐり」の日程になってしまった。

最初に訪れたのは土岐市にある「どんぶり会館」。



建物自体がどんぶりの形になっているように、東濃地区は美濃焼の産地であり、売店の売り物は食べ物以外はほぼ全てが美濃焼であった。
一つのブランドではあるが、決して敷居が高いわけではない。
引っ越し直前であえてワレモノを増やしたくなかったから今回は遠慮したが、また機会を見て訪れてみたい。

どんぶり会館から東に8kmほど、今度は恵那市の「おばあちゃん市・山岡」へ。
写真のように大きな水車がシンボルで、全国でも屈指の人気を誇る道の駅の一つである。



ここのすぐ近くには庄内川水系の「小里川(おりがわ)ダム」がある。



完成は2004年と比較的新しく、ダムの天端にはエレベーターがあって、約100m下の最下部に下りることができる。



先進国の中でも急な河川が多く大きなダムも多い我が国だが、本当の真下から堤体を見上げることのできるところは初めて来た。
高さだけなら小里川ダムを上回るところはたくさんあるが、高さ100mのダムを見上げる景観はただただ圧巻だった。



ちなみに夜は、友人と約束して名古屋市内でしばし楽しい時間を過ごし、私自身に関しては大いにお祝いをしてもらったことは書き加えておきたい。

つかの間の浪人中とはいっても、今後数日は今の住まいからの引っ越し、それに伴う諸々の手続きなどであっという間に過ぎていくだろう。
次の職場にはそのあたりのスケジュールも配慮してもらっているから、滞りなく済ませ、気持ちよく新しい生活を始め、新しい仕事にもスッキリした形で入っていけるようにしたい。

卒業と再出発と

2018-10-15 22:47:54 | 日記
昨年あたりのことを思い出すと、子供さんたちの夏休みが明け9月に入ってすぐ、例えばスーパーのレジ係の人がハロウィーンの帽子をかぶって仕事をするなどしていた。
日本の秋は爽やかでいい季節だが、大きなイベントには乏しく、近年はそこを埋めるかのようにハロウィーン商戦なるものが9月に始まって2ヶ月それで押し通す感じになる。
それが今年は、もう本来のハロウィーンである10月31日を間近に控えてようやく街中でも飾り付けなどが増えてきた印象だ。
我が国では9月早々から台風や地震などの大きな災害に見舞われ、社会の目がハロウィーンに向くタイミングが近年と比較して少し後ろにズレたのではないだろうか。
避けられない出来事が原因とは言え、ハロウィーンの盛り上がりや商業的な話になれば例年よりは低調に来ていることは間違いなく、10月31日に向けて無理やりにでも盛り上がりを見せるのかは、ハロウィーンが我が国に真に根付いたと言えるのか、今年がある意味試金石になるかもしれない。

さて、今日は8年あまり在籍した会社の「卒業式」であった。
もちろん本当に式典があるわけではなく、事業所に出向いて事務方に返却すべきものを返却し、あとはわずかな時間だけ雑談をして、終わった後は、他の誰にもあいさつもせず3年間通った事業所に別れを告げて出てくるだけであった。
もちろん一時は道に迷っていた自分を救ってくれ、在籍している間にはフォークリフトや4トントラックの運転などの「技」を身に付けさせてもらうこともできたので、そこには深く感謝している。
もうロッカーの鍵も返して今日付けで退職となれば完全にお別れではあったが、特別こみ上げるものもなく、管理事務所と主たる働き場所であった倉庫にほんの一瞥くれた程度で、いつもの仕事帰りと変わらない風情で事業所の敷地を出た。
ある時点で会社と縁が切れる「音」までがハッキリと聞こえ、以後はもう辞めることしか頭に浮かばなくなり、そうなってからは文字通り一直線に前を向いて行動に移ったから、思い残すことなど何一つないのである。

時系列は前後するが、そんな節目とまさに同じ今日、「卒業式」よりも前に、先日面接した会社から電話があり、採用のお知らせがあった。
スッキリした気持ちで卒業式に行けたのも、この連絡があったことが大きかった。
辞める時点では次の仕事も決めず、とりあえず地元に帰ってリセットというアタマでいたものが、10月に入りまず地元に帰らず当地に残るという決断がまずあって、その上での住まい探し、そして仕事探しと動いてきた。
その結果、住まいも仕事も最初にピンと来たところにそのまま収まることになった。
住まいはともかく、仕事探しはさすがに苦労するだろうと思っていたが、今月の終わり頃には初出社を迎えられるのだからこんなに幸運なことはない。

望まない環境を離れ次に向かう決断、勝手知ったる地元ではなく当地に残って仕事をし暮らしていく決断、この2つの決断の元でひたすら動いた結果、辞めようと決意して意思を伝達してから次の仕事の内定まで一ヶ月かからなかった。
もちろん今後も決して楽な生活が待っているわけではない。
どんな仕事でもそうだが、慣れるまでは大変だ。
しかし、直近8年の間に身に付けたスキルがなければ次のところもなかった。
今日でご縁が切れた会社、これからご縁をいただく会社、どちらにも感謝をしたい。
早々に気持ち的にも落ち着きを取り戻せることになったから、これから一人の人間として毎日を悔いなく送ることに頭を切り替えて過ごしていきたい。

今年は秋がある

2018-10-12 23:49:10 | 日記
ここ数年は秋分の頃まで夏のような暑さが続き、10月に入ると急に冷え込みがやってきて、いよいよこの国も暑いと寒いしかない気候になったかという錯覚に陥ったものだが、今年に関しては、台風や地震など大荒れの出来事を経ながらも、気温の上では9月の最初の方から暑さが抜けて、10月も中旬となった今は秋らしい天気が続いている。
暑過ぎず寒過ぎずの今が、人間にとっても活動的になりやすい時期であり、○○の秋と呼ばれるものが多いのはそのためだろう。
○○が読書なのか、スポーツなのか、食欲なのかはその人次第である。

さて、ここ数日は、小さいながらも何がしか「やるべきこと」があって、気持ち的には余裕がない。
世の中でいう3連休明けは、役所に足を運び書類の請求を終えると、気になっていた仕事に応募した。
今の会社には15日まで籍はあるが、次を決めないで辞めてしまったから、住まいが決まった後は仕事探しが喫緊の課題なので息つく暇はない。

応募した会社からは早々に返答があって、いくつか日程が示されていたが、その中には返答日の翌日というものもあった。
しかしながらこちらも早く動きたいので、スケジュールを確認して、その一番早い日に約束を入れた。
8年ぶりに履歴書なるものも書かねばならず、しかし長らく事務方から離れていたため汚いワイシャツしかなくあわてて市内のスーパーに買いに走るというドタバタも経て、準備を整えた。
写真は今やこの時代、自分で完結できるからいいとして、撮影のためだけに上半身だけながら久しぶりにスーツに着替えたが、あらためてスーツの似合わない(嫌いだから)人間との思いを強くした。

約束の時間にその会社に足を運ぶと、面接よりも先に現場を案内すると言われ、車に乗って数分移動した。
まだ合否が決まっていないので詳しくは書けないが、その現場を見て、自分に今あるものにプラスして習得すべきことがあるのは確かなようだった。
伝えられた返答日までは本当に待ち遠しいが、面接は終始和やかに進んだし、新しい住まいにもごく近いところなので、ご縁がいただけると嬉しい。

2018年は「新しい経験を重ねる」というテーマを年初に書いたが、年の初めから春先までは、長年の付き合いがあった人間と完全に袂を別つとか、慣れない仕事が重なって体調を崩すとか、言ってみればネガティブな経験ばかりであった。
休職期間をきっかけに今まで知らなかった世界をのぞいて、夏の終わりにかけては視野が大いに広がるようなポジティブな経験もできたが、9月に入り今度は会社を辞めるという、周囲から見れば相当ネガティブな決断をすることになった。
しかし、今この段階で、今まで積み重ねてきたスキルなり何なりをこれからさらに高められるというポジティブな可能性が出てきた。
ここまで振り返っても、2018年という年はいろいろとありすぎて大変なことになっているが、ネガティブをポジティブに変えていこうという考え方だけ言えば、道に迷い、打ちのめされて、膝を抱えているばかりであった30代の頃とは少しは変わったのではないかと思う。

明日は新居の本契約があり、月曜には今の会社を卒業し、その翌日には健康保険の手続きのため役所に足を運ぶ。
来週になれば応募に対する返答もあって、仮にご縁があれば入社日の相談は当然ある。
来週末には新居への引っ越しが決まっているとはいえ、人手不足の昨今できる限り早く来てほしいというのは本音だろう。
結局10月はバタバタしたまま終わり、ちょうど誕生日を迎える11月の初めあたりでようやく落ち着けるのではないだろうか。
朝晩はもう冷えてきている秋らしい天候の今、着るものにも気を配って体調だけは崩さないように乗り切っていきたい。

前回から今日までのこと

2018-10-08 21:04:56 | 休日
前回10月3日の段階では、新しい住まいの候補を見学し、段取りの説明を受けるところまでいったと書いた。
引っ越しは何度もやっている私だが、そのたび審査というものがあって、わずかな時間で上がってくるとは言っても正式に大丈夫と聞くまではドキドキする。
その審査が上がってきたのが翌日の4日で、幸い結果は◯だったから本当にホッとした。
これで、今後どんな仕事になろうと、当面は当地に拠点を構えて暮らすことが事実上決まった。

業者の方にも「いい物件を引いた」と言ってもらえた。
確かにこれから入る物件と同じような賃料でも、間取りは案外手狭なところも多い。
それが、広さだけで言えば今の住まいよりもあって、実際に二人住まいをしている人もいると聞いたから、単身者には申し分ない。
最寄りのJR駅が気持ち遠いかなという程度で、生活そのものは今より便利にもなる。
言うまでもなく、後は次の仕事をしっかりと見つけて安心して暮らせるようになることが大切だ。

月の真ん中には会社を正式に卒業することになるが、翌5日にはもう一つの卒業があった。
休職をきっかけに春先から取り組んできた某音楽プロジェクトの最終面談のため、東京までトンボ返りの予定であった。
短い間に何度も来た渋谷の中心街を抜け、少し早く着いたから面談場所があるビルの1階にあるカフェで一服した。
約束の時間ちょうどに事務所に上がり、やや他の人の絡みで待たされたが、一貫してお世話になってきたマネージャーさんが現れた。
手には大きな袋、自分のオリジナル曲も入ったCDが大量に詰まっていた。
お盆休みの最後に私と同じステージに立った面々22名のうち12名分の曲が入っている。

プロの作り手が、各人の歌いたいテーマや伝えたいことを膝詰めで話して、それぞれの気持ちに寄り添った曲を一人一人のために作り上げる。
今までになかった、ややもすると事務所絶対優位のイメージとは違うアプローチという謳い文句には間違いはなかったし、私の曲もよくぞここまで忠実に、と思うくらいに歌詞や曲調に私自身の思いが反映されている。
初めて渋谷に行ってから約半年の歩み、歌らしい歌という作り手にとっては最も難しい注文をしたこと、ボイストレーニングやレコーディング、写真撮影、そして総仕上げとしてのライブ出演と、ここまで関わってくれた人の数やその労力を考える時(これにカラオケ音源配信と歌入り音源のネット配信が加わる)、これだけワガママを聞いてもらって自分のための曲が形になったのだから、費用としては決して高いとは言えないだろう。
これからの会社で知名度はまだ全国的ではないだけに広告は頻繁に出している。
しかし、その広告を見て、自分では飛び込みもしないで、安全なところから批判ばかり書き込んでいる人間が多いのは残念だ。

しかし、プロジェクトはそこまでの土台を提供するもの、その後のことはすべて本人次第となる。
このあたりは、有名コンビニのフランチャイズに入ったからと言って(コンビニを始めるには当初数百万円?)その後は安泰とは限らないのと同じだ。
私としては、とにもかくにも「旅と歌を愛する不良中年」として、その一つである歌で「生きた証」を残すことができた。
今この瞬間に私にもしものことがあっても、作品は後世まで残る。
できるだけ多くの人に知ってもらう努力はするが、もう目的の半分以上は達成されているので、ことさらビジネスを意識しないで気長に取り組みたい。
プロの手になる曲は一つだけだが、自分で作ることだって今は難しくないし、それらを配信することもできる時代である。

住居の段取りや東京行きが金曜までにあらかた済み、この3連休はポッカリ予定がなく、しかしどちらかというとあまり外に出ることはなく過ぎた。
平日にはまだ急ぎでやるべきことも残っている。
仕事にはもう出ないからとのんびりし過ぎないで、思いつくことは早めに済ませておくと安心だ。

不安だから動く

2018-10-03 23:33:01 | 日記
もう仕事をしに行くことはないとはいえ、今の事業所にはあと1回か2回は足を運ぶ。
法的な側面はさておいて、離職希望日ひと月前の意思の伝達という慣例よりも私の場合はちょうど1週間遅れてしまったため、その分書類的な伝達に急ぎのものが残っている。
事業所を離れたところでは、自分の生活とりわけタイムリミットがいちばん近い住まいの面で相当にタイトな動きを余儀なくされている。
9月末に台風24号が通過して月が明けた後は、堰を切ったようにあちこち動き回っているのが現状だ。

もともと9月の最終週は5日間きっちり出てすっきりとした気持ちで事業所を出てきたい希望もあったが、私自身の状況、また私自身が周囲に及ぼした影響により、チームとして一緒に働くことは限りなく無理に近くなったため9月の出勤は免除された。
緊張の糸が切れ、疲れがどっと出て結果的には心身の疲れを取り除くのにはいい時間とはなったが、10月に入ったらすぐに覚悟を決めて動き出さなくてはならなかった。
まず新しい住まいを決め、その後はできるだけ早く次の仕事を見つけなくてはならない。
不安要素ばかりが残るからと自宅で手をこまねいていても何も始まらない。
役所や手続きは待ってはくれないから、やるべきことを優先順位をつけて書き出して、スケジュール化して動かないと、宿無しや無保険などあってはならないことに陥る。

実際のところは10月アタマから動き出して早すぎることは何一つなく、特に住まいに関してはエンドが決まっている以上、何よりも優先すべき事柄であり、今日は目をつけていた物件を見学し、あらためて業者さんに出向いて説明を受けるまでいった。
今日10月3日の時点でそこまでやっておくこと自体が、実はスケジュール的にはちょうどかなという程度で、のんきに動き出しを来週などとしていたら、今の住まいと新しい住まいの契約期間が重なる日がなくなり、今の住まいをいったん出た後、数日新しい住まいに入れないという恥ずかしい事態になるところであった。
こうやっていろんな用事に追われながらでも動きに動いて不安を一つずつ消していってまず住まいが決まり、最終的に仕事が見つかるまで行けば、本当の意味での落ち着きを取り戻すことができる。

なお、退職後は地元富山に帰ってリセットしての再出発を当初は頭には描いていたのだが、仕事(求人)の量や種類は当地が圧倒的に多く、地元では条件にこだわればかなり限定されることが分かった。
できるなら、今回を機に家族全員が近くに集まって助け合って生きていければという思いはあった。
しかし、次男の私は実家にスペースはなくいずれにしろ住まい探しは必要であったし家賃も言うほどは違わない。
仕事の選択肢が当地よりも狭い中では就職活動の大変さも増すし、何より当地そのものがイヤなわけでは全くなく3年間過ごしてある程度の土地勘もできている。
冬の足元もいいし、何より三大都市圏、地元よりは便利さは格段に上だ。
ただ一人地元を離れて家族と引き続き離れて暮らす選択がつらくなかったわけはない。
しかし、以上のことを考え合わせ、悩みに悩んだ末、当地で再出発を図るのが最善と判断したのである。

富山の仲間には、期待させた分はお詫びを言わなくてはならない。
長めの休みがあるなら、旅行もいいがなるべく富山に帰る機会を今後は増やしていけたらいいと思っている。