仙台で指された昨日の第65期王座戦五番勝負第一局。対戦成績は羽生善治王座が8勝,中村太地六段が2勝。千日手が一局あります。
振駒で中村六段の先手。角換りを志向しましたが羽生王座が拒否。先手の矢倉,後手の雁木に。うまく戦機を捕えた後手がリードし,一時的に勝勢に近いところまでいっていたと思うのですが,先手玉が中段に逃走して寄せにくくなり,最終盤は猛烈な攻め合いになりました。AbemaTVで観戦していたのですが,大波乱の決着に。
後手が歩を打ったところでここから☗2五同飛☖2四歩☗1五桂と進みました。後の手順からみると,先手は☗同飛と取らずに単に☖1五桂の方が得だった可能性があります。
後手は☖4四歩☗5六玉として☖2五歩と飛車を取りました。これも後の手順からすると,第1図の前に同じように指し,さらに☖4五金と王手をして4四の歩にヒモをつけておいた方がよかったかもしれません。
☗2三桂成☖同王☗2四歩と進みました。ここで☖1四王と逃げたのは5七の歩も4四の歩も取らせたくなかったからだと思われます。感想戦では☖同王☗5七角☖3五桂は有力だったとされたようですが,☖同銀☗4四角成☖3三金というのもあったのではないかと思われます。
ここから☗2六桂☖同歩☗3七桂と進んでいます。もし先手が2六で飛車を取らせていて同じ手順の進行になっていればこの桂馬のただ捨ては不要だったことになります。なので第1図の直後の手順は先手が損をしていたかもしれないのです。
ここで☖2四銀と取って☗4四角成☖3三金と進みました。ここで2四の歩を取るなら前に取っておいた方がたぶん後手にとってはましだったでしょう。ここから☗2二金☖2五金☗1六銀と詰めろを続けたところで卒然と後手が投了。
ここは☗1五銀打を防ぐために☖1五桂と☖2三桂のふたつの手段があり,とくに☖2三桂なら千日手も望めたようです。まだ難しいのに投了してしまい,敗着が投了というプロの将棋を僕は少なくとも二局は知っているので,あり得ない決着とまではいえませんが,タイトル戦でこのケースはとても珍しい一局になるものと思います。
中村六段が先勝。第二局は19日です。
第三部定理三〇備考で,混乱した観念idea inadaequataによって名誉gloriaという感情affectusを抱くことがあることが強調されているのは理由があります。それは,そのような名誉を感じることをとくに好むと,その人間は高慢superbiaという感情に支配されるようになるということをいうためです。第三部諸感情の定義三〇にあるように,名誉とは他人からの賞賛ないしは賞賛を受ける自身の行為の観念を原因として伴っている喜びlaetitiaです。このとき,賞賛自体あるいは賞賛を受けると信じる行為の観念が混乱しているなら,いい換えれば実際には賞賛を受けるような行為ではないし賞賛を受けているわけでもないなら,その人間は自分のことを正当以上に感じながら自分を愛していることになります。これは第三部諸感情の定義二八で示されている高慢という感情そのものです。したがって闇雲に名誉を好む人間は自然と高慢になるというわけです。
僕が思うに,スピノザは各々の感情を多様に評価しますが,最も否定的に評価されている感情はこの高慢です。第三部定理二六の備考Scholiumでは次のようにいわれています。
「こうした表象は自分について正当以上に感ずる人間自身に関係する時は高慢と呼ばれ,そしてこれは狂気の一種である。なぜならこのような人間は,単に表象においてのみ達成されることをすべてなしうるものと目を開きながら夢み,そのためにそれらのことを実在するかのように観想し,そしてそれらの存在を排除しかつその人間自身の活動能力を限定するものを表象しえない限りにおいて,それらについて誇っているのだからである」。
スピノザが高慢を否定的に考えているということは,ほかに第四部定理五五,第四部定理五六,第四部定理五六系,第四部定理五七といった,高慢という感情に関連した一連の定理群からも明らかだといえます。なおかつそれはありもしないことを,それがありもしないということに気付く原因がないということだけで本当にあると思い込み,実際にはありもしないそのことについて誇っているのだから,これは覚醒しながら夢を見ているようなもので,狂気の一種だとまでいっているのですから,かなり否定的な感情とみていることは間違いありません。
振駒で中村六段の先手。角換りを志向しましたが羽生王座が拒否。先手の矢倉,後手の雁木に。うまく戦機を捕えた後手がリードし,一時的に勝勢に近いところまでいっていたと思うのですが,先手玉が中段に逃走して寄せにくくなり,最終盤は猛烈な攻め合いになりました。AbemaTVで観戦していたのですが,大波乱の決着に。
後手が歩を打ったところでここから☗2五同飛☖2四歩☗1五桂と進みました。後の手順からみると,先手は☗同飛と取らずに単に☖1五桂の方が得だった可能性があります。
後手は☖4四歩☗5六玉として☖2五歩と飛車を取りました。これも後の手順からすると,第1図の前に同じように指し,さらに☖4五金と王手をして4四の歩にヒモをつけておいた方がよかったかもしれません。
☗2三桂成☖同王☗2四歩と進みました。ここで☖1四王と逃げたのは5七の歩も4四の歩も取らせたくなかったからだと思われます。感想戦では☖同王☗5七角☖3五桂は有力だったとされたようですが,☖同銀☗4四角成☖3三金というのもあったのではないかと思われます。
ここから☗2六桂☖同歩☗3七桂と進んでいます。もし先手が2六で飛車を取らせていて同じ手順の進行になっていればこの桂馬のただ捨ては不要だったことになります。なので第1図の直後の手順は先手が損をしていたかもしれないのです。
ここで☖2四銀と取って☗4四角成☖3三金と進みました。ここで2四の歩を取るなら前に取っておいた方がたぶん後手にとってはましだったでしょう。ここから☗2二金☖2五金☗1六銀と詰めろを続けたところで卒然と後手が投了。
ここは☗1五銀打を防ぐために☖1五桂と☖2三桂のふたつの手段があり,とくに☖2三桂なら千日手も望めたようです。まだ難しいのに投了してしまい,敗着が投了というプロの将棋を僕は少なくとも二局は知っているので,あり得ない決着とまではいえませんが,タイトル戦でこのケースはとても珍しい一局になるものと思います。
中村六段が先勝。第二局は19日です。
第三部定理三〇備考で,混乱した観念idea inadaequataによって名誉gloriaという感情affectusを抱くことがあることが強調されているのは理由があります。それは,そのような名誉を感じることをとくに好むと,その人間は高慢superbiaという感情に支配されるようになるということをいうためです。第三部諸感情の定義三〇にあるように,名誉とは他人からの賞賛ないしは賞賛を受ける自身の行為の観念を原因として伴っている喜びlaetitiaです。このとき,賞賛自体あるいは賞賛を受けると信じる行為の観念が混乱しているなら,いい換えれば実際には賞賛を受けるような行為ではないし賞賛を受けているわけでもないなら,その人間は自分のことを正当以上に感じながら自分を愛していることになります。これは第三部諸感情の定義二八で示されている高慢という感情そのものです。したがって闇雲に名誉を好む人間は自然と高慢になるというわけです。
僕が思うに,スピノザは各々の感情を多様に評価しますが,最も否定的に評価されている感情はこの高慢です。第三部定理二六の備考Scholiumでは次のようにいわれています。
「こうした表象は自分について正当以上に感ずる人間自身に関係する時は高慢と呼ばれ,そしてこれは狂気の一種である。なぜならこのような人間は,単に表象においてのみ達成されることをすべてなしうるものと目を開きながら夢み,そのためにそれらのことを実在するかのように観想し,そしてそれらの存在を排除しかつその人間自身の活動能力を限定するものを表象しえない限りにおいて,それらについて誇っているのだからである」。
スピノザが高慢を否定的に考えているということは,ほかに第四部定理五五,第四部定理五六,第四部定理五六系,第四部定理五七といった,高慢という感情に関連した一連の定理群からも明らかだといえます。なおかつそれはありもしないことを,それがありもしないということに気付く原因がないということだけで本当にあると思い込み,実際にはありもしないそのことについて誇っているのだから,これは覚醒しながら夢を見ているようなもので,狂気の一種だとまでいっているのですから,かなり否定的な感情とみていることは間違いありません。