スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

メルボルンカップ&母

2010-11-05 18:52:41 | 海外競馬
 オーストラリアの国民的行事,メルボルンカップGⅠ芝3200mは,例年通りに現地時間で11月の第一火曜日,今年は2日に行われました。日本から参戦したトウカイトリックを中心に簡単に振り返っておきます。
 発馬は不利というほどではありませんでしたが,ダッシュはいまひとつの印象。ただし,ここは22頭が出走した中で3番枠でしたので,中団の内という位置は難なく確保できました。そのまま流れに乗ってレースを進め,3コーナーを回ったあたりから漸進を開始。外が伸びると判断した騎手が多かったからかもしれませんが,4コーナーを回るところでは多くの馬が外へ。トウカイトリックは構わず内から進出して,コーナーワークの有利さもあり,直線で一旦は先頭に立ちました。ただ,1頭になってしまったこともあるでしょう,そこからは伸びあぐね,外から集団で追ってきた馬たちに抜かれると,騎手も諦めた感じで追うのをやめ,そのまま流して12着という結果に終わりました。
 距離はよかったと思いますが,やはり力量的に勝つというのは難しかった模様。外を回ればもっと頑張りがきいて,もう少し上の着順には来られたのかもしれませんが,一旦は先頭に立つというような見せ場を作れたかどうかは分かりません。そういう意味では,むしろいいレースをしたといっても差し支えないのではないでしょうか。

 8月4日に父の最期を迎えたということもあり,僕の糖尿病共生記という本来の趣旨からやや離れ,父に関する記述を延々と続けました。まことに恐縮な思いですが,今度は母に関する記述が続くことになります。そこでまず,母に関して簡単に紹介しておくことにしましょう。
 母は年齢ではひとつ,学年でいうならふたつ,父よりも上です。生年月日は1943年1月1日。昔は暮れも押し詰まって子どもが誕生すると,誕生日を翌年に繰り越すということがあったそうですが,母の場合は正真正銘の元日産まれとのこと。きょうだいは母も含めて3人。渡米先にいる姉と,アパートに住んでいる弟です。
 母の母に関してはすでに何度か説明しているように,最初は脳出血で倒れ,後には脚にも血栓ができて血流の不全を起こすなどして,現在は要介護4となっていますが,健在です。一方,母の父は僕が小学校5年のときに心筋梗塞を発症して死にました。僕が最初に通夜や葬儀に参列したのは,この祖父のときのこととなります。
 ある体育大学を卒業した母は,横浜市の中学校教員となりました。もちろん保健体育の教師です。年齢の関係から母が最初に赴任していた中学校に父が新任教師としてやはり赴任し,そこで出会って結婚したわけです。なお,母も後に現在でいう特別支援学級を担当するようになりましたが,これは父より遅れてのことでした。
 母の母を僕の家に引き取ることになった関係から,母は定年までは勤務せず,50代半ばで退職しました。その後,僕の祖母や妹の世話などありまして,日常のほとんどの時間はそうしたことに費やしたことになりますが,ちぎり絵の教室に通ったり,友人と昼食を食べに行ったりするなどのことはありました。また,これは妹が以前に通っていた作業所に,ボランティアとして週に1回でしたが昼食の支度をしにも行っていました。
 父の場合と異なり,母には趣味らしい趣味というのはありませんでしたが,強いてひとつあげるならば,園芸でしょうか。自宅には狭いながらも花壇がありまして,そこに季節ごとに花を植えては育てていました。
コメント
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