スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流棋士の独立の経緯&第一部定義七

2007-02-23 23:15:55 | 将棋トピック
 先日の新法人設立準備委員会の声明に、これまでの経緯が詳しく記されています。一方の当事者からのものですが、事実関係には間違いのないところと思います。これによると、契機は将棋連盟の米長会長からの助言であったということで、これがなければこうした動きがすぐに生じたかどうかは分かりませんが、声明では「自分達のことは自分達で決めたいと切に願っている」とされていますから、原因で推測したことはそうも遠くはなかったように思います。
 声明の中で昨年の3月にまず助言を受けたのは、米長会長によれば中井六段と石橋四段だったようで、4月には少なくとも女流棋士会に所属するすべての棋士にはこれが伝えられていたと考えられます。その後、制度委員会の発足を受けて12月の女流棋士総会で、独立するという方向に進むことが議決されました。この議決には,古河二段は棄権したそうですが、ほかの棋士は分かりません。ただ、準備委員会の委員になった棋士たちは賛成したのだろうと推測されます。
 ただ、この議決が12月、また、独立の可能性がすべての棋士に伝えられたのが昨年の4月だったことを考えると、独立の目途を今年の4月に設定したのは早急すぎたという感が僕にはあります。連盟からの提案であったこと、独立に賛成した棋士が圧倒的多数であったことがこの時期を設定させたのかもしれませんが、これだけのことですからあまりに時間が少なすぎたように思えてなりません。もちろんそんなことをいっても、もう動き出してしまったわけですから仕方がないわけで、最善の結果はすべての女流棋士が将棋連盟から円満に新法人に移行することだと僕は思いますから、その結果のための最良の方法を見つけ出してほしいと思います。なお、一部の棋士が独善的に拙速にことにあたっているという批判もあるようですが、これは女流棋士にとって重大な転機ですから、慎重になる人もいれば、逆に張り切って働く人もあるでしょう。当事者の外部からみれば、それが拙速と受け取られるのはある意味では自然なことで、こうした批判というのはあまりあたっていないし、また気にすることもないだろうと思います。

 明日は棋王戦五番勝負第二局。佐藤棋聖が後手でどんな作戦でくるでしょうか。

 第一部定理三二を正しく理解するためには、そこでスピノザが自由libertasとか必然的necessariusということについて、何を意味しようとしているのかをきちんと把握しておくことが必須です。以前に第一部定理三二系をテーマとしたときの繰り返しになる(この第一部定理三二の系Corollariumなのですから当然といえば当然ですが)感もありますが、ここでもう一度、第一部定義七を振り返ることにします。
 「自己の本性の必然性のみによって存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反してある一定の様式において存在し・作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されると言われる」。
 これでみれば分かるように、スピノザは僕たちが普通はそう考えるように、意志と自由が直結した概念notioであると考えるのではなしに、自由と本性が関連した概念である、あるいは、あるものはそのものの本性naturaによって自由であるか自由でないかが判断されると考えています。これはよくよく誤らないように注意しなければなりません。
 なお、あるものはそのものの本性の必然性necessitas(法則)によって自由であるといわれますので、必然的というのを自由の反対概念に用いるとややこしくなるおそれがあります。そこで僕は、自由の反対概念には、必然的ではなく強制coactusの方を用いることにします。
コメント
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