スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

戸棚&渋谷

2015-05-16 19:14:38 | 歌・小説
 Kとの同居を開始する以前から,お嬢さんと結婚することを望まれているという先生の認識があったということに関しては,石原千秋が『『こころ』大人になれなかった先生』の中で,僕が根拠としたのとは別のテクストから説明しています。つまり石原も,お嬢さんとの結婚に関して,僕と同じように読解していることになります。
                         
 下一七で,先生と奥さん,お嬢さんの3人で,日本橋へ買い物に行くプロットがあります。級友のひとりに目撃され,お嬢さんの美貌に関してからかわれることになるプロットです。先生はこのときに着物を買い,お嬢さんに反物を買ってやりました。
 下一八では,先生はこのからかわれた話を家に帰ってから奥さんとお嬢さんにします。その話から,先生は意図的にお嬢さんの結婚の話へと進めます。先生はお嬢さんとの結婚と自身が受けた長男の悲劇を絡めて考えていたように,これが奥さんの策略ではないかと疑っていたのですが,その真意を探るべく,ここでは先生が計略を用いたことになっています。
 この話の間にお嬢さんが席を外します。テクストでは,先生が気付かないうちにお嬢さんはその場を離れ,先生が自分の部屋に戻ろうと立ち上がったときに,お嬢さんが部屋の隅にいることに気が付いたというようになっています。
 部屋の隅には戸棚があって,お嬢さんはその戸棚を30㎝ほど開けていました。そのときに先生は,その戸棚の隅に,先生の着物とお嬢さんの反物が重ねてあるのを見ました。
 石原によればこれは,その直前まで話題になっていた結婚問題に関するお嬢さんの答えだそうです。僕はそれがお嬢さんの答えであるかどうかは何ともいえないと思います。しかし先生がそれを発見し,こうしてわざわざテクストとして残したのは,少なくとも先生がお嬢さんの答えを感じ取ったというように理解することは可能だし,むしろ積極的にそのように読解するべきであろうと考えます。つまりこの部分のテクストからも,自分がこの家の主人となることを望まれているという認識があったと読解することができると思います。

 2009年の11月28日に,ゼミの同級生のひとりが結婚し,その二次会がみなとみらいで開かれたとき,僕も参加しました。このときに教授をはじめ,何人かの同級生も集まりました。年賀状などのやり取りはありますが,僕が教授や同級生と顔を合わせたのはこのとき以来ありませんでした。つまり5年強は会っていなかったのです。久しぶりに会うことができるということも,僕の楽しみのひとつでした。
 日曜日の午後2時からでしたから,午前中は時間に余裕があります。なのでウォーキングがてらWINS横浜にはいつものように行きました。中途半端な時間とはいえ,イタリアンレストランでの開催ですから,当然ながら何らかの食事は出るでしょう。ですから昼食は摂らずに,正午前に家を出たのですが,これは早すぎたようです。1時過ぎには渋谷に着いてしまい,本屋などでだいぶ時間を潰しました。
 実をいうと僕は渋谷に行くということ自体が久々でした。現在の生活ですと,横浜市と川崎市以外はほとんど行くことがないのです。東京都に入るということはそれでも神奈川県内のこれ以外の市に行くよりはずっと多かったですが,母が退院して以降は蒲田の周辺か羽田の近辺のどちらかにほぼ限られていました。それ以前,これは僕が社会的にドロップアウトする以前という意味ですが,その頃も渋谷に行くということはほとんどなかった筈で,たぶん20年くらいは行っていなかったのではないかと思うのです。このためにどれほどの時間を要するかがよく思い出せず,あまりに早く着いてしまったのです。
 僕の同級生で参加したのは僕を含めて7人。このうち僕を含めた4人は5年強前に会っていますが,残りの3人はもっと久々の再会でした。また,僕のひとつ上の世代で,在学中に1年間のカナダ留学があったため,卒業は僕たちと同じ年になった方がひとりいて,この方も参加していました。卒業後,電車の中でたまたま会ったことがありましたが,この方とは20年くらいは会っていなかったと思います。同級生の中でひとりだけ,ぱっと見た瞬間にはだれだか分からない方がいました。この方とは卒業した後も何度かは会っているのですが,だいぶふっくらとしていて驚きました。
コメント
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