スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

三沢と鶴田&発生

2011-09-10 18:47:55 | NOAH
 新装なった東京都体育館でタイガーマスクから素顔に戻った三沢光晴は,このシリーズの最終戦,1990年6月8日の日本武道館大会でジャンボ・鶴田とシングルマッチ。見事にこれに勝利しました。
 先述したようにこの試合も僕は現地で観戦していました。ただこの試合の三沢の勝ち方は返し技によるものでしたから,明らかに実力で鶴田を超越したと感じさせる,あるいは納得させるようなものではなく,むしろ三沢が鶴田のライバルとして戦っていくということを明示するようなものであったと僕は思っています。実際にこの後は三沢が率いる超世代軍と,鶴田を筆頭とした正規軍の全面抗争に突入。僕がいう最良の時代の幕開けとなったわけですが,その戦いの中で,対鶴田という観点だけでいえば,三沢も含めた超世代軍の面々はむしろ苦戦を強いられていたというのが僕の印象です。
 鶴田は1992年の秋に,一線級のまま肝臓の疾患で残念ながらセミリタイア。これ以降はそれまでと同様のプロレスはできなくなりました。ただ,プロレスというのをトータルな戦いとして考えるならば,はっきりと三沢が鶴田の上をいくところまではいかなかったと僕は思っています。鶴田も三沢もすでに故人ですが,鶴田は三沢に超えられたとは思っていなかったでしょうし,三沢も鶴田を超えたとは思っていなかったのではないかと思います。
                          
 それでもひとつの試合という観点でいえば,三沢がはっきり鶴田を上回ったと僕が感じている試合があります。これも僕が現地で観戦した試合のひとつですが,1991年9月4日の日本武道館大会です。この日は三沢は川田と組んで,鶴田と田上のチームと世界タッグの王座を賭けて対戦。三沢がフェースロックで鶴田からギブアップを奪いました。あくまでもタッグマッチですがこれは快挙だったといっていいと思います。確かにこの日だけは,三沢が鶴田を超えていたと考えてもいいのではないでしょうか。

 まず最初に,事物の定義Definitioには定義される事物の発生が含まれていなければならないとスピノザが主張するとき,この発生ということが,スピノザの哲学の全体においてどういった位置を占めるのかということを検討しておきます。
 半円の回転によって球の観念が人間の精神のうちに発生するなら,この関係は第一部公理三における,原因と結果の関係に該当するということは一目瞭然だと思います。つまり半円の回転が原因で,球が結果というわけです。ただし,この場合にはさらに特殊な意味が含まれているように僕には思えます。
 半円の回転というのは,もしもそれ自体で理解されるならば,十全な認識ではなく混乱した認識です。半円の中には本性としても特質としても回転するということが含まれていないのですからこれは当然です。したがってこれは球の観念の原因ではあるとしても,結果である球の観念と一体化することによって初めて十全であると考えることができます。よってこの一体化という観点からみる限り,むしろこれは第一部公理四の方に大きく関係しているといえそうです。すなわち,十全な認識はその原因の認識を含んでいなければならないわけですが,これがちょうど,球の十全な認識が,その原因である半円の回転の認識を含んでいなければならないということと同じ関係にあると考えられるからです。第一部公理四はいろいろな意味合いを含んでいる公理だと僕は考えますが,実は第一に意味しているのは,結果の観念がその原因としての発生の観念を含んでいなければならないということなのでしょう。したがって一般的に定義が定義された事物の発生を含まなければならないのは,この第一部公理四に依拠すると考えられると思えます。
 ただし,球は形相的事物,すなわち物体として考えられようと,その観念として客観的に考えられようと,個物であるということに変わりはありません。よってこの場合はさらに具体的に,第一部定理二八,そしてとくに球の観念として考える場合には第二部定理九の仕方で発生しなければなりません。しかるにこれらの定理はともに,因果関係の連鎖というものは永遠にあるいは無限に続くものであるということを示しています。ここのところに解決しなければならない非常に大きな問題があると僕は考えているのです。
コメント
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