第五部定理二九備考では僕たちはものを二様の仕方で現実として考えることができるという意味のことがいわれていました。この備考Scholiumが付せられることになった第五部定理二九というのは以下のような定理Propositioです。
「精神は永遠の相のもとに認識するすべてのものを,身体の現在の現実的存在を考えることによって認識するのではなくて,身体の本質を永遠の相のもとに考えることによって認識する」。
この定理からなぜ備考の内容が帰結するのかということは明らかであるといえます。なぜなら,まずこの定理の前半では,身体corpusの現在というものをその現実的存在を考えることによって認識するという事例が,定理そのものの内容からすれば否定的な文脈で言及されています。しかしこのことは,身体の現在が身体の現実的存在,すなわち持続duratioのうちに存在するものとしての存在として考えることができるものであるということが肯定されているといえるでしょう。それに対して定理の後半においては,それは身体の本性essentia,これは現実的に存在するものとしてのある個別の身体の本性という意味でなければなりませんから,その身体の現実的本性actualis essentiaといい換えることも許容されると僕は考えますが,そういった身体の本性を僕たちが永遠の相species aeternitatisの下に考えることが可能であるということが前提されているのです。したがって現実的に存在する身体は,それが現実的に存在するものとして,つまり持続するdurareものとして概念されることも可能であるし,永遠の相の下に存在するものとして概念されることも可能であるということになります。したがって現実的に存在するあらゆるものは,自分の身体が現実的に存在するという観点からは現実的に存在するものとして考えられ,自分の身体の本性が永遠の相の下に考えられるという観点からはそのものも永遠の相の下に考えられることになります。つまりものは二様の仕方で現実のものとして考えることができるのです。
繰り返しますが,ここでは現実のものとして考えられるということがとても重要です。身体の本性を永遠の相の下に考えることによって認識されるものも,それは現実として認識されているのです。
12月16日,金曜日。O眼科に網膜症の検査に行きました。この日は大変に混雑していて,院内に用意されているソファに座ることもできないほどでした。視力検査と眼圧測定を終え,散瞳のため点眼をしますと診察まで間があります。この間に同じビルの同じ階にあるI歯科に行き,予約を入れておきました。検査の結果は異常なし。家に帰ったのは12時20分でした。
12月17日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はクリスマス会で,母も同行しています。
12月20日,火曜日。金曜日に入れておいた歯科検診の予約がこの日。11時半からでした。この日もクリーニングをしただけです。12時20分に家に帰ることができました。
12月22日,木曜日。キッチンのシンクに水が溜まって流れなくなってしまいました。これでは台所仕事もままなりませんので,業者に依頼して高圧洗浄をしてもらいました。原因はパイプの詰まりであったようです。汚水を流すことはしないですが,僕の家のキッチンおよび洗面所のパイプはよく詰まるような気がします。もしかしたらパイプ自体に何か詰まりやすくなる問題があるかもしれません。ですが面倒ですからその都度の対処で済ませてしまっている実情です。僕はこの日は長者町に行っていました。
12月23日,金曜日。天皇誕生日の休日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。僕は祝日でもウィークデーは出ることが多いですが,この日は休みでした。
12月25日,日曜日。母と妹が眼鏡屋に出掛けました。妹の眼鏡が壊れてしまったからです。壊れてしまったものは修理することができないので,新しいものを作り直すということになりました。ふたりは昼食を済ませてから帰りました。
12月26日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
みなと赤十字病院に到着したのは午後11時45分頃です。中央検査室へ行くと,まだ僕の前にひとりが採血を待っていました。この場合は先に採尿を済ませます。戻っても順番が回ってきていなかったので,注射針の処理もしてから採血でした。診察が午後1時だったので,院内の食堂で昼食を摂りました。
「精神は永遠の相のもとに認識するすべてのものを,身体の現在の現実的存在を考えることによって認識するのではなくて,身体の本質を永遠の相のもとに考えることによって認識する」。
この定理からなぜ備考の内容が帰結するのかということは明らかであるといえます。なぜなら,まずこの定理の前半では,身体corpusの現在というものをその現実的存在を考えることによって認識するという事例が,定理そのものの内容からすれば否定的な文脈で言及されています。しかしこのことは,身体の現在が身体の現実的存在,すなわち持続duratioのうちに存在するものとしての存在として考えることができるものであるということが肯定されているといえるでしょう。それに対して定理の後半においては,それは身体の本性essentia,これは現実的に存在するものとしてのある個別の身体の本性という意味でなければなりませんから,その身体の現実的本性actualis essentiaといい換えることも許容されると僕は考えますが,そういった身体の本性を僕たちが永遠の相species aeternitatisの下に考えることが可能であるということが前提されているのです。したがって現実的に存在する身体は,それが現実的に存在するものとして,つまり持続するdurareものとして概念されることも可能であるし,永遠の相の下に存在するものとして概念されることも可能であるということになります。したがって現実的に存在するあらゆるものは,自分の身体が現実的に存在するという観点からは現実的に存在するものとして考えられ,自分の身体の本性が永遠の相の下に考えられるという観点からはそのものも永遠の相の下に考えられることになります。つまりものは二様の仕方で現実のものとして考えることができるのです。
繰り返しますが,ここでは現実のものとして考えられるということがとても重要です。身体の本性を永遠の相の下に考えることによって認識されるものも,それは現実として認識されているのです。
12月16日,金曜日。O眼科に網膜症の検査に行きました。この日は大変に混雑していて,院内に用意されているソファに座ることもできないほどでした。視力検査と眼圧測定を終え,散瞳のため点眼をしますと診察まで間があります。この間に同じビルの同じ階にあるI歯科に行き,予約を入れておきました。検査の結果は異常なし。家に帰ったのは12時20分でした。
12月17日,土曜日。妹の土曜出勤でした。この日はクリスマス会で,母も同行しています。
12月20日,火曜日。金曜日に入れておいた歯科検診の予約がこの日。11時半からでした。この日もクリーニングをしただけです。12時20分に家に帰ることができました。
12月22日,木曜日。キッチンのシンクに水が溜まって流れなくなってしまいました。これでは台所仕事もままなりませんので,業者に依頼して高圧洗浄をしてもらいました。原因はパイプの詰まりであったようです。汚水を流すことはしないですが,僕の家のキッチンおよび洗面所のパイプはよく詰まるような気がします。もしかしたらパイプ自体に何か詰まりやすくなる問題があるかもしれません。ですが面倒ですからその都度の対処で済ませてしまっている実情です。僕はこの日は長者町に行っていました。
12月23日,金曜日。天皇誕生日の休日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。僕は祝日でもウィークデーは出ることが多いですが,この日は休みでした。
12月25日,日曜日。母と妹が眼鏡屋に出掛けました。妹の眼鏡が壊れてしまったからです。壊れてしまったものは修理することができないので,新しいものを作り直すということになりました。ふたりは昼食を済ませてから帰りました。
12月26日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
みなと赤十字病院に到着したのは午後11時45分頃です。中央検査室へ行くと,まだ僕の前にひとりが採血を待っていました。この場合は先に採尿を済ませます。戻っても順番が回ってきていなかったので,注射針の処理もしてから採血でした。診察が午後1時だったので,院内の食堂で昼食を摂りました。