アイルランドから1頭が遠征してきた第15回中山グランドジャンプ。
出遅れたゴールデンガッツが最初の障害で落馬。これに巻き込まれる形でカピターノが競走中止。波乱の幕開けでした。先頭でレースを引っ張ったのはシゲルジュウヤク。しかし落伍する馬はなく,ほとんど集団でのレースに終始しました。
勝負所からシゲルジュウヤクを追い掛けていったのはハクサン。3コーナーを過ぎると並ぶところまでいきましたが,そこで一杯に。ここから外を回って追撃してきたのがブラックステアマウンテン。こちらは直線の入口でシゲルジュウヤクに並び掛け,最後の障害の手前で僅かに前に出て先頭に。競り落とされる形になったシゲルジュウヤクは力尽き,抜け出したブラックステアマウンテンに迫ってきたのはリキアイクロフネ。しかし先に抜け出したブラックステアマウンテンが半馬身だけ凌いで優勝。リキアイクロフネが2着。シゲルジュウヤクが1馬身4分の3の差で3着。
優勝したアイルランドのブラックステアマウンテンはアイルランドでGⅠ2勝。今回が初来日ですので日本の大レースは当然ながら初勝利。早くに来日し,2着馬の勝った先月の前哨戦に出走。そのレースはペースにまったくついていかれずに大敗。距離が伸びて追走が楽になったこと,わりといい馬場でしたがさほどのタイムにならなかったこと,そして馬群が固まってのレースになったことなど,都合よく進んだ面も大きかったとは思います。ただ,やはり最も大きかったのは,前哨戦を叩くことによって,日本のレースに慣れることができたという点ではなかったでしょうか。
騎乗したのはルビー・ウォルシュ騎手で管理しているのはウィリアム・マリンズ調教師。日本での大レースは初勝利です。
総合内科がいくつかの科に区分され,そのうちの内分泌科が,僕が診療を受けるべき科であったわけです。したがって総合内科という科がなくなり,いくつかの科が新設されたということになりますが,前年度まで総合内科で受診をしていた患者のすべては,おそらく新設されたそれぞれの科に配分されたということだと思います。新設された科がいくつあって,それぞれ何という名称の科であったのかということはこの日は分かりませんでしたが,かつて説明したように,この総合内科を受診していた患者のほとんどは,僕のような糖尿病であるか,透析を含めた腎臓病であるか,そうでなければ膠原病であるかで占められていましたから,少なくともみっつの科には分類されたと考えるのが妥当だと思われます。そのうち糖尿病で受診していた患者は,内分泌科に分類されたと思われますが,内分泌科という名称から類推するならば,内分泌科を受診する患者のすべてが糖尿病患者であるとは限らないかもしれません。
いずれにしてもこうした事情ですから,診療するべき科の名称に変更があったというだけのことであり,受付なども含めた診察室の場所というのは,前年度までと何ら変わることはありませんでした。ということは受付自体にも何の変わりもなかったということであり,かつて総合内科で受診していた患者のすべてが,それまでと同様の受付を利用するということになります。つまり,内分泌科になったからといって,内分泌科専用の受付窓口が新設されたというわけではありませんでした。科が分類されたのはおそらく病院内の何らかの事情によるもので,一方で受付や診察室に関しては建物の構造上の事情が関係してきますので,これは止むを得ないことだと判断するべきでしょう。
今までと同じ受付に向い,機械から発行された受診票を事務の方に提出しました。事務の方はその受診票が初診の扱いになっていることを確認し,問診表のようなものを用意しつつ,来院の目的を尋ねましたので,僕は処方箋を出してもらいたい旨を告げました。すると事務の方はそれだけであるということを確認し,問診票は引っ込めまして,番号ではなく名前を呼ぶので,待機するように命じました。
出遅れたゴールデンガッツが最初の障害で落馬。これに巻き込まれる形でカピターノが競走中止。波乱の幕開けでした。先頭でレースを引っ張ったのはシゲルジュウヤク。しかし落伍する馬はなく,ほとんど集団でのレースに終始しました。
勝負所からシゲルジュウヤクを追い掛けていったのはハクサン。3コーナーを過ぎると並ぶところまでいきましたが,そこで一杯に。ここから外を回って追撃してきたのがブラックステアマウンテン。こちらは直線の入口でシゲルジュウヤクに並び掛け,最後の障害の手前で僅かに前に出て先頭に。競り落とされる形になったシゲルジュウヤクは力尽き,抜け出したブラックステアマウンテンに迫ってきたのはリキアイクロフネ。しかし先に抜け出したブラックステアマウンテンが半馬身だけ凌いで優勝。リキアイクロフネが2着。シゲルジュウヤクが1馬身4分の3の差で3着。
優勝したアイルランドのブラックステアマウンテンはアイルランドでGⅠ2勝。今回が初来日ですので日本の大レースは当然ながら初勝利。早くに来日し,2着馬の勝った先月の前哨戦に出走。そのレースはペースにまったくついていかれずに大敗。距離が伸びて追走が楽になったこと,わりといい馬場でしたがさほどのタイムにならなかったこと,そして馬群が固まってのレースになったことなど,都合よく進んだ面も大きかったとは思います。ただ,やはり最も大きかったのは,前哨戦を叩くことによって,日本のレースに慣れることができたという点ではなかったでしょうか。
騎乗したのはルビー・ウォルシュ騎手で管理しているのはウィリアム・マリンズ調教師。日本での大レースは初勝利です。
総合内科がいくつかの科に区分され,そのうちの内分泌科が,僕が診療を受けるべき科であったわけです。したがって総合内科という科がなくなり,いくつかの科が新設されたということになりますが,前年度まで総合内科で受診をしていた患者のすべては,おそらく新設されたそれぞれの科に配分されたということだと思います。新設された科がいくつあって,それぞれ何という名称の科であったのかということはこの日は分かりませんでしたが,かつて説明したように,この総合内科を受診していた患者のほとんどは,僕のような糖尿病であるか,透析を含めた腎臓病であるか,そうでなければ膠原病であるかで占められていましたから,少なくともみっつの科には分類されたと考えるのが妥当だと思われます。そのうち糖尿病で受診していた患者は,内分泌科に分類されたと思われますが,内分泌科という名称から類推するならば,内分泌科を受診する患者のすべてが糖尿病患者であるとは限らないかもしれません。
いずれにしてもこうした事情ですから,診療するべき科の名称に変更があったというだけのことであり,受付なども含めた診察室の場所というのは,前年度までと何ら変わることはありませんでした。ということは受付自体にも何の変わりもなかったということであり,かつて総合内科で受診していた患者のすべてが,それまでと同様の受付を利用するということになります。つまり,内分泌科になったからといって,内分泌科専用の受付窓口が新設されたというわけではありませんでした。科が分類されたのはおそらく病院内の何らかの事情によるもので,一方で受付や診察室に関しては建物の構造上の事情が関係してきますので,これは止むを得ないことだと判断するべきでしょう。
今までと同じ受付に向い,機械から発行された受診票を事務の方に提出しました。事務の方はその受診票が初診の扱いになっていることを確認し,問診表のようなものを用意しつつ,来院の目的を尋ねましたので,僕は処方箋を出してもらいたい旨を告げました。すると事務の方はそれだけであるということを確認し,問診票は引っ込めまして,番号ではなく名前を呼ぶので,待機するように命じました。