スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

『こころ』の真相&第五部定理一五

2017-07-20 19:33:13 | 歌・小説
 Kが奥さんに対して「私は金がない」からお祝いをあげることができないと言ったことの意味は,Kは先生との結婚を「祝えない」ということであったと僕は解しています。僕と同じような読解を示しているものとして,柳澤浩哉による『『こころ』の真相』があります。これは2013年に発売になったもので,『こころ』の評論としてはわりと新しいものといえます。
                                     
 柳澤は「はじめに」で,『こころ』には不合理な部分が多々あるけれども,そのほとんどか解決することが可能であり,本書の目的は,矛盾や不可解にみえる箇所に対して客観性の高い解答を提示することであるといっています。これはかなり読者の期待を煽る,自信に満ちた記述といえるでしょう。「おわりに」においては,従来の『こころ』の読解の前提は,物語の内容は先生が語った内容に沿って生じているのであり,語りの部分の不合理はノイズであると考えられてきたけれども,柳澤は,先生は真相を誤解しているのであり,語りの不合理には目を閉ざさないように読解したと書いています。
 『こころ』はだれが書いたかといえば私が書いたものです。柳澤が語り手として先生をあげているのは,柳澤の読解の中心が下の先生の遺書に特化しているからです。ただ,もし柳澤と同じような前提を選択したとしても,本書と異なる読解や本書を超越する読解が出てくるであろうともいっていて,ややトーンダウンを感じさせます。そう考えているならなぜ「はじめに」でそこまでハードルをあげたのかが僕には謎でした。
 読解の方法は原則的にテクスト自体を前提としたものです。ただ,柳澤は最終的な結論を出す部分では,作者である漱石の意図というのをちょくちょく持ち出してきます。これは僕がいう作家論と作品論の分類でいえば作家論に属し,僕は作品論の方を重視しますので,個人的にいえばそういう手法を持ち出さない方がより説得力が増したのではないかと感じます。ただこの感じ方は人それぞれでしょう。
 部分的には優れていると思う読解が含まれていました。これについては個別に紹介していくことにします。

 第五部定理一四証明の中に飛躍が含まれているということはできますが,論証自体が成立しないというわけではない,いい換えれば僕たちの精神mensのうちにある共通概念notiones communesを,僕たちが絶対に無限な実体substantiaと関連させることができないというわけではないので,これについてはこれ以上の追及はやめることにします。
 この第五部定理一四を援用することによって論証される定理Propositioとして,次の第五部定理一五があります。
 「自己ならびに自己の感情を明瞭判然と認識する者は神を愛する。そして彼は自己ならびに自己の感情を認識することがより多いに従ってそれだけ多く神を愛する」。
 この定理は証明Demonstratioを詳しくみたいのですが,その前に次のことをいっておきましょう。
 第五部定理二四というのは,個物を多く認識するほど神を多く認識するQuo magis res singulares intelligimus, eo magis Deum intelligimusという主旨のことをいっています。したがってこの定理の意味は,個物を認識するということは神を認識するということと等置することができるということでした。このとき,人間の精神mens humanaによって認識されている神は,絶対に無限な神ではなくて,たとえばAという個物という様態的変状modificatioに様態化した神でなければなりません。そして前にもいったように,このことは,個物を多く認識するほど神を多く認識するという主張そのものからも明らかでなければなりません。なぜなら絶対に無限な神というのは唯一なのですから,それを多く認識するとか少なく認識するということはできず,認識するか認識しないか,あるいは十全に認識するか十全に認識しないかのどちらかでなければならないからです。
 第五部定理一四も,自己と自己の感情affectusをより多く認識するほど神を多く愛するといっています。ですからここには第五部定理二四と同じような意味が含まれていなければなりません。つまり,スピノザはこの定理の最初の文章では,神を愛すると,あたかも絶対に無限な実体である神を人間が愛するかのように解せそうなことをいっているのですが,ふたつめの文章からは,その部分をそのようには解せないといわなければなりません。いい換えればここで愛される神は,限りにおける神,様態的変状に様態化した神なのです。
コメント
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