スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

霧島酒造杯女流王将戦&塔婆

2013-11-13 19:09:20 | 将棋
 9日に放映された第35期女流王将戦挑戦者決定戦。収録は8月29日でその時点での対戦成績は上田初美女流三段が0勝,香川愛生女流初段が1勝。
 振駒で先手を得た上田三段は初手に▲2六歩と指して居飛車を明示。香川初段の升田式石田流となり,角交換の後,後手が美濃,先手が矢倉に。先手が角を手放す代償に一歩得をするという展開に進みましたが,全般的に後手の作戦勝ちで,とくに本格的な戦端が開かれた付近では,はっきりと後手が良くなっていたものと思います。ただ,後手はその後は的確に指すことができず,根気比べのような中盤戦が延々と続くような一局になりました。
                         
 後手が1九の馬を引きつけた局面。ここで▲8六香と打ったのですがこれは失着で,▲5一銀から攻めていくのが優ったと思われます。実戦は△3ニ歩と打たれ▲1一馬。香車は取れたものの▲5一銀からの攻め筋が消滅してしまいました。後手が△7三桂と跳ねたのに対して▲5ニ歩と打ったのもここではぬるかったよう。△8四歩と打った香車を目標にされたところで▲6六歩と合わせていきましたが,それならば▲5ニ歩のところですぐに合わせておくべきだったと思われます。後手は△8五桂打として▲6五歩に△同桂左と取ることができました。
                         
 おそらくここの部分でまた流れが後手に傾いたようです。先手は▲6九歩と受けたのですが,△9五歩からの端攻めが厳しく後手が勝勢になりました。最後の勝ちを決めるところで手順を誤ったため,猛反撃を喰らい,後手玉が詰むのではないかと思えるような手順に進みましたが,実戦は逃れ,後手の勝ちになっています。
 196手という泥試合を制した香川女流初段が挑戦者となり,女流二段に昇段。三番勝負の第一局は16日に放映されます。

 祖母のための墓参りをして,同時に父の彼岸の塔婆も立てました。ただ,そのときに思わぬことがありました。
 父の死後,彼岸の塔婆というのは2本立てています。1本は父のもので,もう1本は先祖代々のもの。この墓には父だけでなく,父の両親の骨も納めてあります。先祖代々という名義で塔婆を立て始めたのがいつからであったかは僕の記憶にはありませんが,現在はそういう塔婆を立てる習慣となっていたのです。
 祖母の二三回忌の塔婆は親戚のうちのだれかが一括して受け取り,それを持っていきました。一方,彼岸の塔婆はそれらとは別に僕が受け取り,僕自身の手で持ち運んだのです。そしてそれは新聞紙に包まれてありました。まさかそのまま立てるわけにはいきませんから,墓前で新聞紙を剥がしたわけです。すると中には,3本の塔婆が入っていたのです。
 このうち1本は父のもので,もう1本が先祖代々の塔婆であったことはいうまでもありません。残る1本は,母の母のものでした。母の母の塔婆というのは,これまでにも受け取ったことがありました。祖母が檀家になっているのは,通夜と葬儀のときにも説明したように高野山真言宗のお寺ですが,本門仏立宗の塔婆は,宗派とは関係なく立てて構わないのだそうです。塔婆に書かれるのは戒名で,母の母の戒名がどのようにこちらのお寺の知ることになったのかという経緯は僕は知りませんが,先方では把握してありましたので,こうした塔婆が立てられることも可能にはなっていたのです。塔婆というのは立てるのに費用が必要ですが,母に聞いたところ,このときに支払ったのは2本分だけであったとのことで,いわばこの母の母の塔婆というのはサービスのような形で受け取ったことになります。
 ただ,この塔婆はここに立てるわけにはいきません。したがってこの1本については,自宅まで持ち帰るということになりました。すでに記しましたように,母の母の墓への彼岸の墓参は,僕は同行できませんでしたが23日に済ませてありました。なのでこの塔婆をすぐにそちらの墓に立てるということはできなかったのですが,とりあえず保管して,いずれ立てることにしたわけです。そしてその目途もこの時点で立っていました。
コメント
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