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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「山わけ衣」を再読する

2025-05-28 07:04:06 | 書籍・読書

                 

 ちょうど10年前の6・7月に熊本史談会では長瀬真幸著の「山わけ衣」を会員(元)のK氏にご紹介いただいた。
長瀬は熊本では著名な文化文政期に活躍した国学者であり、塙保己一の群書類従の編纂などでも活躍している。
長瀬は熊本における師である、高本紫溟の御供をして大津の真木村にある天照大神宮の祭礼に出かけているが、その行き帰りの詳しい記録である。
藩校・時習館の第三代の教授を務めた高本は、この時期は72歳の老齢だが、山道もいとわず目的を果たしている。
長瀬の献身的なサポートぶりが見て取れる。
「須賀廼舎日記抄」をご紹介しているが、こちらでも大津の村々の事情などが見えるところから10年ぶりに資料を取り出して読み始めた。
いわゆる大和言葉で書かれており、すらすらとは読めないし独特な単語などが出てくると、辞書なりウイキペディア・AIなどのお世話になるから、簡単とは参らない。

最後にあたりて次のように記されている。
  折      うし(高本紫溟)                        紫溟の息か                          昨夜
  おりしも大人の家よりむかえの人来りて 文さし出せり 相匡ぬしの妻の君なん 日ごろのいたわり よべよりことさらに

  あつしれ給えば とく帰り給えなど 母の君より言いおこせ給えるを聞きて うしも相匡ぬしもいみじく心もとなかり給
                       仮橋          保田窪
  いていそぎて立ち出で給う こゝより向えにかりはしあるをわたりて ほたくぼというかなたへ ちかき道を いそがん

  とてわかれ給う

かって熊本史談会に紫溟先生のご子孫が会員として在籍されていた。その方がなんと保田窪にお住まいであり、これは偶然なのかと改めて驚いている。

  おのれはたゞひとりうす月夜 ことにこよいしも 月帯蝕とか言いて かげくらきに心ぼそく

      かえるさの 野路よりくれて おくる夜の つきもいざよう 杉の下道
                   6時
  行きつくして龍田口にいり立ぬるは 酉の時過ぎる
                         8時
  ほどなきここより町家つゞきて にぎわゝし かくていぬの時ばかりにぞ いえにはかえりつきぬ

この文章は文化四年十月のことが記されているが、いろいろ調べてみたが「月帯蝕」が起こったという記録に出会えない。
     

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