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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「阿部茶事談」(01~02)釈文

2019-12-10 08:38:16 | 創作

01     阿部茶事談
         忠利公肥後国拝領之事
                       世にも
                 たくひありと誰かハい王ん末尓匂ふ世尓毛       たぐいあり と誰かはいはん末匂ふ秋より後の白菊の花 後水尾帝御製
                               よく栄えいや増す
      名高き白菊能栄へ弥増武功の花
      羽林源忠利公 参議宰相源忠興公の御          羽林 この場合は少将を示す
      譲りを請續セ給ひ 豊後豊前三十一万石余
      を領し給ひ小倉の城尓在/\ける尓 寛永
      九年九月十三日 忠利公小倉を發し為
      参勤江府へ赴き給ふ処奉書到来せり
      其文ニ曰

       一筆令啓達候當地御参候儀最前十
       月中旬於江戸御参候様ニと申合得共
       貴殿御事早々御参勤可然候為其以
       飛札申入候恐々謹言
                稲葉丹後守           稲葉正勝
        九月十六日   酒井讃岐守           酒井忠勝
                土井大炊頭           土井利勝
          細川越中守殿
              人々御中
        猶々御参尤ニ候以上
      右三人連書之外稲葉正勝唯寄書副
      之書使速ニ参府不及申候得共御意御

 

01     下尤ニ存候 乍去餘御急候て路次ニ而不審
      可有候間其心得尤ニ候 将大御目見一段御
      年比共ニ候 何事も面上可申候
       九月十六日    稲葉丹後守
          忠利様
        頓而々々奉待候已上
      斯て江戸御着座有けり十月三日又法
      書有
       明日御登城候旨其心得ニ而上屋舗
       ニ而可被有御待候 時分之儀ハ自是可申
       達候 御進物入申間敷候 恐々謹言
                稲葉丹後守
        九月十六日   酒井讃岐守
                土井大炊頭
          細川越中守殿
              人々御中
      依之十月十四日御登城有りける処ニ 将軍
      家家光公 忠利公へ肥後国十二郡豊後の
      内三郡都合五拾四万石を給ル 是加藤
      豊後守忠廣闕国也                  加藤忠廣  闕国

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