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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■源立院ゟ

2018-06-03 07:08:35 | 史料

                             

 「~より」は環境依存文字として「ゟ」と表記されるが、三齋公の養女にして宇土細川家初代・行孝公室の源立院の書状にある「ゟ」である。
「よ」と「り」を合体させたような形だが、第一画は横棒だと思っていたがこれを見るとどうもそうではないらしい。
もっとも筆順などにとらわれない自由さがあったようだ。
こういう文字を見ると使ってみたくなるな~と思うのだが、これはよほど親しい人にしか使えそうにない。

この文書は、源立院が一族で従兄弟にあたる加来宇左衛門に宛てたものだが、女文字の長い手紙でとても読み下しはできそうにないが、内容が大いに気になる書状である。

    兵右衛門---・---三右衛門(八代分領解体後本藩家臣)
         |
           ・---三七・兵右衛門(若死)---------お三(源立院、立法院養育・忠興養女--行孝室)
         |
           ・---いせ(立法院・忠興側室北の丸殿)
         |
           ・---佐左衛門(八代分領解体後本藩家臣)ーーー宇左衛門(500石)

 

        一書、宮松殿及ひ立法院殿をも宇土ニ移置と有、考ニ立法院は加来兵右衛門娘なり、豊前
        以来化粧田五百石三斎君より被下置、御懇之儀ハ加来が家記に詳也、三斎君御養女ニ被
        成置たるおさん殿も加来か娘也、後行孝主の室也、三斎君御逝去之砌も御一所八代ニ御座
        候而、暫く小川に御住居、無程宇土ニ被移候なるへし      (綿考輯録・巻六十二) 

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