三一、古今傳授
前記の如く、敵中の孤城で古今傳授が行なはれた。この日、勅使として下向した三
條西實條は幽齋の右筆中村及以といふ者の案内で寄手の中を通り、城主居館の書院
に請ぜられた。實條は床の間をうしろにして南面して坐し、幽齋及び籠城の諸將に勅
諚を傳へた。それがすむと、諸將は引下つて、主客二人だけとなつた。公けの事が終
つたので、古今傳授に移らうとするのだ。
時雨文臺といふを中央に据ゑ、實條が北面して坐つた。師弟の禮をとつたのであ
る。秋は未だ暮れぬながら、北國のならひとて、早くも時雨の來さうな寒さ、十分に
炭火を入れた火桶から香の匂ひが立つてゐる。幽齋は、上差の矢の羽で、文臺の塵を
しづかに拂つた。さすがに勅使在城中とて、今日は鐵砲の音一つせず、籠城五旬、は
じめての静けさである。一時間ばかりして書院の襖が開いた。幽齋は、昨日までの如
く具足を著けに、居間へ戻つたのであつた。何を授け、何を受けたのか、「秘傳」な
つがゆゑに内容を語るよしもない。
幽齋は二十八年以前に、三條西實枝から古今傳授をうけた。實條は實枝の孫であ
る。すなはち、恩師の孫に傳授を「返し」たのであつた。重圍の中に在つて明日のい
のちも知らぬ幽齋、これで思ひ殘すことが無くなつた。三木を傳へ、三鳥を授けたか
らとて、今日から實條の作歌技倆が一歩でも進むものとは考へない。「秘傳」は歴史
である。歴史を傳へるといふことが即ち此の傳授の存在意義であると幽齋は信じてゐ
た。
實條は數人の武士に護られ、騎馬で京都へ歸つて行つた。途すがら馬上で感慨に耽
つた。當今堂上の歌人には中院通勝が居る。烏丸光賢が居る。近衛信尹が居る。不肖
ながら自分も居る。少しく遡れば、父の公國も居つた。九條稙通も居つた。誰も居つ
た。彼れも居つた。然るに、定家卿直系の二條派歌學は、一武將なる幽齋に實權を掌
握されてしまつた。幽齋は職業歌人ではない。佛道で申せば居士に過ぎない。居士で
はあるが、維摩大居士だ。悲しい哉、われ等歌人と申す者の中に、文殊菩薩はおろか
のこと、迦葉も居らず、舎利佛も居らず、富樓那も、離娑多も、離陀も、阿離陀も居
ない。問答どころの沙汰ではなく、唯々諾々として「秘傳」を授かるのが關の山だ。
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