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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■先祖の恩人、真木嶋玄蕃頭殿

2020-05-18 06:34:54 | 歴史

    《国宝級稀少現存唯一長文書状》《武田信玄 書状 足利義昭将軍筆頭側近真木嶋玄番頭殿 一色駿河守殿宛》

11,000,000円というべらぼうな値段が付いた上記古文書がヤフオクに出品してある。
内容が確認できないようにぼかしがかけられていてその内容は伺えない。
とても何方かが落札されるとは思わぬが、大変興味ある文書である。

さてこの真木嶋玄蕃頭は後に細川忠興の客分として豊後に入った。子孫は家臣となり明治に至っている。
私の先祖が細川家に仕えることになったのは、この真木嶋玄蕃頭(雲庵または云庵)と、清田石見お二人があってのことである。
故にこのような文書に出会うと、なんともうれしくなるのだが「国宝級」そして余りの高額に呆然とするのみである。

わが先祖は別段戦場での働きがあるわけでもなく、ご縁があってスカウトを受けて、元和九年(1623)閏八月、兄弟二人(初代庄左衛門と兄・長五郎)が豊前へ召し出された。
声をかけていただいたのが、お二人である。(清田石見一族のご子孫とは親しくお付き合いをさせていただいている)
わが先祖に特筆すべき業績はあまりないが、ただこの召し出しについての経緯は、大いに誇りにしたいと思っている。
下は我家の先祖附のの冒頭部分である。

                                           

                   三斎様豊前ゟ江戸御上下被遊候時分ハくた松ニ御船
                   繋被成候 右市左衛門居宅濱邊ニ有之候を於御船被遊
                   御覧御尋被成候ニ就而は磯部浄雲と申者之忰居
                   宅之由清田石見殿槇嶋雲庵方ゟ被達御耳候
                   處兼而被為 聞召及候由ニ而市左衛門宅へも両度被為
                   懸 御腰御膳等被召上候 御供之衆ニハ濱邊ニ假
                   屋を申付料理等差出申候由其節市左衛門親子三人共ニ
                   御前へ被召出御懇之御意共御座候 其後於豊前右
                   石見殿雲庵方両人ゟ申参り御意之由ニ而市左衛門子供
                   両人豊前へ御召寄御児小姓ニ被召出

 

 

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