
中根氏といえば平清盛の伯父・忠正を祖とする戸沢・中根・服部氏があり、後年徳川家光の側衆を勤めた正盛が著名である。その家紋は「抱き茗荷」だとされる。
細川家家臣中根氏の家紋も「抱き茗荷」である。一族であることは間違いないところであろう。
初代市左衛門(御鉄炮頭衆 千石)以来、御番頭を輩出する家柄で、明治に至たった。
三代次兵衛・正春(御物奉行-小兵衛組・千石 御侍帳・元禄五年比カ)の室が、奥田権左衛門(初代)女・きちであるため「転切支丹奥田権左衛門・系図」に中根氏も名を連ねている。
又、分家・市十郎家(500石)があり、その資料「中根家文書」が熊本市立図書館に収蔵されている。
細川家家臣中根氏の家紋も「抱き茗荷」である。一族であることは間違いないところであろう。
初代市左衛門(御鉄炮頭衆 千石)以来、御番頭を輩出する家柄で、明治に至たった。
三代次兵衛・正春(御物奉行-小兵衛組・千石 御侍帳・元禄五年比カ)の室が、奥田権左衛門(初代)女・きちであるため「転切支丹奥田権左衛門・系図」に中根氏も名を連ねている。
又、分家・市十郎家(500石)があり、その資料「中根家文書」が熊本市立図書館に収蔵されている。
私は中根正盛の子・正朝の子孫ですが、中根正盛は平忠正の子孫ではございません。
記事を拝読し、どうしても気になったので訂正させていただきます。
熊本にあるお寺に家系図が、お寺の火事により消失してしまったため検索しておりました。
確かにうちの家紋と同じでうれしくなりました。
情報ありがとうございます。
先祖附などお持ちでありませんでしたら、コピーをお送り致します。以降メールフォームからご連絡ください。
江戸時代に生きておられた方はすべて俗名が記されておらず、
中根照道
さんが、明治時代におられたことしかわかりませんでした…
見る位牌見る位牌女性ばかり…
話にはきいていたけれどここまで女系家族だったのか…と驚いております。
先祖附の件は残念ですが、こういった機会でもなければ御位牌ひらくことなんて無かったと思います。
ありがとうございました。