細川家筆頭家老・松井家七代営之(ためゆき)は、その肖像を見る限りにおいては、品のいいお殿様という感じだが、笑顔も滅多に見せない頑強の人であったらしい。宇野東風著の「霊感公記」には「屋敷内の人々恐を抱き、兎角気味悪くて・・・」と記されている。細川重賢の懐刀・大奉行堀平太左衛門の宝暦の改革に、奉行としてその片腕となった井口庄左衛門という人がある。あるとき、営之と庄左衛門との間に大論争があり、腹に据えかねたのであろう営之は、細川重賢に対し庄左衛門拝領を申し出る。その夜重賢は庄左衛門を居間に呼び、御盃を与え返盃を受けられたという。「お暇乞の御心」を察した庄左衛門は、立ち帰って切腹して果てるのである。果して営之と庄左衛門の間の論争とは何であっのか・・・。宝暦の改革は、松井や米田・有吉といった宿老達は蚊帳の外にあった。今一人の家老・有吉内膳などは、事もあろうにその家臣が堀平太左衛門を呪詛し、事が露見して永蟄居となったりしている。宝暦の大改革に当たっての、産みの苦しみである。
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