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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「寿賀廼舎日記抄」をたどる(29)

2025-07-04 09:36:58 | 寿賀廼舎日記抄

(元治二年~慶應元年)五月及び閏五月
五月二日 白石平八郎御蔵え詰め候間、見舞い久々にて呑み方仕り候。
     南方の吉川、同紫藤え例の通り月祓の御札遣し候。
  四日 大早駕八つ頃より夜五つ頃までに三駕下り候。
  五日 習書生節句の札毎の通り、鉄炮小路江口忠蔵隠宅え入り候。
  七日 (四月三十日より湯治)澄之助様(護久)、良之助様(護美)御帰府、当茶屋にてお昼遊ばされ馬に御帰館に相成り候。 
  十三日 大早二駕下り候。
  十四日 御家中下り多く昼夜の区別なく下り之れ有り候。達し写。
        将軍様此の度毛利大膳父子御征伐の為、五月十六日御新発仰せ出だされ候については太守様御先手の御先鋒仰せ蒙ら
        せられ候、此の段触支配方えも達せらる可く候以上。
                            奉 行 所
  十四日(ママ) 牧多門之助殿下り。
  十六日 小笠原美濃殿下り。近日下り多く之れ有り候。
  十七日 四つ半頃大早二駕下り候。当日梅雨に入り候えども雨少しも降り申さず、水すそは田植出来兼ね困窮の至りに候処に、二
      十三日昼頃より少しづつ雨降り、七つ頃より大降りに相成り候て終夜降り候。同二十六日までに追々に降り川水も増し田
      植も一統出来申し候。
  二十五日 白石平八郎当御蔵引き取り離盃仕り候。
      円通庵当二十日頃より数鹿流竜王社に雨乞に参り候由、然る処幸に打当て候。
  二十六日 夜四つ大早下り候。

潤五月四日 昼後大早四棹下り候、年号の儀四月八日御城(江戸)に於いて仰せ出だされ候段御達し御座候。(年号改元慶應となる)
   六日 八つ過ぎ大早三駕下り候。昼より又々梅雨に相成り候。
   七日 九つ過ぎより降り出だし雷声にて強雨、大水出で候て所々損所之れ有り。
   十六日 宮馬場石橋掛け方、此の間の大雨にて落ち込み候、近日毎日夕立ち仕り候。
   十七日 鶏鳴すぎ大早下り候。
   二十一日 夜九つ頃大早二駕下り候。二十日より又々梅雨模様にて雨降り出だし二十二日まで晴れ申さず、粟蒔最中にて当惑仕
        り候。
   二十六日 晴。
   二十七日 七つ頃より降り出だし候。
        当時白米一升二匁五分、油合一一匁四分、上酒一升四匁、魚類殊に高値に候、薪枯枝一駄四匁五分、
    

        

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