津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■八代松江城と高島・白島

2022-10-12 13:50:56 | 熊本

             

 元和六年、八代松江城は加藤清正臣加藤右馬允によって築城された。
この絵図がその当時を表すものだという。前川と球磨川の間に麦島があり、かってはここに小西行長の麦島城があった。慶長五年小西氏が滅んだあと肥後一国加藤清正がおさめることになると、加藤正方が城代として入城したが、元和五年地震により倒壊した。
これにより徳淵の津に近い場所に松江城(八代城)が建設された。隣国島津氏を睨んだ見事な城である。
八代は「干拓の町」とも言われるが、松江城の完成当時は図の如く、西に八代海が広がり高島が望まれた。
高島(標高33m)は現在八代の「低山」として「白島」(標高17m)とともに脚光を浴びているが、松江城西部の干拓により、文化13年の高島新地の造成完了と共に陸地化した。
一次干拓は延宝元年・松井直之によって行われた高子原新地の造成である。高島新地の造成は松井微之によって行われた。
現在の県道八代不知火線を限りとした。それに続く郡築新地の造成は明治に入り37年の事である。沖にある「白島」がこの時期陸地化された。
現在の「松浜軒」(松井家お茶屋)は松井直之が元禄元年に母の為に建設したものだが、干拓の為に八代海が様変わりした後だが、かろうじて高島や白島は八代海の小島として存在していた。
移り変わる八代の風景が面白く思える。
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NHKでは現在「日本百低山」を放送しているが、「熊本の低い山」を取り上げたのは、熊本のRKKの名物番組「土曜の番組」だった。
「各地の低い山を登る」という下らぬ企画が受けた。■愛宕山より低い山

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