津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■頼まれた「おひい様」への付文

2019-11-09 14:35:19 | 書籍・読書

 久野啓介氏著の「宇土半島私記」を図書館から借りて読んだことは先にブログで書いたが、非常に面白いので日本の古本屋を通じて購入した。

ここに著者が大学生の頃の話が出ている。
宇土細川家のおひい(姫)様に付文を頼まれたという。

      「・・・僕が大学へ汽車通学の時代に、通学列車で一緒になることがあったが、文字通り高根の花であった。
       仲間の誰一人アタックすることができなかったところ、他所の高校の無鉄砲な学生から付文を頼まれたこと
       があった。「滅相な」と一言発して、即座に断った。」

 おひい様はピンク色の馬門石の石塀で囲まれた広大なお屋敷に住まわれていたという。かっての宇土細川家の陣屋の事だろうか。
著の中にも書かれているが、後には切り売りされて住宅街になったとある。地震の後どうなっているのか知らないが、教育委員会が入る建物があったがそこが陣屋跡である。
久野氏は1936年生まれで、「おひい様とは一つ違い」と書かれているが、資料を調べてみると二歳違いだがY子様が1938年生まれだからこの方の事であろう。
13代立興公の孫にあたられる。
宇土細川家の嫡家はY子さまに10歳年下の弟が誕生したが夭折され男系が途絶えた。
12代行眞公の家系にも男系が途絶えた。
そのため現在は11代立則公・12代行眞公の弟・寿長家の家系に受け継がれている。
       

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■細川小倉藩(69)寛永元年・日帳

2019-11-09 06:44:11 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)十日

         |                          
         |     十日   両人当番 晴天 
         |                                    (米田是友)(矢野)
江戸ヨリ来状   |一、江戸ゟ御小人弐人・御中間弐人御使ニ参候、御奉行衆へ 御書御文箱二つ、甚左衛門・助二郎へ
         |             (松井興長)(有吉英貴)                         (米田是門)
         |  七月十六日之 御書壱つ、式ア殿・頼母殿への御文箱壱つ、民ア殿へ御文箱壱つ、與右衛門殿・
         |   (矢野)       (沢村吉重)       (野田幸長)(豊崎)
         |  利斎御文箱壱つ、大学殿へ御文箱壱、小左衛門・甚丞へ御書壱つ、御家老衆へ 御書ハ原田伝三
         |  郎ニ持せ被遣候、御文箱符なと年ヲ入被渡候事
         | (米田是季)
         |一、けん物殿へ、御書壱つ、米田甚左衛門持参申候事
         |
間太郎介出府ノ諸 |一、間太郎介、来月江戸へ被召寄せ候ニ付、留守之賄、又小者之取替ニ、米弐拾石三斗七升五合被遣
賄        |  候、内拾六石三斗七升五合ハ五ケ月ノ賄分、四石ハ小者弐人ノ取替、外ニ銀子三百め、利なしニ
         |                (辰珍)
         |  御貸シ候、右二色ともニ津川四郎右衛門殿御奉故、書物加判有之ニ、御奉行判形被仕候事、外ニ
         |  江戸ヘノ駄賃・遣銀も被遣候                          〃
         |         (植)                 (下毛郡カ)
代官下代代官ニ召 |一、仁保惣兵衛下代上木勘兵衛、御代官ニ惣談にて被召抱候事
抱ヘラル     |    
唐人出府ノ造作料 |一、上野清兵衛罷出候、江戸へ太郎介同前ニ参候唐人召連罷出候、江戸へ参候造作何ほとニ而可参哉
         |  ときわめ候へと、清兵衛ニ被申渡候事
         |

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