江戸初期 『 熊本藩家老 長岡監物 書状(御花畑掃除) 』 米田是季 古文書
以下は出品者の解説ではありません。ご承知おきください。私も応札したい処ですが、随分高くなりそうな気がします。
大変興味深い書状である。寛永九年十二月九日、細川忠利は肥後熊本に入国した。
この書状は翌十年二月十八日のものだと特定されているが、翌十九日忠利は熊本城本丸の修復のために、花畑館に移つている。
その為に掃除を急ぐようにと指示を出した文書である。
実はこの年の正月廿一日、小田原で大地震が起き、老中稲葉正勝の居城・小田原城は崩壊してしまった。
忠利はこの報に接し、城内では櫓が建て込み逃げる所さえないと、恐怖におののいている。
後に地震屋をたてることになるのだが、まずは安全を求めて避難という事であろう。
この文書は米田家のものであるが、史料的価値の高い貴重な文書である。
明日御花畑へ被成御移申候ニ
付而掃除被成御急候間
人有次第鍬・も川こ(もっこ)・者うき(ほうき)
持せ唯今早々可被差
出候 御供衆中被仰
付候得共 人すく奈ニ可有之候
と存申入候 則不破平太夫
中山左次右衛門着到付可
被申候間 可被得其意得候
恐々謹言
二月十八日 三人 (三家老)
右如此申触候間被得其意
御花畑早々被出平太夫
左次右衛門へ被引渡可着
到付候以上
長監物
二月十八日 是季・花押