津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■九州御動座記(三)九州御国分の次第

2017-05-05 11:39:24 | 史料

九州御国分の次第

一筑前・筑後両国をハ小早川左衛門尉ニ被宛行候事
一豊後一国をハ大友左兵衛佐ニ宛行候事
一薩摩・大隅両国をハ嶋津父子ニ被宛行候事。其上ニ日向の内一郡伊集院ニ被下候。是ハ今度主の命為可助捨一身中
 納言殿御陣取へ走入たる心中をかんじ被思召。一郡右衛門大夫ニ御扶助の事
一日向ノ中ニ而又一郡伊藤屋形ニ被下候。残部ニハ御代官を被仰付候事
一肥後国をハ佐々陸奥守ニ被宛行候事
一肥前国をハ竜造寺ニ宛行候事
一豊前国をハ三分ニ黒田官兵衛、三分一森壱岐守ニ被宛行候事
 右九か国の目録大方如。但先方の侍共其々忠節の者二ハ加増ヲ被仰付其国ニ御朱印ニ而立被為置候也
一壱岐国・対馬国そのまゝ居城ニ本主ニ被下候。かうらい・唐土へ舟通用可被仰付と相聞候。後戸(五島)・平戸も
 本主ニ被下候キ
一最前便風候てそと申越候へ共定而相届間敷候。今度伴天連等能自分と思候て種々様々の宝物を山と積弥一宗繁盛廻
 計略既後戸・平戸・長崎なとゝてなんばん舟付毎ニ充満シテ其国の国王をかたふけ諸宗を我邪法ニ引入、それのミ
 ならす日本仁を数百男女によらず黒舟へかい取、手足ニ鉄のくさりを付舟底へ追入、地獄の呵責ニもすくれ其上牛 
 馬をかい取生なから皮をはぎ坊主も弟子も手つから食し親子・兄弟も無礼儀上、今世より畜生道有様目前の様ニ相 
 聞候。見るを見まねニ其近所の日本仁何も其姿を学、子をうり親をうり妻女をうり候由つく/\被及聞召、右之一
 宗若御許容あらハ、惣日本外道の法ニ可成事案中候。然者仏法も王法も可相捨事を嘆被思召忝も大慈大悲被回御思
 慮候て既ニ伴天連の坊主本道追払の由被仰出候。就其ては高山右近亮元来被宗旨を其身信曔のミならす、主分領の
 僧俗理不尽ニ右之宗門ニなし候事被聞召候て俗弟子ノ手かたニ彼右近亮御分国被成御払候。弥仏法・王法繁盛天下
 静謐の基不可過之候
一筑紫九ケ国の事ハ不及申候。唐土・かうらい堺の嶋々よりも無残所忝実子を男女によらす人質ヲあけ申。人ニより
 上方へ被召具も有。又相よりしだい肥後国・筑前・筑後ニ残し被為置も在之。誠かんなけつりの上をとくさミがき
 ニて候
一かうらい国へも被仰遣意趣ハ日本王宮へ来年中ニ御対面なされ候やうにとの被仰様ニ候。不入儀ニ候へとも後代名
 をのこさるへきとの御事候。対馬国主勿論別儀有間敷候間、明年ハかうらいの王を供奉可被申之由候。今迄対馬の
 屋形ニしたカハれ候間明年必定日本地へ可有御渡事案中候
一今度じやかうというもの二ツいきなから平戸より進上。又明年ハざうを日本へ渡したるためし無之候間可進之由か
 うらいへ被仰遣候
一伴天連此近年おり/\進上物を仕候しを無御忘候て彼坊主帰国用意可仕之由候て八木壱万俵被下候。猶以奇特成御
 遠慮無申計候。此一巻次而とて龍善寺・妙法寺へ被懸御目候て可給候。初中後をよく/\不見分ハ合点参間敷候。
 此書物不失候様ニ貴慮へ可被置候。以上
    七月日                                 大拝

                        (了) 
 

 

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