津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■愛宕下藪小路御屋敷

2016-09-19 10:47:40 | 歴史

以前 藪小路 江戸名所図繪と浮世絵 で書いた御屋敷は、元禄十六年九月十九日に細川熊次郎愛宕下藪小路之屋敷御用に付差上、この屋敷は忠興以来今年迄持ちつたえたもの」として収公された。(熊本藩年表稿より)

いわゆる三齋公の隠居屋敷であるが、元和八年ころの家作とされ三齋死去後は宇土支藩の屋敷となった。
北野隆熊本大学名誉教授によると、建物は寛永十年ころ上屋敷・下屋敷その他に移築されたというから、敷地だけが宇土支藩の管理の元にあったという事だろうか。
熊次郎とは後の宇土支藩三代目の伊豆守(のち山城守)興生のことである。元禄十二年の生まれだが、十六年九月六日父有孝が病気のため隠居、弱冠五歳で藩主となった。そのわずか十三日後のことである。

国立図書館デジタルコレクション「芝愛宕下絵図」の「加藤越中守」とあるのが、かっての三齋屋敷であり、絵図の屋敷の下方には「三才小シ(三齋小路)」の書き込みが見える。そしてすぐ近所、毛利安房守屋敷の前に「細川豊前守」屋敷として、宇土細川家の屋敷が見える。

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