津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■武士道 教訓 全5巻2冊揃 ■武士訓■井沢長秀蟠竜 江戸和本古文書

2015-04-01 10:05:41 | オークション

 

                                                  武士道 教訓 全5巻2冊揃 ■武士訓■井沢長秀蟠竜 江戸和本古文書

                                                           武士道 教訓 全5巻2冊揃 ■武士訓■井沢長秀蟠竜 江戸和本古文書

                                   井沢長秀  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「宝暦の改革」の立役者  堀 平太左衛門(巣雲)・1

2015-04-01 07:05:20 | 史料

 宝暦の改革の立役者・堀平太左衛門について、肥後先哲偉蹟(巻二)からその人物像を追う。

                     名は勝名、一名は完、字は君綽、平太左衛門と穪し、巣雲と號す、家老職となりて、禄三千五
                     百石に至る、世に寶暦の改正と云ふは、この人の専ら其局に當りて、施為せし所にして、その功
                     績、實に第一たり、寛政五年四月廿三日歿す、年七十八、本妙寺山中に葬る

                      諦観公(齊樹)に上る堀大夫行状書     (貞孚・島田嘉津次著)
                一、公或時仰出され候は、堀平太左衛門勝名は、貞孚が官長として、附属せし日も少からず、勝名言行
                  事業等の間、心に認め得たることあらば、思出し候折に觸て書付て奉れとの仰を蒙りぬ、貞孚兼て
                  平太左衛門時分にての様子等を引き、今と考合せ、何かと御用等の事を申上候時分は、宜敷以前の事
                  の得失気乗の儘を無憚申上候得共、書記に至り候へば、貞孚が愚陋にして、よしと思ひ込たるにも、
                  あしき事もあらん、又傳聞などは間違もあらん、其恐あることながら、公の仰なれば思ひ出す儘を
                  書付けぬ
                一、平太左衛門は御一國、善きも悪きも皆己が慮分の善悪によると思ふ様に見及び申候、然る時は銘々
                  に他よりまぜ政門多しと申様なる事は無き事顕然たり
                一、西山公の御政事はケ様、新太郎公の御國事はケ様、米澤公はケ様、白川侯はケ様などゝ申候て、御國
                  の御政事改革有之候様子、感激仕せ候輩も多有之候へ共、夫は違せられたる儀などゝ賛美致したる
                  迄にて、即座に躍合申さず、却て其人の賞美仕候ケ條に喙を入れ、事次第には申出、不興に成り候
                  事共、是あり候、一と通の人は世上の尊び奉り候、御方々の成されたる事と申立候事と云、且其者の
                  気晴にも障らぬ様に取合置候へども、平太左衛門は左様の儀は見及申さず、何事にても全篇感心仕
                  たる事は現の事に行申候、又美事たりとも時處位の考深く、容易なる打立不仕候、夫故はらり雄の
                  若者共は、面白がり不申様子に御座候
                一、人と對應の間、平太左衛門より智をまはして、向方の心根を捜る體の事は無之候へども、人の心中
                  に機巧有之候は早く見取候間、眞物と思はれ可申迚、異見らしき事を申、又気に入申べきと諫言ら
                  しき事を申出したるは平太左衛門より未だいらへも不致内、半ば比よりは心苦く相成、進退度を失
                  候様子に有之、又麁卒の存寄も其人の有體に候へば、覺えず過當の長噺も出来候様相成申候、ヶ様
                  の境に萬事邪を探り、直をいざなひ候様なる、意味深長の模様有之、御政令の外に、是又政をする
                  なりと申程の儀有之候と見及申候
                一、只今の人にも、一事二事は平太左衛門より長じたる人有之べく候へども、人の體にて候はゞ、手は
                  きゝても足がふもとり、又目が明かに候へども耳が聞えぬと申に候へば、一人に任せられ候方にて
                  も有之べくや、平太左衛門は人の體に各別すぐれたるにては無之候へども、全備仕居候様なる物に
                  御座候、一人にもせよ、二人にもせよ、任せられ候事は任せられず候ては、御事業届まじく、尤任せ置
                  れ候とて、何事も打任せられ候にては無之、勝名時分より御存遊され候通、伺奉べき儀は規則有之、今
                  に相變候儀も無之、右委任の一條は此先に出置申候
                一、平太左衛門御國事にさしまはり候は、故益田彌一右衛門より十八ヶ條の平太左衛門、不埒の稜を密
                  封を以て重賢公へ差上候を、公然と平太左衛門へ御渡遊され申譯有之候はゞ、付紙を以相達候様に
                  仰付られ候處、一々付紙を以差上げ、夫より彌一右衛門へ、又御渡遊され、付紙仕候様に仰付ら
                  れ候處、閉口仕、因て彌一右衛門を退られ、平太左衛門は倍御用遊され候、是よりして讒訴誣告の御
                  内意等仕候はゞ、彌一右衛門通り仰付られ候と、一統相心得候間、彌以て平太左衛門國事を荷ひ、平
                  太左衛門手延候てさしはまり、難有がり候口気承申候、尤其後も御目附の内より折々申上たるヶ條
                  も有之候由の處、何角の御意の御素端に顕はれ候へば、敏捷の平太左衛門に付、他より申上候人有
                  之候を、早速香取誰より聞召れ候やと、御尋申上候へば、餘儀なく其人御意成れ候、左候へば其申上
                  候虚實を糺し、當否を議し、其御目附は相當の貶轉有之候由、さて虚説にても有之べく哉に候へ
                  とも、其比唱申候は松野七蔵と承申候、遠州濱松にて御行逢の處にて、平太左衛門事を言上仕候、
                  是以御糺に相成候處、平太左衛門は越度無之、七蔵は轉役仰付らえ候、然れば御目附よりも色々と
                  言上などにも手段仕たる儀にて、七蔵は不破萬平、高瀬遊山など叔父にて蒲池喜左衛門などゝ、一手
                  の者に御座候、平太左衛門仕形右之通の専権と、前かど平太左衛門を悪様に申候方の者より傳へ承
                  候、其比などは貞孚も餘りしき仕形、憚もなき専権かと疑有之候、然處其以後考候へば、是等の事
                  一通りの君臣の間に有之事にて無之、未曽有にて御座候、依て御事業始末を遂させられ候やと奉存
                  候、和漢古今ともに大臣に任ぜらるとて君は何も聞召れず、打任せられ候と申にては無之、君臣の間
                  疑なきを任せらると申べく候、中々何も隔り無之、同気相合申候て、君も臣を疑無之、臣よりも君を
                  不奉疑、即水魚風雲の會と申にて、事業出来申候、毛頭も君より委任の大臣を疑せられ、委任の大臣
                  よりも君上、何程の御聞込にて可有之哉と疑惑有之候ては、事業出来申儀はさて置、危亂も出来申
                  べく候、然處一偏に君より委任の大臣を疑はれては、成不申と申時は、是又事業出来不申、危亂にも
                  至り申べきや、其譯はたとへば前文益田彌一右衛門密達の儀御糺なくて閣れ候へば、君意にも、ど
                  こか平太左衛門にも、水魚の隔なきは如くには参らず、第一に聖賢にあらざれば、平太左衛門も如
                  何なる気取違、又奸計有之まじきものにても無之、夫を疑れざるが宜敷とて、其儘捨置候ては、事柄
                  には大害も有之べく、仍て御問訊遊され候て、虚實相分候上は、其事無き已前よりは、平太左衛門
                  との御間に御無一物にて、微塵の御疑も無之に歸し、是即賢に任せて疑ふ所無くと申候、書經の本意
                  哉と考候、素より御問訊無之とも、聰明の君鑑にて、讒訴等自ら相分りたるも、右書經の意勿論の
                  儀と奉存候、将又御目附其外御左右等により申上候人有之、平太左衛門御意の素端を、他より御聞込
                  と、香取は御聞込の間違、又意味相違と伺候て、何某申上たるやと伺不申、其虚實をも糺不申差置
                  時は、平太左衛門必に、右様なる不束の事は、誰申上るにて有之べくや、其儀を誠とも思召上られ
                  候ては、気の毒なる次第、且右の事申上候仁居候ては不安心と申意念、毛頭も有之時は、是又隔り
                  有之、水魚風雲の會とは難申、中々寶暦以前の衰を起させられて、御事業成就出来不申、此御事業
                  出来不申を、其分に推移、専権の形に泥み恐れ、黙止罷在候ては、小義を以て大義を失ふの道理故
                  御尋申上、言上の人過誤候得ば、過誤相當奸侫に候へば、其相當を以奉伺、貶轉等加へたるにて御
                  座あるべく候、併しながら此仕形は、従来の人出來申ましくやと奉存候、上より御聞込を蓄へ置せ
                  られず、任せられ候大臣に、ヶ様/\と聞召上らると、御意遊ばされ、虚實を御聞届、又重き事は
                  他人を以御聞届遊ばされ、夫相當の御慮分附させられ候と、君上臣下の間、一日の間と申候ても、
                  御疑を貯置せられず、御無一物に相成可申哉、尤此御旨趣に在せられ候儀は、御入國の時分、御意
                  も奉伺候間、認候にも不及儀に奉存候へども、平太左衛門成功の要目に付、記置申候
                     但國家を荷ひ仕へ候者の仕事は、恐ながら先きに物を持て居候へば、前々の仕事の譯は、偖よ
                     り分らぬ事に御座候

                                          つづく
                   

                  

                   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする