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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■油断のはて

2014-02-04 15:05:28 | 地図散歩

 今月の史談会では「熊本城下の坂」を取り上げることにしている。
参勤交代の行列は花畑邸を出発すると、下馬橋から城内に入り慶宅坂から二ノ丸を経て北の御門から観音坂へと進む。
この観音坂が急な坂で約170メートルほどの水平距離で18メートルほど下っている(10.6%)。京町拘置所の所から下り始め、内坪井の丹後寺前あたりで勾配が終わるのだが、実際歩いてみると相当な勾配を感じ、御駕籠などどうやってかついのだろうかと不思議でならない。ダイハツのCM「ベタ踏み坂」(勾配6.1%)よりもすごいと思うけど?

                                                CM画像4         

ところで内坪井の地図をながめていたら、この地で起きた不幸な事件の事を思い出した。 

              文化二年三月御中小姓佐藤喜三右衛門内坪井志賀太郎助門前()を通たるに、後ゟ坊主来て御免候とて刀の柄を取
              引抜奪取て迯行、喜三右衛門うか/\と行処故手もなくとられ大ニ仰天し追懸持し傘ニてしらひ取かへさんとしたれ共、
              手に廻らす土井(居)際の様に走行しか又取て返し西え迯候を、喜三右衛門追しかは向は足跣、喜三右衛門雪蹈故追付
              ざりし中、坊主丹後寺(図・左上)え馳込ける、喜三右衛門内迄至り内の躰を窺ふに静なる様子故暫く見合居内、十三四

              計の女庫裏の方ゟ出ぬ、其程ゟ又十七八計の女嬰児を抱出る、又暫くして三十計の婦手を切落され肩先も八寸計切破
              られしか迯出たり、喜三右衛門警て堂の邊迄行内を窺へとも不知間庫裏へ入込見れハ、前ニ切られし女の手と見へ落て
              あり、其時以前の坊主抜刀を提出て水場ニて血を洗て段々参とて、喜三右衛門方へ投遣、喜三右衛門早速取て鞘ニ納め
              坊主ニ向ひ其元は如何成人ニて先刻よりしか/\の振廻被致候哉と尋たれは、私ハ當寺の住僧ニて御座
候、妻儀不儀
              を致候ニ付切申候、出家の事ニて刀所持不仕ニ付、御刀を拝借致候と云、其躰必定狂乱と見へ候間、
其侭帰り候処門を
              出る自分廻役三人連ニて入込候由、是喜三右衛門か或人へ咄候趣の由、此坊主は丹後寺の住僧
ニて久敷乱心致し居
              たる間刃物様取上置しに、其妻不儀せしと云て前の通喜三右衛門か刀を奪て切たる也、喜三右
衛門ハ不覚悟之至ニ付
              重き御咎被仰付たり 

この悲惨な事件の顛末はよく判らないが、佐藤家の御咎めは厳しいものがあった。住僧やその妻のその後などは如何成ったのだろうか。
丹後寺の坊主が逃げ回ったこの道はまさしく参勤の道路である。この年藩主齊茲は江戸に在るが、世子・齊樹が4月3日に江戸を立ち、6月7日熊本に入っている。

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■ブログご紹介・こんけんどうのエッセイ「Coffee Break 別邸」

2014-02-04 07:55:09 | 徒然

 畏友・近藤健氏からメールが届いた。新たにブログを立ち上げられた由、嬉しい限りでありお祝い申し上げる。
当方ブログでもご紹介してきた「Coffee Break Essay」の氏だが、これはお勤め先のサイトに間借り状態であったので、晴れて独立をされたという事に成る。エッセイばかりだと完成形でのUPになるのでそうたびたびとはいかないが、今回からは雑感などを交えていろいろお伝え戴けるものと期待している。
日本エッセイスト・クラブ編の「ベストエッセイ集」では、五回にもわたり掲載された実力者だが、これらを土台に新たな高みを目指される事を願っている。

                     こんけんどうのエッセイ「Coffee Break 別邸」 

皆様にも「Coffee Break Essay」と併せて、お楽しみいただければ幸いである。
又、氏の著作「肥後藩参百石 米良家」も是非お読みいただきたい。  

コメント (1)
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