津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

小角豆

2010-01-23 18:48:34 | 徒然
     代々惣庄屋を勤められたY家のご子孫TYさんのご実家では、今も畑で「ささげ」を栽培されているという。
      写真を数枚お送りいただいた。大きなさやが見えるが、これがささげである。私は実物を見たことがない。
                                         1月24日追記


 今日は「史談会」の一月例会、S講師のいつもながらの適切な説明を受けながら某文書を読む。
そんな中に農作物で「小角豆」と出てきたが、これが何なのか判らぬまま終了。

 駐車場に車を置いて帰宅途中、塀際にある椿の大きな花がぼとりと音を立てて落ちた。
「縁起悪いよなー」と思いながら歩を進めている内に、突然「小角豆」の正体を思い出した。
ささげのことだと・・。祖母が元気な頃お祝いの赤飯(おこわ)を炊くのに、随分気を払っていた。
小豆がはじけるとまずいというのだ。小豆がはじけると切腹を連想させるからなのだそうだ。
ささげがあるといいんだけどねー」と祖母が云ったのを思い出した。
ささげは皮が厚いのか割れないらしい。

 間違いないだろうと家に着くなりぐぐって見ると・・・・大正解。

 「椿の花」が落ちるのは打ち首、赤飯のはじけた小豆は切腹を連想させるからというのは、いささか
考えすぎだと思うが、明治生まれの祖母にとっては常識(?)だったのか。
モッコスな私は以前住んでいた家には肥後椿を植えていた。しかしそれは祖母が亡くなった後では
有るが・・・

 あまり面白い話ではない・・ごめんなさい。
コメント (1)
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水道橋喧嘩聞書 ・・ 1

2010-01-23 08:16:45 | 歴史
 「水道橋喧嘩」とは、江戸小石川紺屋町から出火の時、水戸家御屋敷へ御物頭志水新之丞の指揮で御人数を差し出した際、
帰途酒井内記殿火消しの者が細川家の行列を横断しようとした為、そのままつきぬけようとしたとして双方の乱闘となった事件
である。この事件については当時の指揮者・志水新之丞の覚書も残されている。事件の大まかな顛末を知るためこの「覚書」を
ご紹介する。


寛政元年丙六月晦日六時比より小石川紺屋町出火ニテ水戸宰相様御屋敷壱番之御人数
被差出候二番之御人数も相残居候得共四時に火鎮候付二番之御人数ハ不申差出置に龍
口神田御屋敷に各引取申候/差出候一番之御人数大概

        壱騎御物頭            志水新丞
        同 副士              余田喜内
        御纏支配梯子支配歩御小姓  永島仁大夫
        水之手支配歩御小姓       野上梶平
        右同                 平野伴右衛門
        人配外様足軽           本田惣平
        十人程               外様足軽
        七人程               御長柄之者
      右之外御手木之者百人者有之候
右之通之差出於水戸様御屋敷御酒支度左之通
   士席江吸もの豆腐かつふ 酒■■豆腐長芋炙■ ソ酒
   歩段以下江 奴豆腐 ソ酒 粥(カユ)
右之通被下火鎮候上各引取申節水道橋辻番所前ニ十人火消衆
之内五千石酒井内記様 与力衆同心衆以下 六千石中村内膳様同 四千百石堀田主膳様同
右三人之衆人数三百人程休被居候所江
此方様御人数其傍二行に相並引取申を酒井内記様の火消之者
一人 此方様之御行列を切申二付此方様より右之者越突除
申候へハ又々御行列を遮申候間不得止事直二内拂候ニ付酒井様御

人数大勢にて手鳶口を以打懸り申候依之双方相宛申候心得ニて本田
惣平走り懸り候を酒井様御人数之内より惣平領を鳶口二而打破り
其外所々手負せ候付 此方様御人数十人程一同に鳶口を以
取懸り数々打合申候然る処堀田主膳様中根内膳様御人数も一同ニ打
懸り 此方様御人数を中ニ取込メ鳶口二而打懸り石瓦を以投
懸或は鑓抔投突致候付 此方様御人数防兼殊に其場所ハ藤窪
之前ニ而向方ハ地高ニ有之見下ケニ打懸り候故 此方様御人数危
相見申候処諸先ニ離居候 此方様御人数多勢之中を割通其処ニ
集候故■初之御人数大に力を得双方入乱れ■合申候此時
火消場御目付衆より取鎮候様人々差出候を 此方様之御人数
之内より鳶口を額江打込引■んといたし候を■より右之鳶口を

放候へハ鳶口折レ頭に鳶口を負なから逃去り候勿論 此方様
御人数も必死に相成談合候故終に向方之御人数を追立堀溝様■
せり付申候向方より投打致し候鳶口なと堀溝江蹈込鑓なと■く
放打■申候然ル處嶋田宇兵衛儀ハ 外様足軽 大勢之内ニ取込まれ大勢
をあいてニ仕■し散々打合申候処鳶口を打折重手も手数多負
候て■に出候間志水新丞馬上より■■人に取られてハ不相成之間
取返候様呼申す間各此所江走懸り大勢之中江乗込■を乗廻
候へハ向方之御人数明除申し其邊ニ与力衆床机ニ懸り被居候て壱人
懸寄り余田喜内乗居候鐙に手を懸蹈込を取■馬より引落さ
んと致され候を池田武平太鳶口ニ而右之与力衆を散々ニ■伏候
付半死半生ニ而引退被申候此節同心衆も一人手負被申候由扨騒

動最初其場より口江注進ニ及候付神田よりも早速懸付弥大勢
ニ成申候然連者向方御人数御引揚無■候ニ付永島仁大夫再三御人数
并組々之若手三十人餘被差越候各早縄ニ而たすきを取鳶口手
に持息を切て馳出申候此面々参着候節羽双方は人数引拂申候
池田武平太・嶋田宇蔵相滞居申候向方よりも五六人残居候手井上加
左衛門辻番所ニ罷上り夫々持付申候右両人も引取申候双方御人数引
拂申し候節中根内膳様より志水新丞江御屋敷江罷出候様との儀ニ
付新之丞■ニ内膳様御屋敷江罷越申し候処右之一件内済ニ可仕間被仰
談之由新丞江御料理御酒等被出候由

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