津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

有吉家家臣・・葛西惣右衛門

2008-11-02 12:19:35 | 歴史
 三齋の、末娘・お万(烏丸光賢簾中)への溺愛ぶりは何度も書いた。そのお万との縁談を断った有吉興道も凄いと思うが、結局割を食ってしまった。三齋からすると「面子を壊された」ということだろうが、興道は若くして逼塞し病を得て亡くなる。こういう事実を知ると、三齋の大きさが影をひそめる。その興道が亡くなった時嫡子は幼く、有吉家の跡目は興道の弟・英貴に引き継がれる事になる。そこに若干のタイムラグが生じる。忠興(当時)は有吉家の家司・葛西惣右衛門を召出し、松井佐渡守興長列座の中で、「知行并家中之者」を惣右衛門に預け置く旨を「仰出」ている。異例の事であろう。

 葛西惣右衛門は歴代に仕えた有吉家になくては成らない人である。
有名な、有吉武蔵の妻が夫の無事を祈ると共に、生活の窮状を認めて送った書状の宛先が葛西惣右衛門である。忠興も一目置く有吉家の重臣であり、有吉家に対し弐百石の扶持を指示している。陪臣でありながら、獨礼と座班が与えられた。その葛西家の先祖附が残されている事を知った。早々にコピーに出かけなければならないと思っている。

 私は英貴は有吉家中興の人だと考えているが、惣右衛門の力も大きかったと思う。英貴の跡は興道の息・貞之が嫡家を相続した。妻は英貴女である。英貴の直流は別家として大きな力を持ち藩政に尽力している。
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丹羽亀之允言上之覚・・扣

2008-11-02 11:09:18 | 歴史
 先ずは「言上之扣」

  1、正保二年極月九日之日付 一通
  2、  同三年正月四日付    一通
  3、     同月十日付      一通
  4、  同  二月五日付      一通
  5、     同月十八日付    一通
  6、  同  三月十六日付    一通  同書物  二通
  7、  同  五月三日付      一通
  8、  同  六月廿五日付    一通
  9、熊本ニ而
     同  七月十四日付    一通
 10、     同月十六日付    一通
 11、正保四年正月十八日付   一通

 「扣」の順番に従いご紹介していきたいと思うが、訓下しの作業が大変だし正確さが保証できないので、要点をかいつまんでご紹介したいと思う。原本は熊本県立図書館蔵「上妻文庫」延べ60ページに及ぶものである。いつもながら上妻博之先生のご努力には頭が下がる。
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