天正十一年幽齋息女・伊彌(也)は、吉田兼見の息・吉田侍従兼治の元に嫁いだ。
「兼見卿記」の天正十二年二月廿九日条には次のような記述がある。
【侍従方女房衆へ、自丹後飯川山城息女、女房衆従父兄弟也、當月為産出、為見舞上洛、此方へ来、平産之間、此間ニ滞留云々】
三月六日、伊彌は女児を生む。兼見・兼治は連れ立って外出していたらしいが、報せをうけて飛んで帰っている。「侍従女房誕生也、早々罷歸之由申之間、則帰宅、婦子無別儀、女子也、先満足、弥繁昌祝着々々」と大喜びし、幽齋に連絡、幽齋も翌日の帰国を前に駆けつけている。
ところで、飯川山城(信堅)女のその後の消息は分からないが、後に誅伐される飯河豊前の、姉であろうか妹であろうか判然としない。伊彌も先に嫁いだ一色義有を幽齋・忠興によって殺されている。飯河豊前・長岡肥後親子の誅伐を聞いての想いは如何ばかりであったろうか・・。
光兼---+--光長---+----女
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| | 竹田梅松軒
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| +----女
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| 松井康之
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+--女(荒川治部少輔晴宣室)---菅野輝宗
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| 篠山五右衛門 篠山与四郎
| 飯河山城守信堅---+--飯河豊前宗祐---長岡肥後宗信
| | | 慶長11年7月父子共に誅伐さる
+----女 +--女
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| +--女(細川興元室)
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+---清延--+---延元---+--延之 +--延相---兼辰
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| +--延将---+=====兼辰
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| 細川藤孝(幽齋)---+--忠興---忠利
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+-----麝香 +--興元
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| +--伊也(伊彌)
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| 吉田兼見---侍従・兼治
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+---女・北畠左衛門佐教正室---女・米田求政室
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+---女・進士美作守国秀室-----進士作左衛門(田辺城籠城)
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+---女・築山弥十郎貞俊室(義晴命により藤孝生母付き)
「兼見卿記」の天正十二年二月廿九日条には次のような記述がある。
【侍従方女房衆へ、自丹後飯川山城息女、女房衆従父兄弟也、當月為産出、為見舞上洛、此方へ来、平産之間、此間ニ滞留云々】
三月六日、伊彌は女児を生む。兼見・兼治は連れ立って外出していたらしいが、報せをうけて飛んで帰っている。「侍従女房誕生也、早々罷歸之由申之間、則帰宅、婦子無別儀、女子也、先満足、弥繁昌祝着々々」と大喜びし、幽齋に連絡、幽齋も翌日の帰国を前に駆けつけている。
ところで、飯川山城(信堅)女のその後の消息は分からないが、後に誅伐される飯河豊前の、姉であろうか妹であろうか判然としない。伊彌も先に嫁いだ一色義有を幽齋・忠興によって殺されている。飯河豊前・長岡肥後親子の誅伐を聞いての想いは如何ばかりであったろうか・・。
光兼---+--光長---+----女
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| | 竹田梅松軒
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| +----女
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| 松井康之
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+--女(荒川治部少輔晴宣室)---菅野輝宗
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| 篠山五右衛門 篠山与四郎
| 飯河山城守信堅---+--飯河豊前宗祐---長岡肥後宗信
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+----女 +--女
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| +--女(細川興元室)
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+---清延--+---延元---+--延之 +--延相---兼辰
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| +--延将---+=====兼辰
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| 細川藤孝(幽齋)---+--忠興---忠利
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+-----麝香 +--興元
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| +--伊也(伊彌)
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| 吉田兼見---侍従・兼治
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+---女・北畠左衛門佐教正室---女・米田求政室
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+---女・進士美作守国秀室-----進士作左衛門(田辺城籠城)
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+---女・築山弥十郎貞俊室(義晴命により藤孝生母付き)