津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

仲人は何方

2007-07-06 23:33:04 | 歴史
 細川綱利の正室は、讃岐高松藩松平頼重養女・久であるが、実は水戸徳川家初代頼房女である。という事はあの水戸光圀公は義兄という事になる。光圀は寛永5年(1628)生まれで、元禄13年(1701)に71歳で亡くなっている。一方綱利はといえば、寛永20年(1643)生まれで、正徳4年(1714)没71歳である。光圀公が15歳ほど年上の義兄弟となる。二人に共通することがあるが、それは二人とも父親によって流産せしめられようとしたという事実である。光圀は生母の父親によって隠匿された。綱利は光尚付の岩間六兵衛の説得により差し止められた。そもそも綱利の縁組はどのような経過をたどっての事だろうか。その後の細川家は、高松藩松平家、伊予西条藩松平家、出雲母里藩松平家、伊予今治松平家などとの婚姻関係が深まっていく。六代宗孝の正室は紀伊徳川の宗直・女である。その後も松平家や一ツ橋家との婚姻が続いていく。親藩並と言われる細川家だが、なるほどと思わせる。細川家の借金地獄も案外こんなことが原因かもしれない。
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被害の少なからんことを・・

2007-07-06 21:54:05 | 熊本
 最近は全くといっていいほど外出しない。梅雨のせいだ。メタボリックは進行して体は重く、ゆるゆるだった腕時計が腕に食い込んで痛い。どのズボンもウエストがきつい。雨が上がったら早起きして歩こうと思うが・・・悪いのは梅雨だ。
1時間に85ミリも降った。県南部の山間部では100数十戸が孤立しているらしい。明日もまだまだ降り続きそう・・・とても朝の散歩どころの話ではない。
54年前に拾った命は、梅雨のせいでメタボリックに侵されつづけている。
冗談抜きで被害の少なからんことを願わずには居られない。
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