津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

肥後藩士小栗氏

2007-06-09 13:42:17 | 歴史
 肥後藩士小栗氏の祖・小栗兵庫は、越後騒動の一方の主謀家老小栗美作(藩主光長室の妹婿)の弟で、事件に連座して流罪となった。兵庫には七人の男子があったが、下の四人が細川家にお預けとなる。岡之助・八歳、八之助・六歳、六十郎・四歳、小三郎・二歳である。三人の乳母がついている。城内の囲い屋に入れられここで四十年を過ごすことになるが、八之助は元禄七年十九歳で疱瘡により死去、小三郎も正徳三年労症(ママ)により三十四歳で亡くなっている。享保五年幕府より「御預人御免」の沙汰があり、岡之助・六十郎の二人は四十年振りに「囲い屋」を出ている。その後二人はそれぞれ五十人扶持を与えられて細川藩士となるのである。父兵庫は配流先で死亡、松平陸奥守に預けられた兄三人のうち二人は死亡残された一人が同じ日に同様の沙汰が下されている。

 なぜ四十年もの長い時間を要したのか、これは「越後騒動」の事件解決が将軍綱吉直々のものであったからだろうと推測される。細川家に於いても「預り人」であるからそれなりの待遇をせねば成らず、付き添ってきた乳母三人のほかに、下女四人を雇い、御預人付六人、同御目付四人、同御医師三人、その他上番十六人、賄方四人、料理番二人、荒仕子六人、下番人二十三人、門番二人、小使二人などを付けている。物々しさが窺がわれる。
一方越後松平家は津山に転封、御三家に次ぐ家格にて存続する事になる。
尚、小栗兵庫については「大日本人名辞典」に紹介されているというが、これを所蔵している図書館が熊本には無い。福岡あたりを調べねば成るまい。
コメント (2)
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