津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

コピー三昧の端午の日

2007-05-05 21:00:09 | 歴史
 GWの熊本は雨模様で、ここ数日は読書三昧。今日は熊本県立図書館に出かけて、目星をつけておいた資料のコピーをする。2時間ほどコピーを独占、約100枚の資料をコピーした。

1、梅原丹七、福地平左衛門一件畧記
    細川光尚逝去後の、六丸(綱利)跡目に奔走した福地丹七と、六丸と宇土細川家の丹後守とで肥後国を両分するという話に付き、丹後守を諌め手討ちとなった福地平左衛門についての史料
1、林外記打果之書付
1、佐藤傳三郎林外記打果之節書置
    細川光尚に重用された林外記が、光尚の死後佐藤傳三郎により討殺された事件に関する一連の史料
1、妙応院(綱利)様江長岡佐渡指(ママ)書二通
1、佐渡興長殿より清高院(綱利生母)様御物入多きに付十三ヶ条の諫言
       御老女梅津を以て連られしに御返書
    綱利とその生母に対し松井興長の度々の諫言がある。
    清高院からは老女梅津(綱利お守役岩間六兵衛の妻)を通じて返書が認められた

    綱利に対しての諫言は、田中左兵衛の「諫言之覚」等の史料がある。
1、興長(松井佐渡)殿へ寄之殿遣書
    養父興長に対する寄之(細川忠興末子)の書
1、丹羽亀之允言上之覚
    細川三斎没後の八代の有様について、正保二年極月から同四年正月までの間の、十三通に上る書簡。三斎の近くにあった家臣の動静が伺える。
1、御奉行御奉書抄出抜出
    ・御小姓御誅伐之事 ・阿部仕置之節討死跡及阿部家来成行之事
    ・宮元武蔵に関すること抜粋 ・長六橋の架橋(?)に関すること
  
  その他です。
それぞれ大変興味を持っていた史料ですが、ようやくコピーすることができました。内容については訓下の後いずれご報告致します。
コメント
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