先週、立松和平さんが亡くなった。62歳の若さ。
個人的なつきあいはないけれど、
代表作の1つである『遠雷』を読んだとき、農民
文学出身の私は同じ匂いを嗅ぎとった。
また、拙著の長塚節文学賞作品『紫蘇むらさきの』
のときの選考委員でもあられ、少なからぬ縁を
感じている。
その後、新刊が出るたびにお送りしているのだが、
立松さんは年中旅をしていて、かわりに奥様が
「立松は旅から帰ったら読むと思いますよ」という
やさしいお手紙を下さるのだった。
そう、立松さんは行動派の作家だった。その点、
ひきこもりの私は真似しようにもできない。
知床に山小屋を建てて通いつめ、鉱山開発で荒
廃した足尾の山に木をうえ、『毒ー風聞・田中
正造』をものした。
だが、まだTVに出る前に書かれた初期の作品も
捨てがたい。
坪田譲治文学賞をとられた『卵洗い』は地味だが、
私の最も好きな作品の1つである。
亡くなったが、まだアフリカかどこかを旅してい
て、あるときひょっとTVに出たり、ラジオで
声を聞くような気がする。
そういえば、訃報から2~3日後の新聞の川柳欄
にこんなのがあった。
逝きてなお立松節は耳の奥
写真は新・根津美術館のエントランスホールに
ある仏像。
立松さんとは関係ないが、どこか風貌が朴訥な
作家に似ているような気がして掲載した。