一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

再び、安田さん

2018-11-11 08:12:15 | 雑記


       内戦中のシリアで武装勢力に拘束され、
       3年4ヶ月ぶりに開放された、
       フリージャーナリストの安田純平さん
       (44歳)に対して、
       相変わらずネット上で批判がつづいている
       のだそうだ。
       
       「日本に迷惑をかけるな」
       「殺されても文句は言えない」等々。

       私はその、ツィッターなるものを実際には
       見てはいないのだが、
       一つ一つの批判は正当ではあっても、
       安全な場所にいてのジャッジメントは
       如何なものかと思う。

       そんな中、
       新聞などのマスコミの取りあげ方は
       いくらか変わってきたような気がするので、
       今日はそれについて記したい。

       海外生活経験者、
       例えば、
       野球のダルビッシュ・有投手や
       サッカーの本田圭祐選手、
       登山家の野口さんなどは、
       当初から「自己責任論」には堂々と反論して
       いた。
       
       総じて、外国人からみる日本人の感覚は
       「無事帰国したのに、なぜ批判するのか」
       と、驚きを隠せないようだ。

       数日前の毎日新聞には、
       英紙、仏紙、朝鮮日報の東京支局長が
       いわゆる「自己責任論」にそろって違和感を
       示している。

       「できる限り現場に近づき、何が起きている
        のか正確に伝えるのがジャーナリストの
        使命」

       「外国メディア任せでなく、現場の状況を
        伝えようとする安田さんのような
        ジャーナリストは重要」

       「日本社会は和を乱す人を嫌うため、
        社会の規則にあらがう人を好まない。
        これは一種の村八分」

       「批判される対象をはきちがえている。
        非難されるべきは安田さんではなく、
        武装勢力でしょう」

        等々、耳の痛いことばかりである。

        おおむね、
        日本の大マスコミはわが社員を戦地や
        紛争地域に派遣したがらない。

        記者やディレクターが行きたいと切望
        しても、
        被害に遭うと責任が問われる。
        「身の安全」を第一とするからだ。

        となると、どうなるか?
  
        つまるところ、
        フリージャーナリストが危険をかえりみず、
        自らの命を賭して取材することになる。

        「誰も行かないところには、
         誰かが行かなければならない」

        安田さんは(何かあったらと)
        まだ電車にも乗れず、自宅にも帰っていない。
        今でも2~3時間しか眠れないとのこと。      
         
        新聞の取材に対してはこういっていた。
        「生身の人間見たい」

        私は安田さんのこの言葉を聞いたとき、
        ストンと胸に落ちるものがあった。

        「画像とか動画でしか見ないと、
         人間の存在は人間ではなく記号になり、
         殺されていたり、飢えていたりしても
         気にならなくなる。
         だから、生身の人間を見たい」

        ※ TVの画像から