一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

やりきれない話

2013-12-08 17:02:17 | 雑記


     「違う人生があったとも思う。生まれた日に
     時間を戻してほしい」
     
     男性はいった。
     新生児のときに取り違えられた60歳の男性
     である。

     1953年3月、墨田区の病院で出生。
     13分後に生まれた別の新生児と産湯につか
     った後に間違えられて、別の女性の元に渡さ
     れた。

     育った家庭では、2歳のときに戸籍上の父親
     が死去。
     育ての母は生活保護を受けながら、男性を含む
     3人の子を育てた。

     6畳アパートで家電製品一つない生活だったが、
     「母親は特に(末っ子の)私をかわいがった」
     と振り返る。
     「この世に生を受けたのは実の親のおかげ。
     育ての親も精一杯かわいがってくれた」

     この言葉には深いものがある。
     この状況にあってなかなか云えることではない。
     男性が貧しいながらも豊かに生きてきたことが
     この言葉から想像できる。

     男性は中学卒業と同時に町工場に就職。
     自費で定時制高校を卒業した。
     今はトラック運転手として働く。

     片や、取り違えられたもう一方の新生児は
     4人兄弟の長男として育ち、不動産会社を
     経営。実の弟3人は大学卒業後、上場会社
     に就職した。

     今回、DNE鑑定を依頼し、実の兄弟探しを
     したのはこの弟3人なのだが、
     両親はともに亡くなったことが判った今、
     男性は、
     「生きて会いたかった。
     写真をみると涙が出る」
     といっている。

     やりきれない。
     実に切ない話である。

     これが子供がまだ小さいうちなら、お互いに
     家庭が交流して
     (2人の親というより4人の親という感じで)
     様子をみるということもできるだろうが、
     60歳という年齢では、現状を替えることも
     不可能だ。

     現に当初の男性はトラックの運転手をしながら、
     育った家庭の兄の介護もしているのだ。

     自分が同じ立場に立たされたら、
     これが運命だといってあきらめられるだろうか。
     私だったら、とてもこの状況を受け止めること
     はできない。

     幸い、実の弟たちと月に一回、飲みにゆける
     環境にあるというが、
     それだけに、男性の発した言葉には深いものが
     込められている。
     
     この事件について識者の意見を聞きたいが、
     新聞ではまだ一度もみたことがない。
     (TVではコメンテーターという人たちが
     意見をいっているのかもしれないが、
     そういう番組をみないので分からない)

     誰かバシッといって欲しい。
     裁判ではこの男性に3800万円の損害賠償を
     (産院側が)払うことになったらしいが、
     金額で済むことではないだろう。

     金額で済ませるなら、60年の人生が3800
     万円なのかよ、と思ってしまう。
          

     

     ※ 写真は花屋の店頭で