一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

米原万理 

2011-07-05 17:36:53 | 読書



     この1ヵ月超、ちょっとしカルチャーショック
     というか、精神的には低迷していてなかなか
     気持ちの切り替えができないでいた。
     それは米原万理という作家にハマって?いて
     彼女の特異な経験、それに因る独特な洞察力、
     豊富な表現と語彙力に圧倒され、わが身の文
     章力のなさに落ち込んでいたからだ。

     ロシア語同時通訳者にしてエッセイスト、小
     説家の米原万理。
     こういうキャリアからしてほとんど無縁の人
     であり、彼女が生前、コメンテーターとして
     TVに出ていたことすら知らなかった。

     だがこれは私の不明からくるもので、無知を
     恥じなければならない。果たして、ある会合
     で知り合いになったアラフォー女性は、米原
     万理の代表作を知悉していて、以前から読者
     であるといっていたから。

     米原万理は亡くなるまで鎌倉の佐助というと
     ころに住んでいて、その縁で文化講演があり、
     鎌倉文学館で特別展がおこなわれたようだ。
     こちらのミーハーぶりを承知でいうと、実妹
     のユリさんは故・井上ひさし氏の奥さんだと
     いうことも今回知った。
     (講演会はその井上ユリ氏と、万理さんと
      交流のあった作家・池澤夏樹氏の2人で、
      万理ワールド初心者の私にも面白かった)

     米原万理にもどると、
     1950年東京生まれ、2006年卵巣癌で
     亡くなっている(56歳)。
     小3(9歳)のときに、父の仕事の関係でチェコ
     の首都プラハに移り、帰国したのは中学2年
     (14歳)のときである。
     父は日本共産党の常任幹部。

     この9~14歳の異文化体験が後の作家、万理
     を創る基礎となったのだろう。
     現地では後々ロシア語ならつぶしがきくだろう
     という両親の考えで、ソビエト学校に通い、ロ
     シア語で授業を受けていた。

     でも半年間は全く分からないロシア語の授業に
     地獄だった。
     学校には50ヶ国もの国の子供たちがいて、そ
     れぞれに祖国を背負っているような感じだった
     とも語っている。
     それが作家となってからの作品に投影され、ま
     た彼女の持ち味ともなるのである。

     写真は特別展のチラシから。