今回はじめて分かったことなのだけど、
新宿御苑はかつて、徳川家の家臣であった
安藤家の屋敷だったそうです。
江戸市中にはそういったお屋敷がたくさん
あったのでしょう。
そういえば現在皇居となっている江戸城に、家康が
はじめて入ったのは天正18年(1590)のこと。
北条を破った秀吉から、関東の押さえとして関八州
を与えられたのでした。
間もなく、その家康が豊臣家を滅ぼすのですが。
それはともかく、家康がきた当時は、石垣もなく、荒れ
はてた雨漏りのする城とは名ばかりの建物だったとか。
それから15代征夷大将軍が住んで城を構築し、文字
どおり江戸時代のシンボルとしてそびえ立ってきたの
でした。
二百数十年という、信長も、秀吉もなしえなかった長期
政権をつくったのだから、家康はすごいといえばすごい。
しかし、日本人はすぐ滅びるものや、はかない生命に
惹かれる習性があるらしく、信長や秀吉がテレビや雑誌
で多く取り上げられるのはそのせいでしょう。
かくいう私も例外ではありません。
新宿御苑はかつて、徳川家の家臣であった
安藤家の屋敷だったそうです。
江戸市中にはそういったお屋敷がたくさん
あったのでしょう。
そういえば現在皇居となっている江戸城に、家康が
はじめて入ったのは天正18年(1590)のこと。
北条を破った秀吉から、関東の押さえとして関八州
を与えられたのでした。
間もなく、その家康が豊臣家を滅ぼすのですが。
それはともかく、家康がきた当時は、石垣もなく、荒れ
はてた雨漏りのする城とは名ばかりの建物だったとか。
それから15代征夷大将軍が住んで城を構築し、文字
どおり江戸時代のシンボルとしてそびえ立ってきたの
でした。
二百数十年という、信長も、秀吉もなしえなかった長期
政権をつくったのだから、家康はすごいといえばすごい。
しかし、日本人はすぐ滅びるものや、はかない生命に
惹かれる習性があるらしく、信長や秀吉がテレビや雑誌
で多く取り上げられるのはそのせいでしょう。
かくいう私も例外ではありません。