唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

『阿毘達磨倶舎論』に学ぶ。 本頌 (30)  第一章第四節

2013-07-07 11:50:25 | 『阿毘達磨倶舎論』
『阿毘達磨倶舎論』に学ぶ。 本頌 (29)  第一章第四節
 根・境・識と身体とがそれぞれ属する(依)地(三界九地)の相互関係について
 分別界品第一 第45・46偈
 「眼不下於身 色識非上眼 色於識一切 二於身亦然
 
 如眼耳亦然 次三皆自地 身識自下地 意不定應知」
 (眼(げん)は身(しん)より下(げ)ならず、色(しき)と識(しき)とは眼より上(じょう)成るに非ず、色は識に於て一切なり、二を身に於てするも亦然り、眼の如く耳(に)も亦然り、次の三は皆自地(じち)なり、身識は自と下地(げち)となり、意は不定なること應に知るべし。)
 眼根が色境を見る時、身の住処に依り、眼根と色境と眼識と身との依地の関係はどのようになっているのか、という問いに答えています。
 若し欲界に生じて、欲界の眼を以て欲界の色を見る時は、根・境・識・身は欲界同地であるけれども、若し色識初静慮の眼を以て欲界の色を見る時は、身と色とは欲界で、眼と識とは初静慮である。
 又若し初静慮に生じて、自地(初静慮)の眼を以て自地の色を見る時は、根・境・識・身は同地であるけれども、欲界の色を見る時は、色は欲界で、他の根・識・身は初静慮である。
以上のようなことを論じているのがこの科段になります。
 第一句は、眼は身より下ではない(同又は上である)。
 第二句は、色と識とを眼根に対するに、等または下とであって、上ではない。これは、眼根が下地であれば、上地の色を見ることは出来ない、それと上地の識は下地の眼根には依らないからである、と。
 第三句は、色は識に対して一切(同・上・下)に通ずる。
 第四句は、「二を」(色と識)身に対するに、これも同じく一切に通ずる。
 第五句は、耳根も眼根と同じである。
 第六句は、「次の三」(鼻・舌・身)の三根は、根・境・識いずれも同地である。
 第七句は、第六句をうけて、同地ではあるけれども、異なっていることもあることを明らかにしています。身と触とは同地であるが、識を触と身とに対すると、同地または下地である。上三静慮に生じた場合を下地とする。
 第八句は、意根は四事不定である。種々に変化する。同の場合もあるが、種々に変化しているものである、と。



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