唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

大坂坊主BAR staff 日誌 (5)

2015-02-14 16:58:45 | 大坂坊主BAR staff 日誌

 「光陰矢のごとし」とは先人の智慧ですね。昨日もすこし誕生に関する話の中で、お客様から「どうして仏教を学ぼうとされたのですか」という質問をいただきました。
 「これは僕の生い立ちと関係するのですが、母を早くに亡くしましたのと、父が再婚をしまして、一子を授かることになりました。しかし生まれつき病弱で一年たらずでこの世を去ることになったんですね。母が23歳、弟が1歳で「夕べに白骨となれる身」を教えていただいていたのです。おそらく自分の記憶の中では過ぎ去った過去の出来事ということでしょうが、まだ幼少の私の心に与えた衝撃は少なからず大きかったように思えます。「いつ死ぬか分からん」という衝動に駆られたのが高校生の時でした。「死」それは恐怖そのものでしたね。はじめて生と死が合体して、生きることと、死ぬこととは一つのこととして自分に迫ってきたんです。「生きるには死を見つめないと本当に生きることにはならない」という疑問が仏教を学ぶ原点だったように思います。それから幾星霜、原点を見つめることなく生の謳歌の為に走りだし、紆余曲折リセットされた人生に再び光が指し込んだのが我が子の誕生だったんです。この時の衝撃は走馬灯の如く、自分が生み出されてきた背景を知らされることとなり、僕の中では、生と死はいつも人生の岐路に立った時に問い質されることになるんですね。そのことは、否応なく死と向き合わされた時、我が子の誕生という時に於いて、生きることの意味を深く考えさせてくれる縁となりました。無茶苦茶な生きざまの中で、やっぱり手を合わせていくことのできる人生を送りたいなあと思っていることです。」
 このような趣旨のことを述べました。改めて生死の原点を見つめ直すいい御縁をいただきました。感謝です。
 それから少しの時間が経ち、妙ちゃんが「河内さん少し外に出ておいてくれますか」と云われたものですから4・5分でしょうかね、やがて扉を開けますと店内は照明がおとされ、Happybirthdayの音楽とともにbirthdaycakeが用意されていまして、はからずもはからずもです。21日が誕生日なんですが、来週はstaffに入る予定がありませんでしたので、店主の妙ちゃんと園田君がこの日に誕生会の演出をしてくださったのですね。ありがとう。つっちーもですね、高校時代の同級生、花の女子大生5人組で駆けつけてくれました。重ね重ねありがとう。その他のお客様からもお祝いのお言葉をいただきました。最良の日とはこのようなことを指すのでしょうね。巡り合いの人生、不思議な不思議な時間を共有して過ごし会うことの尊さを教えていただきました。
 明日はお釈迦様が涅槃に入られた時であります。釈尊が約2500年前に涅槃に入られた日、入涅槃といいます。涅槃という意味は煩悩の火が消えた状態(ニルバーナ)をいいます。実際には成道された時をもって涅槃というのが正しいのかもしれません。正しい生き方を身をもって教えてくださいました。そしてなぜ苦悩をするのかの原因をつきとめてくださいました。十二支縁起という形で教えられていますが根本の迷いは無明であると。そして「無明」は仏陀釈尊によって見破られたのです。自分の外に問題があるのではない。自分自身に問題があるのだと。私たちは環境は私の外にあると思っています。そしてその環境に執着を起こして苦悩をします。外なる環境が私を苦しめるのだと思っていますが果たしてそれは本当なのでしょうか。
> 
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿