蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

バスジャック

2009年05月14日 | 本の感想
バスジャック(三崎亜記 集英社)

30年くらい前の、筒井康隆さんとかが全盛期のSFブームのころによくあった、日常生活の一部をいびつにゆがめた設定にした作品を集めた短編集。
「ああ、なんかなつかしいな」と思う半面、「古くさいかも」とも思えた。もっとも、若い読者の大半は昔の筒井さんの短編とか読む機会はほとんどないだろうから(最近、「佇むひと」が再刊されたけど、あれは今読んでもいいよねえ)、フレッシュに見えるのかもしれない。

著者の出世作である「となり町戦争」もそうした類の作品だったが、このような小説が昨今はSFとは分類されないようだ。
宮部みゆきさんの作品も、特に初期においては明らかにミステリというよりSFに分類されるべきだったと思うけれど、「ミステリ作家」として売り出さなければ、あそこまで売れなかったと思う。
逆にいうと筒井さんなんかは「おれは純文学作家だ」と言いたかったかもしれないけれど、SFがブームだったので「SF作家」になってしまったのかもしれないが。

表題作の「バスジャック」は、わざとらしくって、著者が苦心さんたんひねり出した作品って感じがしてイマイチだったけど、「二階扉をつけてください」は不条理感とちょっとした気味悪さがいい感じだったし、「動物園」もよかった。
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メメント

2009年05月11日 | 映画の感想
メメント

妻を殺害されてから短期的な記憶の保持ができなり、5分くらい前のことはおぼえていられない主人公が、復讐をしようと犯人をさがす話。

記憶障害を実体験させるような構成で、主人公が犯人と確信する人物を見つけたところから始まって、妻殺しの場面まで過去へさかのぼるという、時間軸を逆転させた凝った構成。
ただ、結末は、「それは禁じ手では?」と思わせるものだった。

主人公が記憶障害を持っていると知っている人々は、「どうせ覚えていないのだから」と主人公を侮るような行動を取る。人間の醜さが端的に描写されていた。

解説記事などを読むと、極く限られた範囲で上映されていたのが、評判をよんで人気作品になったらしい。
正直いって予備知識なしに一回見ただけでは、たいていの人は内容が理解できないと思うので、そうした映画がそのような経路でヒットしたのは驚き。アメリカ映画って「わかりやすさ」優先だという先入観のせいか。

もっとも古い作品(携帯電話が登場しない。今の日本みたいな環境だとストーリーが成立しないかも)なので、ヒットしたころは、近時の傾向とは逆に、ツインピークスみたいな、「すべては説明しない」タイプの映画がもてはやされていた頃だったのかもしれない。
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ジュノ

2009年05月10日 | 映画の感想
ジュノ

16才の高校生の女の子が妊娠する。相手は同級生の男の子。中絶しようかと思ったけど産んで養子に出すことにする。養子先は地元紙で見つけた小金持ちのスノッブな夫婦。女の子は父親である男の子とギクシャクし、養子先の作曲家の夫と妙に趣味が合い・・・といった話。

まあ、ありがちなストーリーなんだけど、「結局、産んでみたら情がわいて自分で育てるという筋なんだろうな」というありふれた想像は見事に裏切られた。

本筋より、今時のアメリカ社会の「さばけ方」みたいなのが尋常じゃないな、という点が印象に残った。例えば次のような点。

高校生の娘が「妊娠した」と両親に報告しても、多少驚く程度で、「まあそんなこともあるだろ、交通事故(この娘は16才で自動車を乗り回してる)とか退学でなくてよかった」みたいな感じ。
父親である同級生も、あんまり動揺しない。
養子を探す広告は地元の新聞の募集欄にペットの飼い主さがしと並んで掲載されている。
中絶センターみたいなところがあって、その入り口近くでは、中絶反対運動をしている高校生の女の子がいる。
苦しい思いをして産んだ子を全く未練なく養子先に引渡してしまう。・・・等々

そっけないそぶりだった主人公の両親が、無軌道な娘をそれでも信じて肝心なところではサポートしているシーンが、さりげなく感動的。
義理の娘(主人公)とはうまくやっていけないと自覚しながらも妥協点を見つけようと努力する継母の方が特にいい。まあ、かくありたい、という願望にすぎないのだろうけど。
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ヒトラーの贋札

2009年05月05日 | 映画の感想
ヒトラーの贋札

第二次大戦下のドイツで大量の贋札を製造しイギリス経済に打撃を与えようと画策された「ベルンハルト作戦」を下敷きにした映画。

主人公はパスポートの贋造などを得意としていたユダヤ人であったが、ドイツ当局に拘束され収容所に送られ生死の境をさまよう。しかし、ある日特別待遇の収容所に送られ、そこで他のユダヤ人とともに贋札造りを命じられる。

贋札造りに成功すればナチに貢献することになってしまう。さりとて逆らえば死が待つのみ。だが、贋札チームにとってさらに恐ろしかったのは、また元の収容所へ送り返されることだったかもしれない。十分な食事、清潔で柔らかいベッド・・・そうしたものを奪われることこそが、死よりもユダヤ人の正義を失うことより恐ろしい・・・といったアンビバレントな環境に苦しむユダヤ人たちがうまく描かれている。

もっとも、大半のユダヤ人は贋札造りに協力し、完璧な贋ポンド札の製造に成功する。目の前にあるささやかに幸せを放棄して大義に殉ずるのは難しい。

戦争が終わってドイツ軍が収容所を放棄し、隣接する普通の収容所のユダヤ人が、主人公たちがいた特別な収容所を(ドイツ軍がまだいると思って)襲う。主人公たちはあわててナチに入れ墨された識別番号を見せて自分達がユダヤ人であることを証かさなければならなかった、というシーンが皮肉な状況をうまく象徴していた。

「フランスの哲学者アランは、希望の固有の目標が物質的な問題を解決することだとしているが、けだし至言というほかはない。畳の上で手足を伸ばして眠りたい。銀めしを腹一杯食べてみたい。桶から溢れんばかりにたっぷりの、少し微温めの湯にのびのび浸かってみたい。分厚い板チョコレートを思いきり齧ってみたい。<希望>とはつまりこうしたものなのであって、およそ詩とは縁がないと知ったのは入営して三日目でした。」(奥泉光 「浪漫的な行軍の記録」より)
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おとり捜査官-1 触覚 

2009年05月04日 | 本の感想
おとり捜査官-1 触覚 (山田正紀 朝日文庫)

1996年に出版された本の再文庫化。

著者の本はそれなりに読んでいるが、ミステリに関しては最近ほとんど読んだ事がなく、昔読んだ時も印象はイマイチだった(ただし、「謀殺のチェスゲーム」(ミステリといえるか微妙だが)は抜群に面白かった)。
「宝石泥棒」をはじめとするSF作品は、掛け値なしに一級品ばかりなので、どうしてもそれと比べてしまうせいかもしれない。

それなのに、本書を手にとったのは、朝日新聞の書評でベタ褒めにされていたから。身内のデキレースかと思いつつも読んでみた。

山手線駅構内で連続殺人事件が起きる。痴漢常習犯がエスカレートした犯行かと思われるが、捜査に行き詰った警察は、美貌のおとり捜査官を発生が予測させる電車にのせるという手段をとる。

私が書いた筋を読むとそれだけで読む気がうせるかもしれない。しかし、後半にいたって二転三転する犯人像、意外な結末(だが、後から考えるとちゃんと伏線がある)で、ミステリとして大変すぐれた作品となっている。

もともとは、官能系というか、エッチな要素を入れるよう注文があったらしく(原題は「女囮捜査官 触姦」)、そういう場面があるし、文章もなんとなくソレ向きな感じになっているのが惜しまれるほどの出来である。
解説によると、5巻まであるシリーズは巻が進むほどに興趣を増し、大団円に到って初めてシリーズ全体のテーマが明らかになるらしい。とても楽しみだ。

約12年の時を経てこういう本が文庫で出版される(しかも再文庫化)というのは、日本の出版文化の奥深さを感じる。(少々オーバーでした)

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