蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

グラスホッパー

2006年08月25日 | 本の感想
グラスホッパー (伊坂幸太郎 角川書店)

「陽気なギャングが地球を回す」の感想で書いたけれど、伊坂さんの作品には暗黒小説と分類されてもおかしくないものがある。「グラスホッパー」もそうした小説だ。登場人物のほとんどが非合法ビジネス(というか、ありていにいうと殺し屋)を生業にしているし、殺人や拷問の場面が多い。

物語の展開は相当に強引だけど、著者がリアリティを求めていないことは明らなので抵抗感なくよめる。(もっとも、伊坂さんの小説を何冊か読んだ後だからかもしれない。初めて読むのがこの小説だったら、早々の読むのをやめていたかも)
あらかじめ散りばめられた伏線が過不足なく落ちていて、そういう意味では合理的な筋立ての小説ともいえる。(システムエンジニアという前歴が反映されているのだろうか)

現実感がなくしかし妙に整合性があるストーリーのために、暗黒小説的ではあるのだけど、ドロドロした粘着感がなく、カラッとした都会的な味わいがある。それに最後まで暗黒小説のまま終わらず、ハッピーエンディングとはいえないものの、かなり明るい展開をみせて小説は終わっている。

私にとっての伊坂さんの作品の最大の魅了は、細部の小粋なエピソード、登場人物の箴言めいたセリフ、へんてこりんなキャラクタ設定にある。「グラスホッパー」で言うと、ターゲットを必ず自殺に追い込む能力を持っている「鯨」が、いつも「罪と罰」の文庫本を持ち歩き、擦り切れるほど読み込んでいるという設定に妙にひかれるものがあった。
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ニッポン硬貨の謎

2006年08月24日 | 本の感想
ニッポン硬貨の謎 (北村薫 東京創元社)

エラリー・クイーンが(作家として出版社の招きに応じて)来日した時に東京で起きた連続殺人事件を解決した顛末を書いた原稿が見つかり、著者がそれを翻訳した、という設定で書かれたエラリー・クイーンもののパロディ小説。

私がエラリー・クイーンのシリーズで読んだのは「Xの悲劇」の一冊だけ。それも全然面白く感じなかった。そのため中盤から展開されるエラリーもののミステリに関する薀蓄を傾けるくだりはほとんど理解できなかった。しかし、そこで紹介される著作は、題名だけなら私でも聞いたことがあるものばかりなので、マニア向けというわけでもないのだろうか。そこそこミステリを読んでいる人になら楽しい内容なのかもしれない。

「キチク」に関する記述が面白かった。日本では「鬼畜」のことなのだが、アメリカでは意外な意味になる。
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イッツ・オンリー・トーク

2006年08月23日 | 本の感想
イッツ・オンリー・トーク (糸山秋子 文春文庫)

躁鬱病を治療しながら、蒲田にアパートを借りて暮らしている女性の行き当たりばったりの性生活を描く。

躁鬱病って“気のせい”とか“性格”の一種で、病気とはいえないんじゃないかと思っていたのだが、私の周囲でも鬱病で会社を長期間休んでいる人が最近何人か出てきて、その病状がかなり深刻なものであることや、薬を飲むとある程度治療できることを聞き、原因も治療法もある程度解明できている病気であることが理解できてきた。

著者自身もこの病気の患者とのことで、気ままに良くなったり、悪くなったりする病気とうまくつきあおうとしている主人公に、著者の経験がうまく反映されている。一種の闘病記なのだが、じめっとしたこところはなくてドライな、ある意味今ふうの小説になっている。

中ごろから登場する“合意済み”の痴漢をする男の設定が秀逸で、作品を魅力的にしている。
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クライマーズ・ハイ

2006年08月22日 | 本の感想
クライマーズ・ハイ (横山秀夫 文春文庫)

世間で高い評価がすでに固まっている作品を初めて読む場合、期待値が高いだけに(それなりに面白く質が高くても)失望することがある、と以前に書いたことがある。
「クライマーズ・ハイ」は、悪く言う人を見たことがないほどの作品で、文庫化されたので読んでみた。そして失望することは全くなく、評判に違わないすばらしさだった。

1985年の日航機墜落事故に直面した、墜落地群馬県の地元新聞の記者たちの話。作者は群馬県内の地方紙の記者としてこの事故を取材したことがあるそうだが、実体験そのものに基づいて書いたものではないとのこと。

ミステリ的な味付けや事故現場の描写はほとんどなく、主要な場面は一貫して新聞社の本社内で推移する。主人公の記者は無能ではないが、そうかといって切れ者というほどでもなく、社内での出世も円満な家庭生活もあきらめかけている。

こうした設定だけみると盛り上がらない話になりそうなのだが、それでもページをめくる手を止めさせないほどのエンタテイメント性があり、そして、事後現場を描かないが故にかえって事故の重大さを浮かび上がらせてしまうのは、作者の能力の高さゆえであろう。

最後の投書欄のエピソードがとってつけたような印象があったのと、若干安易さを感じさせるハッピーエンディングが欠点といえば欠点になるのだろうか。
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散るぞ悲しき

2006年08月21日 | 本の感想
散るぞ悲しき (梯久美子 新潮社)

太平洋戦争の硫黄島戦の総司令官栗林中将の評伝。
硫黄島戦は米軍が経験した最悪の戦場と今でもいわれており、中将は米軍から最も手ごわい相手の一人として評価されている日本軍の陸将である。

制海権も制空権もなく、それゆえ補給がおぼつかない絶海の孤島の戦地。そんな戦場にあっても決戦を好み、失敗すれば万歳と叫びつつ玉砕しようという指揮官が日本軍には多かった。
しかし中将は、長大な地下壕を掘るなど周到な事前準備を行って持久に持ち込み、ゲリラとなっても決して降伏せず一日でも長く、一人でも多くの敵兵を殺せと命じた異色の将軍であった。

狭く、文字通り逃げ場がなかった硫黄島は、日本軍兵士にとって生還が全く期待できない戦場だった。
そんな絶望の地で地熱にあぶられ有毒ガスが満ちる地下壕で満足な水分の補給もできないまま長期に渡って持久戦を戦えと命じる指揮官いうのは、徒手空拳で突撃して玉砕せよという無能な指揮官より、兵士にとってはむしろ過酷であったとも言える。
私は、硫黄島戦を描いた戦記をいくつか読んでいたので、中将は冷徹で鋼の意志をもった合理主義的な軍人だというイメージを持っていた。

この本では、戦闘の描写はかなり少ない。その分、中将の人柄を描くことに多くのページが割かれている。
そこで描かれる人物像は私が持っていたいイメージとは正反対。家族への愛情はこまやかでありながらぶ厚く、家族への手紙からは軍人とは思えない繊細を感じさせられた。
家族のみならず、配下の兵士に対する配慮も十分だった。小笠原で指揮を取ることも可能だったが、あえて最初から死が約束された硫黄島に司令部を置き、地下壕を掘る兵士たちを頻繁に巡回して自ら士気を鼓舞したという。

若干、中将を美化しすぎているキライがないではない(実際、私の読んだ本の中には中将に対して批判的な見方をしている場合もあった)が、その意外な一面を多くの手紙や証言から明らかにした、(平板な戦記ものからは一線を画した)美しいノンフィクションだった。
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