蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

正統と異端

2022年08月28日 | 本の感想
正統と異端(堀米庸三 中公文庫)

10世紀〜13世紀頃の、カトリック教会における教義や異端に関する議論の変遷を描く。

本書によると、議論の中心となっていたのは、売買によって聖職者の地位を得た者(シモニスト)となった者による秘蹟行為、特に叙品(叙階。聖職者を任命すること)の有効性であったという。
それまでは、シモニストによる叙品は、違法だが有効(=やってはいけないが、やってしまったものはしょうがねえ。つまり事実上の公認?)とされていた。しかし、教皇:グレゴリウス7世は、シモニストによる叙品は無効とした。
その後も論争は続くがカトリック教会の堕落は広がり、カタリ派やワルド派といった異端が隆盛する。
教皇権の頂点を極めたイノセント3世は、こうした異端を厳しく弾圧するとともに、一方で清貧を標榜したフランシス派を保護する。

皇帝と教皇の叙任権闘争というのは、世界史の授業でもよく登場したように思うが、シモニア論争という視点からカトリック教会と世俗世界の対立を描いた点が新しい(といっても何十年も前に出版された本だが)と感じられた。

聖職者売買が起こったのは、聖職者という権限を買えば経済的利益を含めた利権が得られるためであろう。それがカトリック世界を二分するような論争を起こしたのだから、いかに当時の教会がカネまみれだったかが推測される。清貧を旨とするフランシス派のような活動が盛んになったのはその反動であったのだろう。

今日から、あるいは異教徒からの視点からすると、聖職者が一つの地位であるならば、カネで買ったものであろうとなかろうと関係ないのでは?そんなことに深刻にならずとも他にもっと考えるべきことがあるのでは?なんて思ってしまう。
宗教と触れあうのは、葬式の時くらいで、その時式典の主宰である僧侶に金銭的報酬を与えるのは当然、なんて思っている、私を含めた現代日本人には想像が難しい世界だ。

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