蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

電車に忘れ物

2016年08月15日 | Weblog
電車に忘れ物

今までに電車に忘れ物をしたことが4回ある。
1回目は読みかけの本がはいった小さなカバン(大阪の地下鉄)
2回目はスラックス。サイズ直しをしてもらって出来上がったばかりのものを網棚に置き忘れた(南海)
3回目はジャンパー。暖房がききすぎていて暑かったので脱いで網棚にのせておいたら忘れた(JR東)
4回目はお弁当。朝、会社に行く途中で置き忘れた(JR東)

1~3回目までは探したりしなかったが、4回目は奥さんに怒られそうだったので、会社について鉄道会社の問い合わせセンターへ電話した。そこでは不明とのことだったが、乗っていた電車が上野止まりの電車だったので、上野駅へ電話したら確保しているとのことで、昼休みに取りに行った。

家族では、息子が携帯電話を忘れたことがあり、これもセンターへ電話したら不明だったが、乗っていた電車の終着駅(千葉)に電話したところ、駅で確保しているとのことで、そこへ取りに行かせた。

多分、駅で一定期間確保して申し出がなければセンターに回送することになっていて、回送前に役に電話したために、上記のような結果になったと思う。
2回探したら2回とも見つかった(しかも両方とも終着駅で駅員さんがピックしてくれたと思われる)ので、「東京(日本)ではおカネがはいった財布を落としてもそのまま戻ってくる」という売り文句?はまんざらウソではないのだろう。

冒頭に記した4回の忘れ物はいずれも通勤途上でのできごとだが、約30年くらい電車通勤していて4回というのは、多いのか少ないのか?(というか、書いていて思ったのだが、30年も電車通勤をしているということ自体が、お迎えの車が来るような地位になれていないという意味で情けないことであるなあ)
私が平均的な通勤客と仮定すると、8年に1回くらい全通勤客が忘れ物することになり、電車会社が確保する忘れ物の量はものすごいことになりそうだし、保管・管理するには莫大な労働力が必要になりそうだ。
ターミナル駅で「お忘れ物がないか今一度ご確認ください」と何度も連呼されるアナウンスは、単なる定型のご挨拶なんではなくて、実は切実なお願いなんだ、と思えてきた。
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砂の栄冠

2016年08月15日 | 本の感想
砂の栄冠(三田紀房 講談社)

埼玉の樫野高校(公立)の野球部はそこそこの強豪校。
軟式出身の七嶋(キャプテン)は、同野球部の個人的支援者の老人からこっそり資金援助を持ちかけられ1000万円を受け取る。
その金で臨時コーチを雇ったりして実力をつけ、ついに甲子園出場を勝ち取るが・・・という話。

高校野球の裏側(眉毛をそって(整えて)いる選手(あるいはそれを許している学校)は一流になれないとか、自分の将来を確保することしか考えていない選手・監督とか、監督の指示をガン無視する選手とか、甲子園では1日4試合を消化するために特異な進行が行われるので慣れていない学校はそれだけで不利とか)を描くことが当初のテーマだったのだが、七嶋が成長するに従って試合のシーンばかりになって普通の野球漫画に近くなっていった。

最後まで一貫していたのは、高校野球(特に甲子園で開催される大会)は日本最大規模のスポーツ興業であり、そこでは観客を味方にしたものが極めて有利である、という主張だと思う。
確かに2週間にもわたって複数のテレビ局が朝から晩まで全試合を完全中継するなんて、プロを含めた世界レベルでみても、飛びぬけた優遇ぶりだ。
そういわれてみると、何年か前に公立高校が全国優勝したことがあるが、同校が勝ち上がるにしたがって、マスコミや観客どころか審判まで同校寄りになっていったように見えたし、昨日(8/14)の東邦-光星学院の9回は観客の声援で異様な雰囲気になっていた。

普通の野球漫画として読むと、宿命のライバル(花形みたいなの)は登場しないし、試合中のあっと驚くような展開(ドカベン的なやつ)は皆無で、それはリアルさを追求したためなのだろうけど、その割に七嶋だけがスーパーマン的に成長してしまったのはちょっとどうだろうか、と思えた。何より(失礼ながら)絵が・・・。

それでも最後まで読んでしまったのは、著者の「主題を読者に伝えたい」という情熱みたいなものが感じられたからかなあ、と思った。
確か23巻だったかと思うが、付録に著者と大谷(翔)の対談が掲載されていて、この中で著者の漫画家としての矜持みたいなものが強調されていたのが印象的だった。



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マネー・ショート

2016年08月15日 | 映画の感想
マネー・ショート

サブプライムローンなどを原資産とした仕組債などの金融商品を(実質的に)空売りして、リーマン危機時に大儲けしたファンドマネージャ3組の姿を描く。

原作では(金融業と縁遠い人にとってはわかりづらい)仕組債などのカラクリの説明にそれなりにページを割いていたが、本作では最小限に抑えて、強い確信をもって巨大なポジションを築いたものの、想定した状況(ローンの破たんが相次ぎ仕組債等の価格が暴落する)はなかなか訪れず、出資者からのプレッシャーが強まる中、追いつめられていくファンドマネージャの姿を描くことに重点が置かれている。

特に出色なのは、クリスチャン・ベールが演じたバーリ(比較的小規模な独立系ファンドのマネージャ)で、迫りくる(自らの)破滅に必死に立ち向かう姿はとてもリアリティがあった。

また、ライアン・ゴズリングも、いつもの役のイメージとはかけ離れた、小ずるそうな大手投資銀行のセールスを好演していた(最初、私はゴズリングだと気付かなかった)。

邦題のサブタイトルは「華麗なる大逆転」なのだが、大逆転の前にじらされるシーンが良すぎたせいか、“大逆転”の場面は今一つぱっとせず、ややカタルシスにかけた感がないでもなかった。
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