蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

リアル・シンデレラ

2015年10月25日 | 本の感想
リアル・シンデレラ(姫野カオルコ 光文社)

主人公(泉(セン))は信州の料理旅館を経営する両親の長女。
妹は誰もが認める美人だが、主人公はぱっとしない外見で服装も野暮ったい。主人公は許婚を妹にとられた後、別の男と結婚して旅館を継ぎ、斬新なアイディアで繁盛させるが、夫は浮気をして離婚を迫られる。主人公は離婚を簡単に承諾し、旅館の経営権も譲ってしまう…という話。

私たちが物語(小説)を読む動機は、読んだ後(あるいは読んでいる間も)楽しく、ハッピーな気分になりたいからなんだと思うのですが、最初から最後までハッピーの連続では面白みがなく、苦しみぬいた主人公がついには勝つ(克服する)という展開になっているものが多いと思います。
しかし、悲惨な事態を描いて結末もまた悲しい物語(いわゆる悲劇)もそれなりの数が存在します。例えば「フランダースの犬」とか「リア王」とか。

読んだら暗い気分になる物語を、物好きにもなぜ読むのか? それは、登場人物の厳しい境遇を自らのそれと比較して自分の方がまだマシと感じたい、つまり「他人の不幸は蜜の味」を物語上で味わいたいからだ、という説明があります。
まあ、そればかりではないものの、そういう側面も確かにありますよね、というところでしょう。

「リアル・シンデレラ」というタイトルは、主人公が苦難を乗り越えて復讐を遂げる、みたいな展開を予想させますが、冒頭に紹介したように、筋だけを追えば「フランダースの犬」系で、かつ、ラストは「それはないでしょ」と思えるほど主人公には厳しいものになっています。

しかし、本書は「他人の不幸」を楽しむべき?小説ではありません。
一見不幸のどん底のような主人公こそが、幸せとは何かを最も理解し実践しているからです。だから、ずっと一緒に暮らしている周囲の人々から見るとさえないおばさんでしかない主人公を、外部の客観的視点を持つ第三者が見ると「美しい人」「垢ぬけた人」と評価するのです。

読み方によって様々な解釈ができますし、小説としての世評もいろいろ(本書は文学賞の候補でしたが、選評で評価が大きくわかれたことで有名になりました)なのですが、私としては、読み終えて満足感の高い作品でした。
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