夏草の賦(司馬遼太郎 文春文庫)
わたしは、司馬遼太郎アディクションなので、老後の楽しみのために未読の作品をできるだけ残しておこうとしているだれども、本書はつい?読んでしまった。中毒患者の悲しさで、「現代のたいていの小説よりはるかに面白い」と思ってしまうのだった。
土佐の一豪族にすぎなかった長曽我部元親は、土佐を平らげ、四国統一まであと一歩というところまでこぎつける。しかし、そのころにはすでに豊臣氏が圧倒的な勢力で全国統一を進めており、元親は最初、豊臣軍に反抗するが、やがて膝を屈することになる・・・という話。
著者の作品は新聞連載が多い事もあってか、後半だれ気味になってしまうものもあるのだけれど、本書もそういう感じだった。主人公が白旗をあげてしまった後の話なので、どうしても意気があがらない面はあるが、前半とても魅力的な人物として描かれている元親の正妻(菜々。菜々が敵国へ使者として派遣されるエピソードがとても面白い)が後半目立たなくなってしまうのは残念だった。
元親は、武力や勇気というより、政治や謀略によって台頭してきた、ちょっといやらしい人物として描かれているが、その息子信親はケチのつけどころのない武略、胆力、体力、リーダーシップの持ち主として描かれている。
後半、だれ気味と書いておいて何だが、信親が討ち死にする最終盤がとてもよかった。(以下、一部引用)
* **
桑名はなおも弥三郎を落ちさせようとした。大将というものは勝ち目のない戦さとわかれば、身一つで落ちねばならぬものだというのである。(中略)
「爺、言うのはむだだ」
弥三郎は、いった。第一、父元親のゆくえさえ知れぬというのに自分だけが落ちるなどということはできぬ、という。
「この河原を死所ときめた」
といったとき、弥三郎をかたく守っていた七百の土佐兵が、
「御供」
「御供」
「御供」
と、どよめいた。このどよめきの声の異様さが、目と鼻のところまで迫って攻撃しかねている薩軍の耳にまできこえ、のちのちまで話のたねになった。この二十二歳の弥三郎信親には、七百の家来に死を決させるわかわかしい魅力があったのであろう。
***
わたしは、司馬遼太郎アディクションなので、老後の楽しみのために未読の作品をできるだけ残しておこうとしているだれども、本書はつい?読んでしまった。中毒患者の悲しさで、「現代のたいていの小説よりはるかに面白い」と思ってしまうのだった。
土佐の一豪族にすぎなかった長曽我部元親は、土佐を平らげ、四国統一まであと一歩というところまでこぎつける。しかし、そのころにはすでに豊臣氏が圧倒的な勢力で全国統一を進めており、元親は最初、豊臣軍に反抗するが、やがて膝を屈することになる・・・という話。
著者の作品は新聞連載が多い事もあってか、後半だれ気味になってしまうものもあるのだけれど、本書もそういう感じだった。主人公が白旗をあげてしまった後の話なので、どうしても意気があがらない面はあるが、前半とても魅力的な人物として描かれている元親の正妻(菜々。菜々が敵国へ使者として派遣されるエピソードがとても面白い)が後半目立たなくなってしまうのは残念だった。
元親は、武力や勇気というより、政治や謀略によって台頭してきた、ちょっといやらしい人物として描かれているが、その息子信親はケチのつけどころのない武略、胆力、体力、リーダーシップの持ち主として描かれている。
後半、だれ気味と書いておいて何だが、信親が討ち死にする最終盤がとてもよかった。(以下、一部引用)
* **
桑名はなおも弥三郎を落ちさせようとした。大将というものは勝ち目のない戦さとわかれば、身一つで落ちねばならぬものだというのである。(中略)
「爺、言うのはむだだ」
弥三郎は、いった。第一、父元親のゆくえさえ知れぬというのに自分だけが落ちるなどということはできぬ、という。
「この河原を死所ときめた」
といったとき、弥三郎をかたく守っていた七百の土佐兵が、
「御供」
「御供」
「御供」
と、どよめいた。このどよめきの声の異様さが、目と鼻のところまで迫って攻撃しかねている薩軍の耳にまできこえ、のちのちまで話のたねになった。この二十二歳の弥三郎信親には、七百の家来に死を決させるわかわかしい魅力があったのであろう。
***